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2019/8/4 18:00

東日本最後の115系の聖地「越後線」−− 新潟を走るローカル線10の秘密

【越後駅の秘密⑧】東京都内ではなく新潟県にあった青山駅

さて次の駅は青山駅。あれっ? 青山といえば、首都圏に住む筆者としては、東京都港区にある青山という地名が思い浮かんだ。しかし、東京には青山駅がないことに気付いた。東京メトロの駅は青山一丁目駅なのである。

 

↑新潟市西区にある越後線の青山駅は意外に小さな造りの駅。周囲は住宅地で東京の青山一丁目駅のような繁華さは感じられなかった

 

調べると青山駅は越後線以外に、いわて銀河鉄道の青山駅(岩手県盛岡市)、名鉄河田線の青山駅(愛知県半田市)にあることがわかった。青山という地名は決して珍しくはないということなのだろう。

 

さらに越後線に乗車して西へ。住宅が続くが、越後線が走る付近はやや高台になっていて、南側がやや低くなっている様子が車内からも見える。この南側に信濃川などの河川が流れていることがうかがえる。

 

内野駅までは多かった列車の本数。内野駅から先は日中となると3本に1本の割合になる。新潟駅〜内野駅間は20分〜30分間隔だったものが、内野駅〜吉田駅間はほぼ1時間間隔の運転になる。

 

内野駅の次の駅、内野西が丘駅を過ぎると、景色は大きく様変わり、左右に田園風景が広がるようになる。

 

その先の巻駅付近からは、また住宅が点在する風景となるが、新潟市内の新興住宅地が連なるの街風景とは変った印象となった。

 

 

【越後線の秘密⑨】吉田駅を境に大きく変る運転間隔

新潟駅から約1時間で吉田駅に到着した。乗車した列車は吉田駅止まり。この吉田駅でひと休みを取ることにする。

 

吉田駅は弥彦線との乗換駅。越後線の途中で唯一、規模が大きな駅でもある。とはいえ、越後線、弥彦線の列車の発車時間がほぼ1時間おきとあって、発車時間が近づくと、人が多くなるものの、通常は閑散とした様子が感じられた。

↑越後線唯一の他線との乗換駅・吉田。弥彦線との接続駅となっている。駅の案内表示の隣の駅表示が×状になっていて面白かった。駅構内には柏崎駅行きの115系電車(弥彦色)と待機するE129系が並んでいた

 

吉田駅から先、柏崎駅との間を走る列車は極端に本数が減る。朝夕を除き、日中は3〜4時間、走ることがない。ここまで閑散区とはと驚かされる。この先の吉田駅〜柏崎駅間は、時刻表とにらめっこしつつ行動計画を立てた方が良さそうだ。

 

筆者は吉田駅で1時間近くの列車待ちが生じたこともあり、吉田駅周辺のブラブラ。食や街で食や風景など新たな出会いが面白かった。

 

↑吉田駅から200mほどの吉田旭町の市街にはレトロな信号が立っていた。交差点の中央に信号が立つこと自体、あまり目にしない光景だ。ちなみに吉田はラーメンや焼きそばといった麺メニューを提供する店が、わずかにあるぐらいで閑散とした印象だった

 

 

【越後線の秘密⑩】気になる寺泊駅周辺の廃線跡

吉田駅〜柏崎駅間は列車の本数が極端に減るので、列車の旅をする場合は、慎重にならざるをえない。筆者は、新線な魚介類の販売店があるだろう、寺泊駅で途中下車してみた。

 

ところが、駅周辺は閑散とした状況。地図を見ると港は駅から7kmも離れている。ちゃんと確認してから下りようよ、と反省したものの、次の列車までは数時間待ち。港までバスは出ているのだが115系も撮りたい。そこで駅周辺をブラブラ。すると廃線らしき跡が次々に見つかった。ラッキーかも。

 

