〜〜工業地帯に欠かせない貨物専用線「臨海鉄道」その1〜〜
各地の臨海工業地帯に敷かれたレール。あれー、こんなところに鉄道路線があったかな? と不思議に感じることがないだろうか。鉄道好きはクルマを走らせていても、バスに乗っていてもつい鉄道に目がいってしまうものである。
臨海部や工業地帯で見かける“謎”の線路の正体は多くが臨海鉄道の線路である。今回は東北と北関東を走る5つの臨海鉄道の路線と、貨車を引く機関車に注目した。悲しいことに来春で消える臨海鉄道路線があることも分かった。
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【はじめに】全国で10の臨海鉄道が今も走っている
現在、臨海鉄道は全国に計10社。すべてが本州内にあり、東海地方から東側にある会社が大半を占める。
各臨海鉄道の歴史を見ると、多くが1970年代序盤の創業で、日本国有鉄道(国鉄)が高度経済成長に合わせて、貨物の輸送量を増やしていった時代にあてはまる。臨海鉄道は臨海部の貨物輸送を担うために誕生した。国鉄と臨海鉄道のつながりが強い。JR化された後も臨海鉄道のすべて、JR貨物が筆頭株主となっている。また大半が地元の自治体が経営に参画する第三セクター経営となっている。
ほとんどが貨物専用の鉄道会社だが、鹿島臨海鉄道と水島臨海鉄道の2社は貨物輸送とともに旅客列車も走らせている。
ちなみに、これ以外に北海道に苫小牧港開発、釧路開発埠頭。そして新潟県を新潟臨海鉄道が走っていた。この3社はいずれも2000年前後に廃止されている。地方の旅客路線が業績悪化により廃止される例は多いが、貨物輸送は、工業地帯の複数の工場が撤退もしくは、縮小しないかぎり、荷主の動向に左右されるものの、輸送業務が無くなる心配がない。モーダルシフトが進んでいる時代背景もあり、旅客専用の鉄道会社よりも、手堅い収益が確保できる。
さらに各臨海鉄道では、JR貨物の貨車の入れ換えや、車両整備、旅客会社の窓口業務などさまざまな業務を受託している。臨海鉄道のスタッフは、鉄道輸送に特化したプロである。輸送自体は目立たず、会社も小所帯のところが多いものの、長所を充分にいかし、黒字経営を続ける企業が大半を占める。
その一方で、輸送する物品、また一部企業のみに頼る臨海鉄道には脆弱な一面がある。来春に業務を終了させる秋田臨海鉄道もメインの荷主が、鉄道貨物輸送を取りやめることで、その影響を受けた。長年、黒字経営を続けてきたにも関わらずである。
こうした難しい問題も抱えつつも、国内の貨物輸送を担う臨海鉄道。北から会社の歴史、路線の模様、使われるディーゼル機関車などを中心に見ていこう。
【注目の臨海鉄道①】紙製品やパルプの輸送がメインとなる
◆青森県 八戸臨海鉄道:1970(昭和45)年12月創業
◆路線:八戸臨海鉄道線・八戸貨物駅〜北沼駅8.5km
【歴史】 八戸臨海鉄道は1966(昭和41)年に青森県営専用線として誕生した。そして青森県八戸港の港湾部にある工場を発着する貨物輸送が続けられてきた。その後の1970(昭和45)年からJR貨物・青森県・八戸市などが出資する第三セクター方式で運営される八戸臨海鉄道となっている。
【路線】 路線は青い森鉄道に接続する八戸貨物駅が起点。しばらくJR八戸線と並走し、馬淵川河口沿いを走り、自衛隊の八戸基地の東側を走る。さらに八戸港に隣接した北沼駅まで路線が延びる。北沼駅からは三菱製紙の専用線が連絡している。輸送は三菱製紙八戸工場の紙製品がメインとなっている。
【車両】 ディーゼル機関車は2020年に機関車の新しい動きがいくつかあった。これまで主力機、DD56形は自社発注の機関車。DD16形はJR東日本からの譲渡車で2009(平成21)年から同線を走る。またDE10形1761号機(JR東日本盛岡車両センター機)が2020年秋に加わり朱色の塗り直されたばかりの姿で八戸を走り始めた。
一方の長年、走り続けてきたDD56形2-3号機は引退し、タイの会社へ譲渡された。あちらの建設会社の入換機として第二の人生を迎えるようだ。そうした経緯もあり自社発注のDD56形は4号機のみなった。
