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2020/7/20 10:15

今も各地で働き続ける「譲渡車両」に迫る〈元首都圏私鉄電車の場合〉

〜〜首都圏を走った私鉄電車のその後1〜〜

 

旅先で、かつて身近に走っていた電車に出会い、とても懐かしく感じられることがないだろうか。首都圏や京阪神を走っていた当時の“高性能電車”の多くが、各地の私鉄路線に移り、第2の人生をおくっている。

 

今回は、首都圏を走った大手私鉄の電車のうち、車両数が多い元東急、元西武鉄道以外の電車にこだわって、その後の姿を追ってみた。かつての姿を色濃く残す電車がある一方で、大きくイメージを変えた電車もあった。

 

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【注目の譲渡車両①】東急・西武以外では元京王電車の姿が目立つ

↑富士急行の1000形は元京王の5000系(初代)。写真はリバイバル塗装車。筆者が少年時代に京王線で出会った車両(右上)とほぼ同じ

 

大手私鉄の電車の中で各地の鉄道会社へ譲渡されることが多いのが、東急と西武鉄道の電車だ。それぞれ自社系列の工場で整備、改造を施した電車が、導入されるとあって、地方の鉄道会社にとってもありがたい存在でもある。

 

この東急と西武鉄道に次いで、各地の鉄道会社で走る車両数が多いのが、京王電鉄の電車だ。意外かも知れないが、これは京王グループの一員でもある京王重機整備という会社の存在が大きい。

 

この会社は京王電鉄の本線系統、井の頭線の電車の整備点検を行う。さらに引退した電車を、各地の鉄道会社用に、改造、整備をした上で送り出す仕事も請け負っている。年期の入った車両でも機器などを新しいものに変更し、またそれぞれの会社の実情にあった改造を施す。

 

さて各地で活躍する元京王の電車だが、多いのは5000系(初代)と3000系の2形式だ。各地で活躍中の車両の姿を紹介しよう。

 

 

【注目の譲渡車両②】今も各地で活躍し続ける元京王5000系

↑1995年から走る一畑電車の2100系。写真はイベント車両「楯縫」。2両×4編成が走るが、新車の導入で編成数は徐々に減りつつある

 

使われる車両が多い元京王の5000系。同車両は車体の長さが18mと短めということもあり、ホームの長さなどの制約があり、また定員数が少なめでもよい車両を求める地方の鉄道会社としては、運用しやすい車両となっている。

 

この5000系はどこの鉄道会社を走っているのだろうか。以下の会社で形式名を変更されて走っている。

鉄道会社形式名
富士急行(山梨県)1000形・1200形
一畑電車(島根県)2100系
高松琴平電気鉄道(香川県)1100形
伊予鉄道(愛媛県)700系

*ほか岳南電車、銚子電気鉄道の元京王5000系は後述

 

初代の京王5000系は、京王電鉄京王線系統用に造られた電車で1963(昭和38)年に登場した。登場したころの京王線は、新宿近辺に残っていた道路併用区間を地下化し、架線電圧を1500Vに昇圧したばかりで、それに合わせた車両が必要となっていた。そのために5000系を新開発した。5000系は優秀な電車で当時の鉄道友の会ローレル賞を受賞している。1969年までに計155両が製造された。すでに京王線からは1996(平成8)年に引退している。

 

この引退に合わせるように、各地の鉄道会社へ引き取られていった。当時の優秀な電車とはいえ、すでに車歴は50年以上となる。これまで使われてきた要因の一つには、やはり京王重機整備のメンテナンスに負うところが大きい。

 

写真で、各社のその後の5000系の姿を見ておこう。各社それぞれ、塗り直され、独自の趣が濃くなっている。とはいえ、顔つきは、やはり京王5000系そのもの。特徴が強く残されていることも確かだ。

↑高松琴平電気鉄道の1100形。1997年以来、琴平線を走る。入線時の改造で、機器や台車などが変更されている

 

↑伊予鉄道700系。1987年から1994年にかけて導入された。現在はオレンジ色1色に塗り替えられ走り続けている

 

各地の鉄道会社に引き取られてすでに四半世紀。その間にかなり手を入れられ走り続ける元京王5000系がある。次は大きく改造されたその姿を見てみよう。

【注目の譲渡車両③】大きく姿を変えて走る元京王5000系

◆富士急行(山梨県)1200形「富士登山電車」

↑元京王5000系を改造した富士急行の富士登山電車。さび朱色という車体カラーで、内装は木を多用、展望席などを設け観光列車化した(左上)

 

