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2020/8/2 18:30

乗れれば幸せ!? 車両数が少ないJRの「希少車」16選

〜〜さまざまな理由で誕生したJRの希少車〜〜

 

首都圏でオレンジ色の電車といえば中央線。“あれれ?”この電車、ふだん乗る電車と姿形が違う。このあまり見かけない珍しい電車は209系1000番台で、元は常磐線を走っていた。わけあって20両のみが中央線へやってきた。

 

今回はこうしたJRの「希少車」に注目した。調べてみると形式数は意外に多い。理由があって生まれた希少車。引退が取りざたされる車両も含まれる。そんなレアな車両に注目した。

*事業用車両および特急形車両・観光列車、機関車、また増備中の新型車両は除外しました。紹介した車両数は令和2年4月現在の情報です。

 

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【希少車に注目①】なぜ209系が中央線を走っているのか?

◆JR東日本209系1000番台 計20両(豊田車両センター)

↑中央線を走る209系1000番台。平日の朝などを中心に主力のE233系を手助けして走り続けている

 

中央線の通勤電車といえば車両のほとんどがE233系0番台。ところが朝を中心に見慣れない電車に出会うことがある。その電車が209系1000番台だ。現在、10両×2編成が走っている。

 

209系1000番台は1999(平成11)年、常磐緩行線用に造られた車両だった。常磐線では緑の帯を巻き、東京メトロ千代田線にも乗り入れた。地下鉄乗り入れ用ということで、正面に非常時用の貫通扉を設けているところが他の209系とは異なる。

 

すでに常磐線を走っていた209系1000番台は2018年10月に引退した。なぜその電車が中央線へやってきたのだろう。中央線を走るE233系はグリーン車2両を組み込み12両化する改造工事と、車内にトイレを付設する改造工事を進めている。改造工事のために工場に入ることが必要となり、そのために編成数が足りなくなる。 “応援部隊”が必要となった。その応援役として引退する予定だった209系1000番台に白羽の矢がたった。

 

中央線のグリーン車増結は当初の2020年度の予定から2023年度末に延びている。一方でE233系0番台の12年ぶりに増備がこの夏に行われた。209系1000番台はお役ごめんとなり、数年後には引退ということになりそうだ。

 

【希少車に注目②】2階建ての珍しい215系の気になる今後

◆JR東日本215系 計40両(国府津車両センター)

↑中央本線の繁忙期用臨時列車「ホリデー快速ビューやまなし」として走る215系。同車両の運用はますます減りつつある

 

215系は東海道貨物線を利用して走る「湘南ライナー」や「湘南新宿ライナー」といった着席サービスを提供するために造られた電車だ。10両編成の前後車両を除く車両のすべて2階建て。グリーン車を2両はさんで走る。1992(平成4)年から1993(平成5)年に4編成のみ製造された。40両という数字は多いものの、実質的にはあまり走っていない“珍しくなりつつある電車”、そして引退が予想される電車のため今回は取り上げた。

 

座席定員を増やすための2階建て仕様で、座席定員は普通車で最大120名となっている。215系は211系をベースにして造られたが、211系の座席定員が60名前後ということを考えれば、2階建て仕様が功を奏したと言えるだろう。ところが、バリアフリー化という時代の流れもあり、また215系と併用される185系の方が運用しやすいなどの理由があり、徐々に運用から外れていく。

 

現在は朝夕に走る湘南ライナーの一部列車と、多客期に運転される中央本線の「ホリデー快速ビューやまなし」といった列車に使われるのみ。日中は東海道線の茅ヶ崎駅などの留置線に停められている姿を見かけることが多い。

 

湘南ライナーの特急化などの話も出てきている。稼働率が低い215系は、湘南ライナーが消えるとともに、引退となりそうだ。JR東日本では希少となってきた形式名に「E」が付かない電車だけに、ちょっと残念でもある。

 

【希少車に注目③】仲間が他社へ移籍する中で残された4両

◆JR東日本E127系0番台 計4両(新潟車両センター)

↑吉田駅ホームに停車するE127系0番台。新潟県内の弥彦線などを走るわずか4両のみとなっている

 

新潟県内の普通列車には、長い間、急行形電車が利用されていた。ところが乗降口が前後2か所のため、朝夕のラッシュ時の乗降に時間がかかり不評だった。こうした古参車両に代わりに1995(平成7)年に登場したのが3扉仕様のE127系だった。計24両が造られ20年ほど新潟市と郊外を結ぶ列車を中心に活用されてきた。ところが今は4両のみしか残されていない。なぜだろう?

