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2020/6/21 18:30

 今も各地で活躍する「譲渡車両」に迫る〈元JR電車の場合〉

〜〜全国の私鉄・三セク路線を走る譲渡車両その2 電車〜〜

 

全国のJRの路線で長年にわたり活躍し続けてきた国鉄近郊形電車115系。59両が長野県内を走るしなの鉄道に譲渡されて、走り続けてきた。同社にも後継となる新車が導入されはじめ、115系も今後は徐々に引退していきそうだ。

 

しなの鉄道のように各地で利用されてきた譲渡車両。今回は、譲渡車両の中で、元JRの電車の“働きぶり”を見ていこう。導入している会社数は、それほど多くないものの、リメイクされて主力車両として活躍する電車が目立っている。

 

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【注目の譲渡車両①】三セク転換時に譲渡された電車が目立つ

JRの電車は、JRの在来線が第三セクター鉄道へ転換される時に譲渡されるケースが圧倒的に多い。路線を長年走った車両が譲渡される例が目立つ。新車両への切替えが不要で、新会社としてもスムーズに新体制へ移行できる利点がある。

 

まずは東北地方から、こうした三セク転換時に譲渡された電車の例を見ていこう。

 

◆JR東日本701系 → 青い森鉄道701系

↑青森県内を走る青い森鉄道701系。ステンレス車体に水色の塗装を施す。正面のイラストは同社のイメージキャラクター「モーリー」

 

東北本線の延伸に合わせて、誕生したのが青い森鉄道である。岩手県との県境の駅、目時駅(めときえき)〜青森駅間の列車運行を行う。

 

走るのは青い森701系電車と青い森703系電車だ。このうち青い森701系の2両編成×8本16両がJR東日本からの譲渡車両。JR東日本当時は701系交流電車だった。青い森701系となり、銀色の車体に水色のラッピングを施され走っている。ちなみに青い森701系の2両が自社発注の電車で、青い森701-101+青い森700-101と、共に101という数字が付く。

 

◆JR東日本701系 → IGRいわて銀河鉄道IGR7000系

↑IGRいわて銀河鉄道の元701系はIGR7000系と形式名が変更されている。青い森701系とは塗装やシングルパンタなど機器の一部が異なる

 

東北新幹線の八戸延伸に合わせて生まれたのがIGRいわて銀河鉄道。東北本線の三セク転換に合わせて、2002(平成14)年12月1日から盛岡駅と青森県との県境、目時駅間の列車運行を担っている。

 

使われる車両はすべてIGR7000系で、2両編成×7本の計14両が走る。そのうち6両が新造車両で、残る8両がJR東日本からの譲渡車両だ。列車は県境の目時駅どまりではなく、盛岡駅〜八戸駅間は青い森鉄道の701系と相互乗り入れする形で走っている。

 

【注目の譲渡車両②】群馬を走った電車が故郷の上信電鉄で活躍

◆JR東日本107系 → 上信電鉄700形

↑上信電鉄700形第3編成は元JR107系のリバイバルカラー。上信電鉄へやってくる前のカラーに塗られ、懐かしい姿で走る

 

107系はJRグループが発足して間もない1988年に、北関東を走る両毛線や日光線用に開発された。朝夕のラッシュに対応できるようにデッキがない3扉仕様で登場、2両×27編成計54両が製造された。登場してから30年ほどだったが、同じ年代に造られた211系の余剰車両が、北関東の路線に移籍したこともあり、2017年に引退している。

 

この107系の100番台(JR東日本の高崎支社管内用)のうち、比較的新しい2次形、計12両が上毛電鉄に譲渡された。

↑第3編成は、ホワイトタイガー模様に。群馬サファリパークの広告車として走る。上信電鉄ではこうした広告ラッピング車両が多く走る

 

それまで上信電鉄では自社発注の車両と、主に旧西武鉄道の電車が走っていた。2013年には31年ぶりの新型7000形が導入されたが、同車両は2両のみの新造にとどまっている。一方、107系あらため700形は、徐々に投入が図られ、5編成計10両が走る。すでに上信電鉄の主力車両となっているといって良い。

 