富士急行の観光列車「富士登山電車」。元京王の5000系の改造電車で、まずは車体の塗装を富士急行開業当時の車体色「さび朱色」とした。内部を大きく改造し、クロスシート主体に。また窓側に展望席、そしてソファを設けるなど、観光列車としてイメージを一新している。外観は元5000系と変りは無いものの、中身はまったく違う造りとなっている。

 

◆一畑電車(島根県)5000系

↑前面の姿も大きく変更された一畑電車5000系。扉を片側2ドアに、座席もクロスシート主体に改造されている

 

大きく改造された元京王5000系がもう一系列ある。一畑電車では、元5000系のスタイルを踏襲した2100系とは別に、5000系という電車2両2編成が走る。京王重機整備で元京王5000系を観光用として改造した電車だ。

 

元5000系は正面の中央に貫通扉が付いているところが特徴だったが、この電車は貫通扉をなくし、前照灯の形と位置も大きく変えている。車内はクロスシートが主体の座席配置に変更し、乗降扉は2ドアとしている。元の電車が何なのか、分からないほどに様変わりしているのだ。

 

それぞれの鉄道会社に引き取られた元京王5000系は、車歴も古くなり、徐々に引退しつつある。しかし、こうして大改造された車両は、それぞれの鉄道会社で、この先しばらくの間は、主力電車として活躍し続けそうである。

 

 

【注目の譲渡車両④】第3のご奉公先という古参5000系が走る

◆岳南電車(静岡県)9000形

↑岳南電車の9000形。京王電鉄、富士急行、そして岳南電車が3社めという古参車両だが整備され塗装し直され新しい電車のように見える

 

元京王5000系には譲渡先から、さらに譲渡先に渡る、すなわち第3の奉公先という電車も出てきている。それだけ長持ちし、扱いやすい電車なのだろう。

 

岳南電車の9000形も第3の奉公先となった電車だ。元は富士急行の1200形だった。富士急行は岳南電車にとって親会社で、これまで岳南電車を走ってきた7000形(後述)の不具合もあり、自社を走っていた1200形を京王重機で改造工事を施した上で、岳南電車に入線させた。新たに塗装し直された姿は、富士急行当時とは、また違った姿で新鮮な印象を受ける。

 

◆銚子電気鉄道(千葉県)3000形

↑銚子電気鉄道の3000形。同社では最も“新しい”車両だ。伊予鉄道を経て千葉県の銚子へやってきた

 

千葉県を走る銚子電気鉄道にも元京王の5000系が走っている。この電車、元は愛媛県の伊予鉄道700系だった。どうして四国を経て、千葉県へとやってきたのだろうか。銚子電気鉄道は、架線の電圧が直流600Vだ。ちなみに京王電鉄をはじめ多くの路線が直流1500Vである。そのため改造しないと、京王電鉄の電車をそのまま銚子電気鉄道で走らせることができない。

 

銚子電気鉄道は、多くの方が知るように経営に余裕がない。そのため輸送費を使ってでも、同じ600V電化に対応するため、改造された伊予鉄道(750V電化区間もあり)の電車を希望したわけである。

 

見た目は、同じ元京王5000系でも、各社に合わせて改造が行われ、またさまざまな経緯を経て今を迎えているわけだ。

 

ちなみに銚子電気鉄道には、ほかに2編成、5000系とほぼ同じ顔を持つ電車が走っている。この電車のたどってきた経緯も興味深い。

 

 

【注目の譲渡車両⑤】ユニークな履歴を持つ銚子の2000形

◆銚子電気鉄道(千葉県)2000形

↑レトロな塗装が施された銚子電気鉄道の2000形は前後で姿が異なる。一方は“湘南”顔で、一方は元5000系の顔形をしている(左上)

 

銚子電気鉄道には3000形以外に2000形という電車が2両×2編成走っている。この電車、外川駅側の正面は、元京王5000系に良く似た形をしている。よく見ると元5000系の正面が左右のスソが絞られる形状なのに対して、この2000形の正面はスソがそのまま下までストレートに延びている。さてこの電車の大元は何だったのだろう。

 

銚子へやってくる前は3000形と同じように伊予鉄道を走っていた。伊予鉄道での形式は800系で、大元をたどると京王電鉄の2010系だった。京王電鉄からは多くの譲渡車両が地方の各社に渡っているが、京王重機整備が手がけた譲渡車両の第1号電車でもあった。台車は軌間幅に合わせて、井の頭線用のものに変更するなど、大改造を施されて四国へ渡っている。

 