 

2015年に開業した第三セクター鉄道・えちごトキめき鉄道に2両×10編成が譲渡されたからである。2両×2編成のみがJR東日本に残され、同社内では希少車となった。またE129系という後継車両の増備が進んでいることもあり、追いやられるように弥彦線などを走るのみとなっている。

 

ちなみにE127系には1000番台もある。こちらは長野県内の路線用で、松本車両センターに配属、計24両が大糸線、篠ノ井線などの路線で活躍している。緑ベースの0番台と比べて、水色主体の車体、さらに正面の周囲にフチがあるデザインで、0番台とはかなり異なる“顔立ち”となっている。

【希少車に注目④】ハイブリッド化への礎を造った名車両

◆JR東日本キハE200形 計3両(小海線営業所)

↑小海線を走るキハE200形。車体横に誇らしく「HYBRID TRAIN」の文字が入る

 

日本の鉄道最高地点を走る小海線。高原を走るローカル線としても人気が高い。この路線を車体横に「HYBRID TRAIN」と大きな文字が入る少し目立つ気動車が走っている。この車両がキハE200形。2007年に3両のみが造られ小海線へ投入された。

 

キハE200形はディーゼルエンジンとともにリチウムイオン充電池を積み、蓄電池に貯めた電力を発車時に利用して走るハイブリッド式の気動車である。世界初の営業用ハイブリッド車両ということもあり、鉄道友の会のローレル賞を受賞している。ハイブリッド機構は標高が高く、勾配が急な小海線への投入で熟成化されていった。いわばハイブリッド式気動車の開発に大きく貢献したわけである。

 

ハイブリッド車両は今やJR東日本の複数の観光列車として、また幹線用の列車として多くが開発製造され、東日本各地で生かされている。希少車キハE200形の功績は大きい。

 

【希少車に注目⑤】新潟地区に投入され今は只見線の主力車両に

◆JR東日本キハE120形 計8両(郡山総合車両センター)

↑新潟地区を走ったころのキハE120形。2020年3月以降は黄緑色ベースの車体色に変更されて只見線を走り始めている

 

国鉄時代から引き継がれてきた気動車に代わるJR東日本の後継車両といえば、キハ100系、キハ110系。そして、2008年に新潟地区用に造られたのがキハE120形である。

 

先輩にあたるキハ100・110系との違いは車体にステンレス製軽量構体を利用していること。またスソ絞りの体型になったことだろう。このスタイルはその後に多く新造され各地で活躍するキハE130形に生かされている。

 

結局8両のみの導入となり長年、新潟駅を起点に磐越西線、米坂線、羽越本線などにキハ40系の後継車両として運用されてきた。2020年3月には新潟車両センターから郡山総合車両センターへ移動。ベース色もオレンジから黄緑に変更され、只見線の会津若松駅〜会津川口駅間を走り始めている。

 

【希少車に注目⑥】初の蓄電池駆動電車として烏山線を走る

◆JR東日本EV-E301系 計8両(小山車両センター)

↑非電化の烏山線を走る時にはパンタグラフを下げて蓄電池にためた電力で走る。電化区間ではパンタグラフを上げて走る(左下)

 

電化された区間では架線からパンタグラフで電気を取り込む。さらに非電化区間ではリチウムイオン電池に貯めた電力を利用して走る。EV-E301系は2014年に導入された日本初の営業用の、直流用一般形蓄電池駆動電車である。車両は2014年から2017年にかけて2両×4編成の計8両が造られている。

 

鉄道友の会からは2015年のローレル賞を受賞した。非電化路線用の今後の車両作りを具体化する電車として認められたわけである。車体の側面にはニックネーム「ACCUM(アキュム)」の文字が描かれている。

 

課題は現在の蓄電池の容量で走れる距離に限界があることだろう。烏山線が片道20.4kmの短い路線だから成り立つシステムでもある。終点の烏山駅には充電設備がありパンタグラフをあげて、電気の取り込みを行う。この充電にも時間を必要とする。ちなみに折り返す烏山駅の停車時間を見ると15分以上を要していた。

 

素晴らしいシステムではあるものの、まだ短い非電化路線でしか力を発揮できないシステムといえそうである。

 