107系は元々北関東の路線用に造られた車両。その車両が故郷ともいえるような高崎近郊を走り続けるというのも鉄道ファンとしてうれしいところ。さらに5編成とも異なったカラーに塗り替えられ、乗る・出会う楽しさが生み出されている。

 

【注目の譲渡車両③】富士山麓を走る富士急行で205系が大変身

◆JR東日本205系 → 富士急行6000系

↑富士山を背景に走る富士急行6000系。元JR205系ながら改造が施され、車体も一新。その姿は別車両のように見える

 

205系といえば、国鉄の最晩年、1985年に誕生した電車。山手線をはじめ、首都圏を中心に多くの路線で活躍してきた。JR東日本の路線では今も武蔵野線など一部の路線に残る。

 

この205系を導入するのが山梨県を走る富士急行。同社では6000系と形式名も変更、デザイナーの水戸岡鋭治氏により車内外のデザインを一新した。例えば床材などフローリング、座席は車両ごとに異なるデザインにするなど、おしゃれな造りに変更されている。

 

すでに3両編成×7編成が導入され、富士急行の主力車両となっている。外観はブルーを基調とした基本仕様だけでなく、マッターホルン号、リサとガスパールトレイン、トーマスランド20周年記念号など、とさまざまなラッピング塗装が施され、沿線を華やかに彩る。

↑富士急行開業90周年記念車両として走る6000系。中間車を先頭車用に改造した車両でこれまでの6000系とは先頭の形が異なる

 

元となった205系は当初、幹線の通勤電車用に造られた。その後、支線での運行が増えるに従って、多くの編成が必要になり、中間車を先頭車両用に改造した車両(205系3000番台)が登場した。既存の205系とは前照灯が付く場所が異なり、スリムな印象となっている。

 

この3000番台をベースとした6000系が富士急行開業90周年記念車両として、2019年に加わった。渋めの金色ベースに富士山のイラストが入るシックな姿で、富士急行6000系の新しい一面を魅せている。

 

◆JR東海371系 → 富士急行8500系

↑8500系「富士山ビュー特急」。元JR東海371系とは思えないほど大きく模様替えされた

 

富士急行にはもう1車両、忘れてはならないJRからの譲渡車両が働いている。富士急行では8500系「富士山ビュー特急」として走る。この車両、元はJR東海の371系だった。371系は、新宿駅〜沼津駅間の小田急小田原線とJR御殿場線の相互乗り入れを行う特急形電車として開発、主に特急「あさぎり」として運行された。景色がよく見えるようにハイデッカー構造とされ、中間車は2階建てだったが、バリアフリー化の時代の流れもあり、早々に引退した。誕生してから23年ばかり、と特急形電車としては、短命な車両だった。

 

引退したのが2014年秋だったが、翌年に譲渡されたのが富士急行だった。ほぼ1年をかけて大改造。水戸岡鋭治氏にデザインにより、「富士山ビュー特急」として生まれ変わった。水戸岡氏流の色付けがなされた車内、1号車の特別車両ではスイーツプランを楽しむこともできる。

 

富士急行線は、週末に連絡するJR中央本線からE353系特急「富士回遊」、211系普通列車、E233系中央線など多くの列車が乗入れる。JR車両に加えて、JRからの譲渡車両の種類も多くバラエティに富む。車両は多様でいつ訪れても楽しい路線である。

 

【注目の譲渡車両④】往時を彷彿させる長野電鉄の元253系

◆JR東日本253系 → 長野電鉄2100系

↑信州を走る元253系。現在は2100系スノーモンキーとして親しまれている。長野電鉄の特急は運賃+特急100円で乗車できておトクだ

 

長野駅と湯田中駅を結ぶ長野電鉄長野線。地方の私鉄としては珍しい有料の特急列車が走る。かつては2000系といった、当時の私鉄の特急形電車としては時代の先端を行く優秀な車両を走らせていた。その後は利用客の減少もあり、自力での車両開発は難しく、他社から車両を譲り受けて、列車を走らせている。

 