↑寺泊駅(旧大河津駅)の周辺には旧越後交通長岡線が走っていた。古い地図を元にして路線跡を記してみた。巡ると寺泊の駅裏には信号装置などが錆びて残る(A地点)。架線柱が残る一角も(B地点)。東側には旧路線跡も。この先には線路も残っていた(C地点)

 

↑旧越後交通長岡線の路線の跡をなぞるように、今は越後交通のバスが寺泊(港)〜寺泊駅〜長岡駅を結んでいる。運行間隔は1〜2時間に一本あり、越後線とバス便を組みあわせた旅も有効かも知れない

 

寺泊駅周辺に残る廃線跡。この跡は越後交通長岡線という私鉄路線の跡だった。越後交通長岡線は、JR信越本線の来迎寺駅(らいこうじえき)から、西長岡駅を経て、現在の寺泊駅(当時は駅名は大河津駅/おおこうづえき)、さらに日本海に面した寺泊の町を結んでいた路線だ。

 

1975(昭和50)年に現在の寺泊駅付近の路線は廃止された。それから40年以上が経つが、廃線の痕跡がかなり残ることには驚かされた。ちなみに越後交通長岡線は一部区間が平成期まで残ったが、1995(平成7)年3月いっぱいで消滅している。

 

調べると、路線は長岡市内の西長岡駅と、JR長岡駅との間の路線が最後までできなかった。間を隔てる信濃川に橋梁を架ける費用がなかったからである。歴史にたらればはないものの、もし越後交通長岡線が長岡駅まで路線を敷くことができたならば。もう少し生き延びられたのかも知れない。

 

この路線でも信濃川の架橋が問題となっていた。信濃川を越えることは新潟県内を走る鉄道網の創設期には大変な課題だったのである。

 

↑寺泊駅の近くの直接ちょう架式の区間を走る115系湘南色。かつて東海道や群馬県で多く見られた湘南色の115系だが、このカラーの115系はJR東日本管内で、写真のN38編成、3両のみとなっている

 

越後線の吉田駅〜柏崎駅間で気付かされたのは、路線と日本海沿岸のそれぞれの街との距離が離れていることだった。この区間は寺泊や、出雲崎といった町々が日本海に面して発展してきた。

 

今も海沿いに街の中心があるところが多い。海にそった海岸部は険しく、鉄道路線が敷くのに不向きだったのだろうが、もし越後線が、これらの街を結んでいたら、もっと利用する人が増えただろうにと感じた。

 

↑日本海に面して広がる出雲崎。出雲崎は北前船の寄港地として栄えた。往時は越後一、人口密度が高い街でもあった。奥に長い妻入りと呼ばれる家屋に特徴がある。僧侶、歌人として名高い良寛の出生地であり、良寛が出生した跡地には良寛堂(左下)が立つ

 

内陸部を走り続けた越後線の上り列車。平行して走る国道116号、国道8号が見えてくる。越後線は海沿いではなく、内陸を走り、しかも整備された国道がほぼ平行して走っている。国道はほとんどの区間が片側2車線なので、この国道沿いに大型店舗も目立つ。

 

こうした状況を見るにつけ、越後線に乗る人は少ないのも当然だろうと感じてしまう。刈羽駅(かりわえき)付近からは駅前に住宅が立つが、列車に乗るのは学生と高齢の人たちの利用が目立つ。ほかの世代は、ほぼクルマでの移動となるのも致し方ない印象を持った。

 

そんな思いを持ちつつ、列車の終点の柏崎駅へ到着する。到着したのは越後線専用の0番線ホームだった。

 

↑信越本線との乗換駅の柏崎駅。越後線は同駅が起点となる。越後線の列車は行き止まり式ホームの0番線(右上)、もしくは1番線からの発車となる。ちなみに柏崎の名物は鯛茶漬け。国際ご当地グルメグランプリでもたびたび優勝するなど名物グルメとなっている
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