【養老鉄道の謎⑤】なぜ揖斐川西岸に沿って路線が造られたのか
養老線の路線は、揖斐川の西側を流れに沿いつつ北上していく。途中、石津駅付近で、最も揖斐川に近づく。その後も川とは付かず、離れず。終点の駅も揖斐駅と名乗るように、揖斐川の流れに近い。しかし、路線は揖斐川を渡ることはない。
開業前の歴史をたどると、養老線が走る揖斐川の西側地区には、揖斐川の水運で栄えた町が点在する。養老線は水運に代わる交通機関として誕生した。そのため養老線では貨物列車も盛んに運行されていた。1996(平成8)年に貨物輸送が終了したが、今も複数の駅には、引込線などの跡が確認できる。
揖斐川の現在の流れは大垣市街を東に大きく迂回して流れているが、調べると、古くはもっと西側を本流が流れていた。当時は、養老線も揖斐川の本流(現・杭瀬川/くいぜがわ)を烏江駅(からすええき)付近で渡っていた。
地図を見ると養老線は駒野駅から烏江駅まで、大きく西側に逸れて迂回するように走っている。これは現在の美濃津屋駅の東側に、下池などの湖沼群があり、この湖沼群を避けるため。さらに沿線では人口が多かった当時の高田町(現・養老町)市街近くに駅(美濃高田駅)を設けるためだったと思われる。ちなみに現在、下池などの湖沼があったところは、ほとんどが水田となっている。
【養老鉄道の謎⑥】濃尾平野の西端、路線の西側にそびえる山地は?
養老線の旅に戻ろう。桑名駅からしばらく間は桑名市郊外の住宅地を走る。大小の工場も車窓から見える。
播磨駅(はりまえき)から先は周囲に水田が多くなる。下深谷駅の先、進行方向の左手から丘陵地が近づいてくる。この先は、左に丘陵、右手に水田という風景が下野代駅(しものしろえき)まで続く。
三重県内の駅は多度駅(たどえき)まで。次の駅の美濃松山駅からは、岐阜県内に入る。山除川という小さな川が県境となるが、県の境がここにあるとは気付きにくい。
県境あたりから西側に養老山地が見え始める。養老山地は濃尾平野の西端に位置し、峰々が10kmの幅、25kmの長さで南北に連なる。最高峰は笙ヶ岳(しょうがたけ)の908.3mと標高はそれほど高くない。とはいうものの、広がる平野から、突如、山がせり上がり、それこそ“そびえる”といった印象が強い。
【養老鉄道の謎⑦】上に川が流れるという不思議なトンネル
養老線の進行方向の左手に養老山地がそびえる。電車は急峻な養老山地と裏腹な標高が低い平野部を走るため、この土地ならではの珍しい地形が車窓からも目にすることができる。そしてこの地形が養老線の路線造りにも影響していることが分かる。
顕著なのは川の流れ方だ。養老山地からいく筋もの川が流れ出す。川は急に標高が低い平地に流れ出すために、大量の土砂が堆積した箇所が多い。いわゆる扇状地の地形を生み出している。
川が流れ出たところでは土砂の堆積のために、平野部よりも川の方が高い現象が生まれる。天井川という不思議な姿の川を造り出している。養老線も、この天井川を複数、またいで走る。
通常の川ならば橋りょうで渡るのが一般的だが、この地域では川の下をトンネルで通るという光景を複数の箇所で目にすることができる。車内からはなかなかその構造が分かり難いので、できたら最寄り駅で降りて、天井川の様子を眺めてみてはいかがだろう。
多度駅から養老駅までの区間にある複数のトンネルのうち多くが、こうした天井川を越えるために設けられたトンネルだ。ちなみに同区間では鉄橋も多く架かるが、川を見おろすとほぼ流れのない水無川となっている。天井川といい、水無川といい、この付近では扇状地らしい地形が連なることが良く分かる。
桑名駅から約40分で養老駅に到着する。この養老駅は養老線で最も観光客の利用が多い駅となっている。駅舎もなかなか趣のある造りとなっている。駅から岐阜県こどもの国や、初代の養老鉄道が観光客用に整備した養老公園も近い。
駅のそばに観光スポットもそれなりにあるのだが、残念ながら電車利用の人は多いと言えない。駅前にある商店は和菓子屋が1軒のみと、寂しさが感じられた。養老駅がある養老町の中心は、北隣の美濃高田駅なのだが、こちらの駅近くにも商店がなく、駅前通りの衰退ぶりが際立っていたのが気になった。