特急列車に使われる車両は1000系と2100系。1000系は元小田急電鉄のロマンスカーHiSE(10000形)で、2100系は元JR東日本253系である。253系といえば、初代の特急成田エクスプレスとして活躍した特急形電車で、今も一部がリメイクされ、JR東日本の特急「日光」「きぬがわ」として走る。

 

一方、長野電鉄に譲られた253系は3両×2編成、長野電鉄の2100系となり、「スノーモンキー」というニックネームが付けられた。この2100系、以前の成田エクスプレスのカラーに近い。首都圏を走った成田エクスプレスが信州を走るとは、鉄道ファンとしてうれしいところだ。

 

【注目の譲渡車両⑤】さらに注目が集まるしなの鉄道の115系

◆JR東日本115系 → しなの鉄道115系

↑「長野色(2代目)」の115系が浅間山の麓を走る。115系は勾配路線用に開発された車両で、首都圏では中央本線や上越線などで活躍した

長野新幹線、その後の北陸新幹線の開業とともに誕生した、しなの鉄道。在来線の信越本線を引き継ぎ、軽井沢駅〜篠ノ井駅間がしなの鉄道線、長野駅〜妙高高原駅を北しなの線として運行を続ける。

 

走る電車は元JR東日本の115系。計59両が譲渡された。えんじ色をベースにしたしなの鉄道塗装車両以外に、多彩な「懐かしのカラー・ラッピング列車」を走らせる。グリーンとオレンジの「湘南色」、元横須賀線の車体カラー「横須賀色」。信越本線を走った「初代長野色」、2代目の「長野色」など6種類のカラーリングを施した115系が走る。毎月、「車両運用行路表」で、各車両の運行時刻と行路表を公式HPで発表している。115系好きにはうれしいサービスである。

↑「初代長野色」のしなの鉄道115系。1989年に登場のカラーで、長野冬期五輪が開かれた1998年以降は2代目「長野色」に変更された

 

しなの鉄道にも新しい時代が訪れている。7月4日からSR1系という新車を導入、有料快速列車の運行が開始される。SR1系は将来、2両×26編成、計52両が増備される予定で、今後は普通列車にも使われる予定だ。

 

東日本の115系は、しなの鉄道と、JR越後線などの新潟地区の一部に残るのみとなった。これらの車両も、今後、どのぐらい走り続けるか気になるところ。新潟地区の115系も、しなの鉄道の115系も、新車が増備されるに従って、徐々に減っていくことになりそうだ。あと数年後には東日本の115系は消えていく運命なのかも知れない。

 

【注目の譲渡車両⑥】他社へ初めて譲渡された「E」付き電車

◆JR東日本E127系 → えちごトキめき鉄道ET127系

↑E127系0番台はえちごトキめき鉄道に譲渡されてET127系となった。外装は同社流にアレンジされ楽しい姿の車両となっている

 

2015年3月の北陸新幹線金沢駅延伸に合わせて、沿って走る在来線が次々に第三セクター鉄道線への転換が行われた。新潟県を走る信越本線と北陸本線は、えちごトキめき鉄道となった。そのうち元信越本線は、直流電化区間で、転換前までは、おもに115系が走っていた。だが、えちごトキめき鉄道へは115系ではなく、新潟地区を走っていたE127系0番台が譲渡された。

 

E127系0番台は1995年からの製造と、115系に比べて新しい。2両編成と地方路線では使い勝手が良いことから10編成が改修された上で、えちごトキめき鉄道へ譲渡された。同社に移ってからはET127系と形式名を変更、外装も妙高の山々を描いたラッピング塗装などが行われた。

 

1993年以降にJR東日本が開発した車両形式には頭に「E」が付く。このEが付く車両の中では他社への初の譲渡車両となった。E127系0番台はJR東日本にも2両×2編成が残る弥彦線などで使われている。ちなみにE127系は100番台も造られ、長野地区に配置された。こちらは701系交流電車に似た正面の形をしている。

 

【注目の譲渡車両⑦】今や貴重となった国鉄形交直流電車

◆JR西日本413系 → あいの風とやま鉄道413系

↑あいの風とやま鉄道413系。武骨ながら国鉄車両らしい姿で人気も高い。行先表示部分が埋められるなど特徴ある形をしている

 

