【養老鉄道の謎⑧】唯一の高架化区間が僅かにある不思議
美濃高田駅を発車すると、路線は大きく右にカーブする。そして養老山地を背にして再び、広々した平野を走り始める。広がるのは左右とも水田だ。
そしてこの先、ちょっと不思議な光景に出くわす。突然のように高架路線を走り始めるのだ。これまでの路線および風景が、のどかそのものだっただけに、その違いに驚かされる。そして烏江駅(からすええき)に到着する。
烏江駅はホーム一面の高架上の駅だが、養老線の中では異質な存在だ。そして牧田川、杭瀬川をわたり、大きく左へカーブ、再び地上へ降りていく。
なぜ烏江駅のみ高架駅となったのだろうか。実はこの烏江駅の近くを流れる川こそ、昔は揖斐川の本流が流れていた。そのため河川敷が広い。この川の改修工事をするにあたって、1997(平成9)年に高架化されたのだった。ちなみに、この高架区間では養老線で唯一、つなぎ目のないロングレールが使われている。
烏江駅の隣、友江駅から大垣市へ入る。大垣駅が近づくに連れて、沿線に住宅が増えてくる。東海道新幹線の高架橋をくぐれば、間もなく西大垣駅だ。
この西大垣駅では隣接する大垣車庫に注目したい。どのような車両が留置され、また整備されているか、鉄道ファンとしては見逃せない駅でもある。
【養老鉄道の謎⑨】大垣駅へスイッチバック区間が続く不思議
西大垣駅を発車した電車は間もなく、大きく右カーブを描き、大垣駅に近づいていく。すると左から1本の線路が近づいてくる。この線路は?
こちらは養老線の大垣駅〜揖斐駅区間の線路だ。そして約1kmにわたり、桑名駅から大垣駅へ向かう電車と、揖斐駅から大垣駅へ向かう電車が並走して走る。養老線の大垣駅はいわゆるスイッチバックの形となっているのだ。
養老線開業当初の地図を見ると、大垣駅の南側にはすでに市街があった。東海道本線の大垣駅は1884(明治17)年に市街の北端に設けられた。養老鉄道では路線を開業させるにあたり、市街を縦断することを避けた。そして都市化が進んでいなかった西側を回り込むように走るルートを選択したのだった。
乗車した電車は揖斐方面へ向かう線路と合流、1kmほど並走して大垣駅へ到着した。大垣駅は約16万人の人口を誇る大垣市の玄関口ということもあり、養老線の駅では最も賑わっている。最近、駅ビル「アスティ大垣」がリニューアルしたこともあり、食事処にも事欠かない。
養老線の大垣駅と駅ビル内にあるJR大垣駅は同じ場所ではないものの、専用の通路もあり、JR線との乗換もスムーズに行える。
養老線の大垣駅は1つのホームをはさむように線路が2本あり、南側の1番線が上り養老・桑名方面、2番線が下り池野・揖斐方面となっている。
桑名駅発の電車はほとんどが大垣駅止まりで、終点の揖斐駅までは行かない。そのため揖斐駅方面へ乗車する時には、大垣駅での乗換が必要になる。
養老線の大垣駅ホームに入ると、JR大垣駅のホームとの間に複数の留置線が設けられていることに気付く。養老線はJR東海道本線と線路幅が同じで、かつてこの付近に両線を結ぶ連絡線が設けられていた。
現在はそうした連絡線が取り除かれている。そのため、東急の7700系を導入した時には東海道本線を使っての車両輸送が行えず、横浜から西大垣まで一両ずつトレーラーを使って陸送された。