【富士急行線の秘密②】実は富士山駅を境に路線名が変わる?
富士山麓電気鉄道がまとめ役となり、この地域の鉄道を整備した。現在の富士急行が富士山麓電気鉄道により創始されたと言って良いだろう。太平洋戦争後の1950(昭和25)年8月24日には富士吉田駅〜河口湖駅間の路線を開業、10年後の1960(昭和35)年に富士急行と社名を改めている。
富士急行線の正式な路線名は大月駅〜富士山駅間を大月線、富士山駅〜河口湖駅間を河口湖線と呼ぶ。富士急行線といのは実は2本の路線の総称なのだ。
富士急行線では2路線を通して列車が運行されている。この2本の正式な路線名はほぼ使われていない。そのため、筆者も正式な路線名があることを迂闊にも知らなかった。開業までの歴史もそうだが、富士急行線は予想以上に奥が深い。
【富士急行線の秘密③】富士山麓を何m登っているのか?
起点の大月駅から、富士急行線を乗ると、電車が勾配を徐々に登っていくことがわかる。大月駅が標高358m、終点の河口湖駅は857mにもなる。起点と終点では標高が500mも違うのだ。
単純計算すると全線の平均勾配が18.8‰(パーミル)。つまり1000m走るうちに18.8mほど登ることになる。鉄道路線としては、平均勾配の数値をみただけでも、結構、きつい勾配であることが分かる。だが、平均した角度の坂が続くわけではない。傾斜がなだらかなところがあれば、逆に傾斜がきつくなるところがある。
路線を敷く時には、少しでも勾配を緩くして線路を敷こうとする。もちろん富士急行線でも、それは同じで傾斜の角度を少しでも減らすべく各所で工夫され線路が敷かれている。とはいえ、かなり勾配は険しく、またカーブが多い路線となっている。山岳路線の宿命といってよいだろう。
大月駅の富士急行線のホームは1・2番線となる。JR東日本のホームが3〜5番線なので、富士急行線側からホームの番号がふられているわけだ。富士急行線の大月駅のホームは行き止まり式。駅舎側に線路止めがあり、3両編成の電車が発着している。
一方、JR東日本から直接に乗入れる列車は3・4番線からの発着で、連絡線を通って富士急行線へ入っていく。
大月駅から、勾配に注意を払いながら、乗車を楽しんだ。大月駅から左へ大きくカーブ。すぐに上大月駅に到着する。この駅付近から国道139号が平行して走る。国道139号は「富士みち」とも呼ばれる富士山北麓の幹線道路だ。さらに桂川も沿って流れる。田野倉駅と禾生駅(かせいえき)の間、頭上はるか上を高架橋が通る。これは将来、JR東海のリニア中央新幹線となる予定のリニア実験線の高架橋だ。
15分ほどで都留市駅(つるしえき)へ到着する。都留市の中心駅で乗降客も多い。学生の乗降客が多い都留文科大学前駅といった駅を通り、列車は桂川を右に左に眺めつつ、徐々に標高をあげていく。
十日市場駅、東桂駅付近からは、勾配標を意識して眺めた。33.3‰、11.4‰、30.0‰、15.2‰、10.0‰、30.3‰と進行方向左側に数字が書かれた標識が、ほとんど間断なく続く。三つ峠駅からさらに険しさを増す。33.3‰、16.2‰、そして40‰!
40‰という勾配は富士急行線最大の勾配区間を示す。今の高性能な電車はスピードを落とすことなく、ぐいぐいと乗りきってしまうのだった。
ちなみに日本の粘着式鉄道では箱根登山鉄道の80‰が最大で、京阪電気鉄道の京津線(けいしんせん)に61‰の急坂がある。いずれも急坂用に造られた車両が走る路線だ。両路線に比べると、数値としては角度が緩いが、それでもかなり険しい部類に含まれる。