【富士急行線の秘密④】富士山が見える場所は意外に少ない?
さて三つ峠駅〜寿駅間といえば、もっとも富士山の姿が良く見える場所として知られている。列車も、途中、景色の良い区間では富士山の景色が充分に楽しめるように徐行しつつ走る。
同区間には富士山と電車を絡めて撮影できるスポットがある。しかし、富士急行線に乗ると、意外に富士山が見える箇所が少ない。開けた土地が少ないこと、国道沿いに民家が多いこと、手前に山がつらなること、などの理由が重なり、富士山が見通せる場所が少ないということもあるだろう。
とはいえ、良く見通せる箇所では、電車は充分にスピードを落として、富士山の景色が楽しめるように“サービス走行”を行う。そんなスピードを落とす箇所が、三つ峠駅から寿駅間にかけて。この駅間は富士山のおすすめ撮影スポットが複数ある。そんなスポットで撮影した写真も紹介しておこう。
【富士急行線の秘密⑤】三つ峠駅〜寿駅間にある慰霊碑は?
富士山の眺望が素晴らしい三つ峠駅〜寿駅間だが、前述したように最急勾配がある。この40‰の最急勾配区間で、50年ほど前に痛ましい事故が起きた。
1971(昭和46)年3月4日に起きた富士急行列車脱線転覆事故の現場である。当時を振り返ってみたい。
河口湖駅発、大月駅行の電車が富士吉田駅(現・富士山駅)を発車、朝8時過ぎに次の駅、月江寺駅(げっこうじえき)の手前にある月江寺第2号踏切にさしかかった。そこに小型トラックが進入してきた。ドライバーが小型トラックのサイドブレーキをしっかりかけず停め下車してしまった。そのため、動き出したのだった。なぜそんなことが……。積んでいた荷物が荷崩れ、また落とした荷物を拾おうと、ドライバーは下車したとされる。不運が重なった。
電車と小型トラックは衝突。電車の下に小型トラックが巻き込まれてしまった。巻き込んだ小型トラックが電車の空気だめを破損した。当時の電車のブレーキシステムは空気だめを利用するシステムで、空気だめが壊れるとブレーキが効かなくなる。
ブレーキが効かなくなった電車は、急勾配を暴走し始めた。月江寺駅、下吉田駅、葭池温泉前駅、暮地駅(現・寿駅)を猛スピードで通過、暮地駅の先はカーブが続く。しかも40‰の急坂。暴走した電車はこらえ切れず、脱線転覆してしまったのだった。
乗っていた120人のうち、17人が死亡、69人が負傷するという大惨事になった。その後、電車のブレーキは多重化したシステムを利用するようになった。不運が重なった痛ましい事故だったが、その経験が、後の安全な電車造りに大きく役立っている。
【富士急行線の秘密⑥】寿駅が駅の名前を改めた理由は?
前述した事故があったちょうど10年後に一つの駅の駅名が変更された。ちょうど事故があった最寄りの駅、寿駅のことである。この駅は以前、暮地駅(くれちえき)だった。そのままでも良さそうに思えるが……。
暮地の「暮」の字は墓地の「墓」の字に似ていて、縁起が悪いとされたのである。事故がなかったら何の問題もなかったのだろうが、死者まで出た痛ましい事故が近くで起ったことが問題視された。そこで10年後の1981(昭和56)年に寿駅とされた。同駅は無人駅だが、縁起が良い駅名ということで入場券が富士急行線の有人駅で発売されている。
痛ましい事故があったことを知る人も、今となっては少なくなっている。駅の改名の裏に悲劇が隠されていたとは、興味深い話である。