さらに伊予鉄道へ渡ったのちにも、京王重機の出張工事により、現在の貫通扉付の運転台を取り付ける改造工事が行われた。譲渡後も、至れり尽くせりのサービスが行われていたわけである。

 

こうして改造された伊予鉄道800系だったが、元京王3000系の譲渡車両が新たに伊予鉄道に導入されたこともあり、同じ600V電化という縁もあり、銚子へやってきた。

 

ということで、形は5000系と良く似ているが、元京王の電車だったものの、元5000系とは別の車両だったわけである。譲渡車両は、なかなか奥が深い経緯をもった車両が隠されていて興味深い。

【注目の譲渡車両⑥】元京王3000系も各地で働いている

元京王5000系とともに、今も各地の鉄道会社に引き継がれ、使われて続けている元京王の電車がある。京王井の頭線を走った3000系である。この3000系も、各鉄道会社へ譲渡される時には京王重機整備が改造と整備を行なっている。

 

京王3000系は1962(昭和37)年〜1991(平成3)年まで計145両が製造された。井の頭線の主力車両で、2011年の暮れまで渋谷駅〜吉祥寺駅間を走っていた。当時に乗車した記憶をお持ちの方も多いのではないだろうか。さて、どこの会社に引き継がれたのだろう。

 

◆上毛電気鉄道(群馬県)700型

↑上毛電気鉄道の桐生球場前駅付近を走る700型。この電車が以前に走った井の頭公園を彷彿させる美しい桜並木が沿線に連なる

 

京王3000系には初期のオリジナルタイプと、後年にリニューアルされ、正面の窓が側面まで拡大されたタイプがある。上毛電鉄には初期のオリジナルタイプで、1998年から2000年に2両×8編成が同会社に引き渡された。

 

正面の色は井の頭線当時を彷彿させるカラフルな姿だ。8編成すべての色が異なり、路線を彩る。2両という短い編成は往時と異なるものの、井の頭線当時の様子をより伝える佇まいと言って良いだろう。

 

同社からは新型の後継車が導入されるという話しも伝わってきている。700型は元3000系のオリジナルな姿を残す車両だけに、今後が気になるところだ。

 

◆北陸鉄道(石川県)8000系・7700系

↑北陸鉄道浅野川線を走る8000系。2両×5編成が走るが、正面と帯の色はサーモンピンクのみとなっている

 

石川県に浅野川線と石川線の2本の路線を持つ北陸鉄道。同鉄道には2両×6編成が京王重機整備の改造・整備を経て導入された。すべてオリジナルタイプの車両で、形式名は浅野川線が8000系で5編成、石川線は7700系で1編成が1996年から2006年にかけて導入された。

 

同浅野川線には、東京メトロ日比谷線を走った03系(詳細後述)4両の導入が進められている。元京王3000系のみだった浅野川線の趣も、今後は変わっていきそうだ。

 

◆アルピコ交通上高地線(長野県)3000系

↑元京王3000系のリニューアル後の車両が導入されたアルピコ交通。白地に虹色のストライプ模様が入ったアルピコカラーで走る

 

1999年〜2000年にかけて導入されたアルピコ交通3000系。元京王井の頭線当時の形式名をそのまま引き継いでいる。リニューアルされた後の3000系を元に京王重機整備で改造・整備が行われた上で導入されている。北アルプスなどの山景色、雪景色を見ながら走る姿が絵になる。

 

◆伊予鉄道(愛媛県)3000系

↑3両編成で走る伊予鉄道3000系。伊予鉄道には路面電車との平面交差(写真)する踏切があり、同区間は直流600Vで電化されている

 

伊予鉄道の電車は600Vと750Vの2種類の架線電圧を跨いで走ることが必要となる。そのため入線にあたっては京王重機整備で、改造・整備が行われた。改造の際には省力化に有効なVVVFインバータ装置(ブレーキチョッパ装置付き)も搭載されている。当初、正面の色がアイボリーだったが、その後に伊予鉄道が進める車体の全面的な塗り替えが行われ、今は車体のステンレス部分を含めて、オレンジ一色となり、電車のイメージも一新されている。

 

 

【注目の譲渡車両⑦】前後に運転台を持つ岳南電車の元3000系

◆岳南電車(静岡県)7000形・8000形

↑元京王3000系としては異色の存在の岳南電車7000形。1両での運行が可能なように両側に運転台が設けられている

 

静岡県を走る岳南電車には1996年と1997年に元京王3000系を1両化した7000形3編成と、2002年に8000形2両1編成が導入された。

 

ユニークなのは前後に運転台を持つ7000形である。元は運転台のない中間車だった。そこで岳南電車に導入にあたり、京王重機整備で運転台をつける大改造を受けている。長年にわたり、日中の主力車両として走り続けてきたが、2018年に1編成に故障が起きて運用を離脱。そのため前述したように富士急行から元5000系にあたる1200形を改造した上で導入している。

 

今後も元京王3000系由来の名物車として富士山麓を走ってもらいたいものだ。

 

【注目の譲渡車両⑧】元日比谷線の電車が人気となった理由は?