【希少車に注目⑦】男鹿線を走る交流用の蓄電池駆動電車

◆JR東日本EV-E801系 計2両(秋田車両センター)

↑奥羽本線の電化区間を走るEV-E801系。非電化の男鹿線に入るとパンタグラフを降ろして、リチウムイオン電池に貯めた電力で走る

 

直流用のEV-E301系の交流区間用がEV-E801系だ。2017年3月に奥羽本線の秋田駅と男鹿線の男鹿駅間を走る列車用に2両が導入された。

 

すでに交流電化区間用には、2016年10月にJR九州のBEC819系電車が導入されていた。BEC819電車は筑豊本線(若松線)に導入され、後に香椎線(かしいせん)用にも増備されて活用されている。

 

EV-E801系はBEC819系をベースにした車両で、九州が電気の周波数が60Hzであるのに対して、東日本が50Hzと異なることに対応、また耐寒耐雪地向けの車両となった。ちなみに終点の男鹿駅には充電装置が設けられている。

 

愛称は烏山線のEV-E301系と同じく「ACCUM(アキュム)」。すでに3年に渡り営業運転を続け、実用化に目処がたったことから2020年度以降に増備される予定となっている。この増備で、男鹿線を走ってきた既存のキハ40系は、置き換えということになりそうだ。

 

【希少車に注目⑧】2編成のみ造られた北海道の希少な電車

◆JR北海道735系 計6両(札幌運転所)

↑ステンレス製の733系と連結して走るアルミニウム合金製の735系。両車両の外観はほぼ同じだが、735系は側面には色帯が付かない

 

ここからは各地を走るJRの希少車をとりあげよう。まずJR北海道から。札幌を中心に、多くの通勤形交流電車が走っている。721系、731系、そして車両数が多いのが733系である。733系とほぼ形は同じながら、側面に黄緑の帯が入らず、すっきりした姿の電車を時々見かけることがある。この帯が無い車両が735系電車だ。

 

この735系電車は2010年に3両×2編成のみ造られた。なぜ6両のみとなったのだろう?

 

735系はアルミニウム合金製の車体を持つ。アルミは軽量化、そして整備のコスト低減に結びつくことから、導入を図る鉄道会社も多い。そうした理由もありJR北海道でも735系の導入を図ったのだが、北海道は酷寒地である。アルミニウム合金製の電車が同じような環境で使われた先例がなかった。そのため6両を造ったものの短期間の試験で導入するのは、時期尚早という結論に至った。

 

JR北海道では735系の増備ではなく、2012年からは主力電車となる733系電車を新造という道をとった。733系のデザインは735系とほぼ同じだが、こちらはステンレス製である。すでに導入されていて充分に実績があった素材を使ったというわけである。

 

735系はわずか6両のみとなった。札幌近郊を走る電車の車両数は334両と多く、735系に出会う確率が少ない。それだけ出会えない電車となっている。

 

【希少車に注目⑨】電車との併結運転が可能な珍しい気動車

◆JR北海道キハ201系 計12両(苗穂運転所)

↑函館本線を走るキハ201系。走行性能に優れ、ニセコライナーといった優等列車にも利用されている

 

キハ201系は1996年に3両×4編成が誕生した。それまでのJR北海道の主力気動車といえば、キハ40系やキハ150形だった。函館本線の小樽よりも先は非電化区間となっている。この非電化区間から札幌方面へ気動車が直接に乗り入れることも多かった。ところが、既存の気動車は動きがやや鈍く、スピードも遅め。そのため他の電車の運行をさまたげる要因なってしまう。

 

そうした問題を解決するために開発されたのがキハ201系だった。キハ201系は最高運転速度120km/hと優秀な走行性能を誇る。さらにキハ201系は同時期に開発された731系電車と連結し、協調運転ができるように造られた。こうした電車と気動車が連結して協調運転を行う例は現在、北海道のみとなっている(他にJR東日本のSL銀河の例があるが、こちらは異例として見たい)。

 

非常に珍しいわけだ。ところが、最近は731系と協調運転されるケースが稀になっている。ニセコライナーが一番の“ハレ”の舞台となっているが、これも蘭越発、札幌駅行きが朝に1本、札幌を夕方に発車、倶知安駅行の列車が1本あるのみとなっている。札沼線の非電化区間が廃止されたこともあり、残る運用は函館本線内の電化区間を電車に混じって走るぐらいと、その性能が活かしきれていないのがちょっと残念だ。

 

