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2020/1/19 19:00

三重県と岐阜県を結ぶ唯一の鉄道路線 「養老鉄道」10の謎

おもしろローカル線の旅59 〜〜養老鉄道養老線(三重県・岐阜県)〜〜

 

三重県の桑名駅と岐阜県の揖斐駅(いびえき)を結ぶ養老鉄道養老線。揖斐川に沿って田園地帯を走る、のどかなローカル線である

 

養老鉄道と聞いて東海地方にお住まいの方以外はピンとこない方が多いかも知れない。元東急の7700系が走る鉄道会社と言えばお分かりだろうか。東急車両の導入によって大きく変る養老鉄道養老線の旅を楽しんだ。

 

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↑養老鉄道の主力車両といえば、長年、元近畿日本鉄道の車両だった。写真は620系。全線開業100周年を祝して、2019年には記念のヘッドマークを付けて走行した

 

 

【養老鉄道の謎①】開業時も養老鉄道、現在も養老鉄道だが実は

まず初めに養老鉄道養老線の概要を見ておきたい。

路線と距離養老鉄道養老線/桑名駅〜揖斐駅57.5km *全線単線・直流1500V電化
開業1913(大正2)年7月31日、養老鉄道により養老駅〜大垣駅〜池野駅間が開業、1919(大正8)年4月27日、桑名駅〜揖斐駅間の開業で養老線が全通
駅数27駅(起終点駅を含む)

 

路線を誕生させたのは養老鉄道。しかし、現在、養老線を運行させている養老鉄道とは異なる会社である。そのため路線を開業させた養老鉄道は「初代」とただし書きを入れて紹介されることが多い。初代・養老鉄道の社長となったのは立川勇次郎だった。立川は京浜急行電鉄の創業者であり、地元・大垣市の出身だったことから、地元に戻った後に養老鉄道の経営に乗り出した。

【養老鉄道の謎②】目まぐるしく会社名が変わっていった謎

初代の養老鉄道は養老線を開業させたが、その後、たびたび会社名を変更し、また合併を繰り返す。養老線を運営した会社名を順番に記しておこう。

 

「養老鉄道(初代)」→「揖斐川電気」(同社社長は立川勇次郎)と合併→「養老電気鉄道」へ譲渡→「伊勢電気鉄道」と合併、伊勢電気鉄道養老線に→「養老電鉄」へ譲渡→「参宮急行電鉄」と合併、参宮急行電鉄養老線に→大阪電気軌道と合併するとともに「関西急行電鉄」と改称→関西急行電鉄と南海鉄道が合併、「近畿日本鉄道」と会社名を変更。

 

短い時は一年足らずで名前が変わる有り様だった。昭和初期にはこうした全国の私鉄の合併が繰り返された時期だったとは言え、それにしてもすさまじい。利用者にとっては会社名すら覚える暇がなかったに違いない。

 

さまざまな会社の手を経て、太平洋戦争のさなかの1944(昭和19)年6月1日に近畿日本鉄道(以下「近鉄」と略)養老線となる。

↑養老線の主力車両として活躍してきた620系。元近鉄の車両は昭和40年代に製造されたものが大半。平成20年代に多くがリニューアルされたが、近年になり廃車となった車両が目立つ。写真の623編成も2019年限りで廃車となった

 

その後、60年以上の長い期間、近鉄の路線時代が続く。ところが2007年に、大きな変化の波が押し寄せた。近鉄が車両の運行などを近鉄グループホールディングス傘下となる「養老鉄道」に移管、鉄道施設などの維持管理は従来どおり近鉄が行う、と “上下分離方式”に変更したのだった。電車の運行を近鉄本体の鉄道事業から切り離し、別会社に移行させたのだった。

 

さらに2018年には、養老線管理機構という一般社団法人が造られ、鉄道施設や車両の維持管理を近鉄から同機構が行う形に改めている。ちなみに同管理機構は、沿線の7つの市町村が親団体になっており、機構の事務所も大垣市役所内にあり、代表理事も、現在大垣市の副市長が務める。なお、養老鉄道は従来通り、養老線の旅客輸送に携わる鉄道事業者となっている。

 

こうした歴史をたどるだけでも、ローカル線を長年にわたり運行させることの難しさが伝わってくる。

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