↑熊本電気鉄道の03形は、元日比谷線を走った03系だ。外観はシルバーで元のままだが、排障器はいかついものに変更されている

 

近年、地方の鉄道会社から熱い視線をあびていた首都圏の車両がある。それが東京メトロ日比谷線を長年、走り続けてきた03系である。なぜ人気なのか。

 

その理由は1988(昭和63)年に登場した比較的新しい車両であること。アルミ製車体で腐食が少ないこと。さらに車体の長さが18m〜18.1mと首都圏を走る多くの車両の長さ20mに比べて短いということが大きい。

 

東京メトロの車両サイクルは約30年前後が一般的だが、03系の後期タイプ、もしくは代換新造車にいたっては、20年にも満たない車両だった。

 

そうした利点もあり、現在、長野電鉄、北陸鉄道、熊本電気鉄道に導入され、一部は、すでに走り始めている。

鉄道会社形式名
長野電鉄(長野県)3000系
北陸鉄道(石川県)形式名未定
熊本電気鉄道(熊本県)03形

 

最初に元日比谷線03系を導入したのが熊本電気鉄道で、03形としてすでに走り始めている。今年度中に2両×3編成が走る予定だ。

 

次いで走り始めたのが長野電鉄。今年の初夏から走り始める予定だった。ところが、コロナ禍のため、走り始める日程を発表するとファンが集まる心配があったことから、未発表のまま、すでに走り始めている。

 

北陸鉄道では浅野川線に導入の予定で、計4両が近日中に走り始める見込みだ。熊本電気鉄道の元03系は、日比谷線を走っていた当時のスタイルのほぼそのまま、長野電鉄では銀色の帯から赤い色の帯に変更されて走り始めている。

 

◆長野電鉄(長野県)3500系

↑セミステンレス車体特有の波板(コルゲート板)が特徴の長野電鉄3500系。03系の導入でいよいよ引退となりそうだ

 

長野電鉄が元03系の3000系を導入したことによって、元日比谷線の3500系が引退となりそうだ。長野電鉄3500系は元営団3000系で、日比谷線用に1961(昭和36)年から1971(昭和46)年にかけて304両が製造された。長野電鉄には計37両が譲渡された。営団3000系が譲渡されたのは長野電鉄のみで、長年、長野電鉄の“顔”として親しまれてきた。

 

同じ日比谷線出身の後輩03系の導入で、先輩が引退となるわけだ。何とも不思議な縁を感じる。ちなみに2017年には長野電鉄の3500系2両が東京メトロに戻されている。いわば2両のみ“里帰り”を果たしたわけである。

 

 

【注目の譲渡車両⑨】元都営の地下鉄が地方の主力車として走る

◆秩父鉄道(埼玉県)5000系

↑秩父鉄道の5000系。元三田線6000形で、秩父鉄道へは12両が入線し、今も主力電車として走り続けている

 

◆熊本電気鉄道(熊本県)6000形

↑熊本電気鉄道の名物区間、併用軌道区間を走る6000形。長さ20mの車両が併用軌道を走る姿が見られる。前面の排障器の形が面白い

 

東京の都心を南北に貫く都営地下鉄三田線。路線開業時に登場したのが6000形だった。製造されたのは1968(昭和43)年〜1976(昭和51)年で、計168両が1999年まで走り続けた。車体は外板がステンレス鋼、普通鋼を骨組みに使ったセミステンレスと呼ばれる車体となっている。鉄道友の会のローレル賞を受賞している。

 

この車両を整備・改造の上で、導入したのが秩父鉄道と熊本電気鉄道。車両の編成が短くなっているものの、三田線当時の水色の帯を残した姿で、往時を偲ぶ姿が楽しめる。

 

◆熊本電気鉄道(熊本県)01形

↑元銀座線01系が熊本電気鉄道01形となって名物併用軌道区間を走る。元の姿を残しつつも、熊本らしい佇まいがほほ笑ましい

 

熊本電気鉄道では03形、6000形以外にも、東京の都心を走った車両が姿を変えて走り続けている。01形である。01形はご覧の通り東京メトロ銀座線を走った01系である。01系は1983(昭和58)年から1997(平成9)年にかけて計228両が製造された。引退したのは2017年と、つい最近のことである。