【希少車に注目⑩】効率的な車両運用を行うJR東海で稀な例

◆JR東海キハ11形300番台 計4両(名古屋車両区)

↑名松線を走るキハ11形300番台。1両のみの運用が可能で、JR東海では珍しい全長18mと小型の車体となっている

 

JR東海では電車、そして気動車の形式を減らして集約化を図る傾向が強い。メンテナンス効率や、運用面といった利点を考えてのことなのだろう。そうした中で稀な存在なのがキハ11形だ。キハ11形はローカル線用に造られた気動車で、最初の車両の登場は1988年とJRになってすぐのころだった。

 

非電化区間の普通列車用に長らく使われてきたが、その後にキハ25系、キハ75系といった高性能な気動車が登場したことから、車両数が減少し、今では1999(平成11)年に増備されたステンレス車体のキハ11形300番台のみ4両が残る。運行はほぼ名松線と参宮線が主になっている。JR東海では4両のみと希少になっているが、ほかの鉄道会社に譲渡された車両もある。

 

JR東海の関連会社である東海交通事業城北線に2両が入線している。ちなみに300番台が導入された東海交通事業からはキハ11形200番台の2両が、茨城県を走る、ひたちなか海浜鉄道へ譲渡された。車両数が減りつつもキハ11形は、ローカル線を運行する鉄道会社にとって、利用しやすい車両なのだろう。

【希少車に注目⑪】元荷物電車が改造されて今も走り続ける

◆JR西日本123系 計5両(下関総合車両所運用検修センター)

↑濃黄色一色で塗装されたJR西日本の123系が宇部線を走る。ほか小野田線の運用に欠かせない車両となっている

 

今回、紹介する希少車の中で貴重な国鉄時代生まれの電車が123系である。ベースは鉄道で手荷物・郵便輸送の行われていたころに使われた荷物電車で(一部例外がある)、改造されて123系電車となった。前後に運転台を持つ構造のために、利用客の少ないローカル線での運用に向いている。

 

123系はみなJRとなる前後の1986(昭和61)年〜1988(昭和63)年に改造された。そしてJR東日本、JR東海、JR西日本に引き継がれた。現在、使われているのがJR西日本のみ。車両数は5両と少ないが、いかにも古い車両を長持ちさせて使うJR西日本らしい例だ。この5両は山口県内を走る小野田線、宇部線で使われている。元になったクモニ143形までさかのぼれば、すでに誕生して40年近い古参車両となっている。

 

JR西日本では前後に運転台を持つ125系という電車を開発し、小浜線、北陸本線、加古川線で使用している。今後、123系に代わる電車となれば125系になるのだろうが、現在のところ、代わる話は聞こえてこない。もうしばらくは123系が走る雄姿が見られそうだ。

 

【希少車に注目⑫】瀬戸大橋線の普通列車用に造られた電車

◆JR四国6000系 計6両(高松運転所)

↑予讃線の普通列車として活用される6000系。姿を見ればJR他社を走る211系や213系とデザインがほぼ同じということが分かる

 

国鉄時代の近郊形電車といえば、111系や113系が代表的だった。JR四国にも111系が12両引き継がれ、主に瀬戸大橋線の運用に使われていた。とはいえ老朽化が目立っていた。この代わりに生まれたのが6000系だった。

 

6000系は外観からも分かるようにJR他社を走る211系や213系の外観と非常に良く似ている。コスト低減を考え、正面窓などは213系とほぼ同じ構成としている。側面の窓まわりはJR東海の311系のデザインと似ている。一方で片側3扉でのうち、運転室の後ろの扉のみ片開きと、6000系のみの仕様もあってなかなか興味深い。

 

元々は瀬戸大橋線用に造られた6000系だが、現在は主に高松駅を発着する予讃線の列車に使われている。3両×2編成と希少な電車だが、高松駅近郊で良く見かけることができる。

 

【希少車に注目⑬】予讃線の非電化区間などを走る国鉄形気動車

◆JR四国キハ54形 計12両(松山運転所)

↑予讃線の非電化区間を走るキハ54形。国鉄の最晩年に、北海道と四国用に造られた形式だ

 

キハ54形は国鉄がJRとなる直前の1986(昭和61)年、1987(昭和62)年に製造された気動車だ。経営基盤が脆弱で将来が危ぶまれた北海道と、四国向けに造られた。主に利用客が少なめなローカル線用に造られ、1両で運行ができるように前後に運転台を持つ。車体の長さは21.3mと長めだ。四国用は短距離区間向けのために、トイレは設けられなかった。またコストを抑えるために、一部の部品は廃車から発生した部品を再利用している。国鉄の晩年生まれらしい気動車でもある。