北陸新幹線の開業時に、富山県内の北陸本線はあいの風とやま鉄道線となった。路線は倶利伽羅駅〜市振駅(いちぶりえき)間だ。列車は石川県内の金沢駅〜泊駅(富山県)間はあいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道の車両が互いに乗入れる形で運転されている。

 

主力車両は521系だが、413系という国鉄形の電車も走っている。あいの風とやま鉄道がJR西日本から譲りうけ、走らせている電車だ。この413系、今となっては非常に珍しい電車だ。413系は交直流電車で、それまで老朽化が著しかった475系、457系といった、交直流電車の電装品、台車などを流用して造られた。登場したのは1986年で、国鉄の最晩年の車両だ。おもに北陸本線で活躍してきたが、新型521系の登場もあり、近年は、車両数が減ってきていた。

 

あいの風とやま鉄道には、3両×5編成が譲渡された。そのうち1編成は「一万三千尺物語」という観光列車に、また1編成は簡易改造されてイベント列車「とやま絵巻」という名で走っている。

 

JR西日本の金沢総合車両所に16両の413系が残っているが、これらの車両も含めて、今では貴重な国鉄形の交直流電車となっている。

 

【注目の譲渡車両⑧】同じ521系もカラーで印象が大きく変わる

◆JR西日本521系 → あいの風とやま鉄道521系
◆JR西日本521系 → IRいしかわ鉄道521系

↑あいの風とやま鉄道の521系。風をモチーフとした2色のラインが車体横に入る。山側は水色(写真)、海側が緑色のラインだ

 

北陸新幹線の金沢延伸に合わせ、三セク転換され誕生したあいの風とやま鉄道と、IRいしかわ鉄道。元北陸本線の金沢駅〜泊駅間で普通列車を走らせる。JR西日本から譲渡されたのが前述した413系に加えて、521系だった。521系交直流電車が、登場したのは2006年のこと。譲渡車両としては比較的、新しい。この521系があいの風とやま鉄道に、2両×16本32両、IRいしかわ鉄道には2両×5本10両が譲られた。

 

その後、あいの風とやま鉄道では521系の自社発注車両を2編成導入している。あいの風とやま鉄道の方が、圧倒的に車両の保有数が多い。これは路線の営業キロ数がIRいしかわ鉄道の17.8kmに対して、あいの風とやま鉄道が100.1kmと圧倒的に長いことにもよる。駅や沿線で出会う電車も、あいの風とやま鉄道の車両の方が多く、IRいしかわ鉄道の車両に出会う確率は少なめだ。同じ521系でも両社のカラーリングは異なっていて、この違いもまた興味深い。

↑前面が水色一色のIRいしかわ鉄道の521系。水色と青い配色に加え、帯と転落防止幌に車両ごと異なる色が入る。写真の編成は草色/緑色カラー

 

【注目の譲渡車両⑨】本線走行はできないが博物館級のお宝電車

◆日本国有鉄道モハ90形 → 熊本電気鉄道モハ71形

↑北熊本車庫内の入れ換えなどに利用されるモハ71形。写真は2012年の状況。最近、外観の色があせてきているのが気になる

 

これまで見てきたようにJRから譲渡される電車は、東日本、中部地方が圧倒的に多い。西日本ではほぼ見当たらない。最後に本線を走ることはできず車籍はない車両だが、動態保存車両として異例の歴史を持つ車両の例を見ておこう。

 

熊本電気鉄道のモハ71形。こげ茶色の角張った車両で2扉、車体の長さは12mと短い。半鋼製で木の床である。この電車、現在のJR可部線の前身、広浜鉄道が発注した電車で、1928(昭和3)年製という歴史的な電車だ。その後に広浜鉄道は国鉄に買収され同車両も転籍、可部線を走り続けた。太平洋戦争末期、広島に原爆が投下された1945(昭和20)年8月6日には、下関の工場で整備をしており、戦火を免れた電車でもある。

 

熊本電気鉄道には1954(昭和29)年に譲渡され、長い間、活躍してきた。まさに博物館に納まるような電車なわけで、末長く保存されることを願ってやまない。

 

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