 

熊本に渡った元01系は2両×2編成。西鉄テクノサービスで改造され、2015年春から走り始めている。銀座線当時、01系は、パンタグラフではなく、電気が通るサードレールから集電靴(コレクターシュー)によって集電して走っていた。熊本では、もちろん架線から集電するために、パンタグラフが新しく付けられた。パンタグラフを高々とかかげる姿は、銀座線当時を知っている者にとっては不思議に見えつつも、意外に似合っているようにも感じてしまう。

【注目の譲渡車両⑩】讃岐らしい風景の中を走る元京急の電車

◆高松琴平電気鉄道(香川県)1070形、1080形、1200形、1300形

↑高松琴平鉄道琴平線を走る1200形。讃岐らしいため池を横に見て走る。写真の車両はラッピング車両のため黄色一色で目立つ

 

京浜急行電鉄の電車といえば、高性能な電車づくりで定評がある。ところが、譲渡車両は少ない。唯一、元京急の車両を導入しているのが香川県を走る高松琴平電気鉄道(以下「ことでん」と略)のみだ。なぜなのだろう。

 

京急は1435mmという軌間を使っている。ことでんも1435mmと地方私鉄の路線としては珍しい軌間が使われる。元京急の電車が導入されている理由には、この幅が同じということが大きい。ちなみに、ことでんでは他に名古屋市営地下鉄の元電車と、京王の元電車が使われているが、名古屋市営地下鉄の東山線、名城線などの軌間は1435mmとなっている。京王のみ1372mmと異色だが、これは京王重機整備が改造を請け負ったこともあり、問題なくことでんに入線している。

 

ことでんには元京急の電車が4種類、引き継がれている。1070形が元京急600形(2代目)、1080形が元京急1000形(初代)。1200形が元京急700形(2代目)、1300形が元京急1000形(初代)という布陣だ。計44両と、ことでんのなかでは大所帯となっている。元京急の電車はことでん電車の冷房化にも貢献した車両でもあった。

 

ことでんでは京急時代の赤い車体に白い帯のリバイバル車両を復活させた。ひと時代前の京急を走った、やや丸みを帯びた車両が、讃岐路を存分に走る姿を痛快に感じるのは筆者だけだろうか。

↑高松城を横に見つつ走ることでん長尾線の1300形。元京急1000形(初代)だ。丸みを帯びた姿に懐かしさを感じる方も多いのでは

 

 

【注目の譲渡車両⑪】元ロマンスカーが甲信越を走り続ける

最後に首都圏を走った特急形電車で、他社に引き継がれた電車に触れておこう(西武鉄道の車両を除く)。小田急ロマンスカーの2形式が甲信越で働いている。両者とも、今も有料特急として輝く存在だ。

 

◆長野電鉄(長野県)1000系「ゆけむり」

↑長野電鉄1000系が志賀などの山々を背景に走る。元小田急の10000形だ。前後先頭車には人気の展望席が設けられる

 

長野電鉄の1000系は元小田急のロマンスカー10000形で小田急当時は「HiSE」という愛称がついていた。1987〜1989年製造と比較的、新しかったが、車内がハイデッカー構造で、バリアフリー化に向かないこともあり、2012年に引退に追い込まれた。

 

この車両のうち4両×2編成が長野鉄道へ譲渡され、2006年から走り始めた。愛称は路線に湯田中温泉など温泉が多いことから「ゆけむり」と名付けられた。

 

同列車は有料特急ながら、運賃+特急券(100円)と手軽に乗車が可能だ。前後の展望席も自由席とあって、人気になっている。

 

◆富士急行(山梨県)8000系「フジサン特急」

↑富士急行8000系「フジサン特急」。車体にはたくさんの“フジサンキャラ”が描かれる。1号車は指定席、2・3号車は自由席となっている

 

富士急行の8000系。元は小田急20000形RSEで、1990〜1991年に7両×2編成が造られた。この電車も小田急10000形と同じく、ハイデッカー構造+2階席があったことから、バリアフリー化の影響を受け、2012年に引退している。

 

富士急行では、この元小田急20000形3両を譲り受け、大改造を施した。フジサンのイラストが全面に描かれた「フジサン特急」として生まれ変わり、2014年の7月から走り始めている。特急券は自由席が200円〜400円で、1号車の指定席はプラス200円が必要となる。

 

小田急当時のRSEの面影は消えているものの、“愉しさ満開”といった姿で、すっかり富士急行の名物列車となっている。