 

耐寒仕様を施したJR北海道に残るキハ54形は28両と多い。一方のJR四国用には元々12両のみが造られた。この12両すべてが残り、予讃線の非電化区間や内子線、予土線を走っている。ちなみに予土線を走る「しまんトロッコ号」には濃黄色に塗り替えられたキハ54形が使われている。

 

【希少車に注目⑭】3編成のみ造られたJR九州らしい赤い電車

◆JR九州303系 計18両(唐津車両センター)

↑筑肥線を走る303系電車。正面が赤と黒というデザインが目立つ。筑肥線から福岡市内を走る地下鉄路線にも乗り入れている

 

JR九州では交流電化区間が大半を占める。一方で、福岡市交通局の地下鉄路線と相互乗り入れを行う筑肥線のみ直流方式で電化された。この筑肥線を走るのが303系だ。2000年に、同路線の列車増発に対応するために6両×3編成が造られた。

 

車両デザインは水戸岡鋭治氏で、正面が赤と黒という水戸岡氏のデザインらしい顔立ち、乗降扉も赤一色という目立つ造りとなっている。この色の配色は交流区間用の813系などにも見られるが、813系が丸みを帯びたデザインなのに対して、303系は直線的な正面デザインで、ちょっと異なる印象だ。

 

後継の305系が2015年以降に新造されたこともあり、303系は3編成の製造で終了してしまった。JR九州らしいスタイリッシュな顔立ちの電車だけに、3編成しか見られないのが、ちょっと惜しいようにも感じられる。

【希少車に注目⑮】国鉄らしい風貌+赤ベースの華やか電車

◆JR九州713系 計8両(鹿児島車両センター)

↑鹿児島の基地に配置されているものの宮崎地区で運用が主体の713系電車。南宮崎駅構内に留置されることも多く見つけやすい

 

国鉄時代の電車といえば、武骨な佇まいの電車が多い。とはいえ郷愁を誘うデザインなのか、115系などわずかに残る国鉄形電車がみな人気となっている。そんな国鉄時代の風貌をそのまま残す713系。JR九州の電車らしく赤色ベースのおしゃれなイメージに変更されている。

 

この713系電車。造られたのは1983(昭和58)年のこと。九州初の交流専用電車として造られた。この電車をベースに交流専用電車が開発される予定だったのだが、資金難から計画は途中で変更され、既存車両の改造でまかなう方針に変わっている。713系は将来に向けての試作的な車両だったのだが、JRとなった後に造られた787系、811系といった電車に、その技術が引き継がれている。いわば交流専用電車の礎になった電車なのである。

 

今は宮崎地区で朝夕を中心に走る713系。静かに“余生”を送るといった雰囲気でもある。

 

【希少車に注目⑯】元高性能車両も新旧交代の波にのまれ始めた

◆JR九州キハ66系 計16両(佐世保車両センター)
*同車両数は2020年8月5日以降(予定)のもの

↑キハ66系が大村線の千綿駅を通過する。大村湾沿いを走るこうした光景もあと少しで見おさめとなりそうだ

 

今回、紹介する中で最古参の車両がキハ66系。1974(昭和49)年から1975(昭和50)年にかけての製造と、すでに活躍は45年にも及ぶ。元々は山陽新幹線の博多駅延伸に合わせて造られた気動車で、非電化区間だった筑豊・北九州地区の路線への乗継ぎを便利にするために開発された。

 

当時の急行形気動車キハ58系などよりも、走行性能に優れていたが、車体重量が重めで、ローカル線での運用には適さず、また国鉄の経営悪化に伴い2両×15編成のみの製造で終わった。

 

2001年からは長崎地区へ転属、大村線を中心に長崎駅〜佐世保駅間を走る列車の主力列車に活かされてきた。そうした長年、活躍してきたキハ66系も、ハイブリッド気動車のYC1系の増備で、活躍の場を失いつつある。

 

8月5日には2編成がラストランを迎える予定で、2020年4月から8月5日にかけて12両が引退を迎えている。残りは2両×8編成となる。こうした新旧交代は世の習いとはいえ、一抹の寂しさを覚えるのは筆者だけだろうか。