【注目の臨海鉄道②】来春に解散予定の日本海側唯一の臨海鉄道
◆秋田県 秋田臨海鉄道:1971(昭和46)年7月開業
◆路線:南線・秋田港駅〜向浜駅5.4km
【歴史】 奥羽線の土崎駅と秋田港駅を結ぶ貨物専用線のJR秋田港線。1971(昭和46)年7月に終点の秋田港駅から北線と南線が開業し、秋田港内での貨物輸送が始められた。秋田港駅での入換え業務に加えて、南線での紙製品の輸送と、北線では濃硫酸輸送を行われてきた。ところが2008(平成20)年に、小坂製錬所(秋田県)の濃硫酸生産が終了したことから以降、北線の列車の運行は途絶えている。
【路線】 目の前に秋田市ポートタワーがそびえる秋田港駅。南線はこの駅を起点にまずは旧雄物川沿いを南下。4kmほど国道7号にそって走ったあと、旧雄物川橋梁を渡り、対岸へ。大規模な工場が連なる中を北へ走り、向浜駅へ付く。この向浜駅には、日本製紙秋田工場がある。現在、秋田臨海鉄道の輸送の大半は同社の紙製品の輸送である。エンジ色の12ftコンテナを連ねた貨物列車が旧雄物川橋梁を渡るシーンは同線で最も絵になる風景といって良いだろう。
【車両】 主力機関車として走るのがDE10形。秋田臨海鉄道ではDE10を名乗っているが、元JR東日本のDE15形である。北海道の十勝鉄道を経て2両が、JR北海道から1両が移籍した。DE15形はラッセルヘッドをつけて、除雪作業を行う機関車として造られたが、除雪をしない時は、牽引機としても使える便利な機関車でもある。なお秋田臨海鉄道にはさらにDD56形が2両在籍していたが、すでに、引退となり秋田港駅構内に留置されている。
秋田臨海鉄道に関して6月に残念な発表があった。来春に事業を終了させるというのである。2018年3月期を除けば、ここ6年にわたりしっかりと収益を確保し、黒字経営を続けてきた。なぜ事業終了となったのか。同線の輸送の大半を占めていた日本製紙秋田工場が、紙製品の鉄道貨物輸送を終了させるためだ。運ぶものが無くなれば、会社は成り立たなくなる。沿線にある企業の影響を受けやすい臨海鉄道の弱い一面が露呈したわけだ。
2021年の3月で、秋田臨海鉄道の歴史は終焉を迎えることになる。ちょうど会社創業50年めで会社解散を迎えることとなった。旧雄物川橋梁を渡る姿も来春で見納めとなる。
【注目の臨海鉄道③】石油、ビールなど多彩な製品の輸送を行う
◆宮城県 仙台臨海鉄道:1971(昭和46)年10月開業
◆路線:臨海本線・陸前山王駅〜仙台北港駅5.4km、仙台埠頭線・仙台港駅〜仙台埠頭駅1.6km、仙台西港線・仙台港駅〜仙台西港駅2.5km
【歴史】 仙台臨海鉄道の始まりは1971(昭和46)年10月のこと。この年は、ちょうど仙台港が開港した年にあたる。仙台港は掘り込み式の人造港で、脆弱だった仙台地区の港機能を強化し、工業港として、また大型フェリーが着岸できる商業港として誕生した。以降、仙台港は物流の要となっている。
この港の機能を強化する役目として、同時期に臨海鉄道も造られた。以来順調に歩んできた仙台臨海鉄道だが、2011年3月の東日本大震災の影響を受けている。路線および車両基地が被災したのだった。路盤や稼動する機関車が津波の影響を受け、長期にわたり輸送が途絶えたが、2011年11月に臨海本線の一部区間が、翌年11月に全線の復旧を果たしている。
【路線】 路線は東北線の陸前山王駅と仙台北港駅を結ぶ臨海本線、仙台港駅〜仙台埠頭駅間を結ぶ仙台埠頭線、仙台港駅〜仙台西港駅間を結ぶ仙台西港線の3本がある。
列車の運行は仙台港駅が中心で、同駅から仙台北港駅、仙台西港駅、仙台埠頭駅に向けて列車が走る。仙台港駅からは陸前山王駅を結ぶ臨海本線を経て、JR線内への輸送が行われる。輸送物品はバラエティに富む。石油、コンテナ、化学薬品、ビールの商品輸送などで、仙台埠頭線ではレール輸送も行われている。
【車両】 2011年の東日本大震災の前後で、同社が所有する機関車の状況が大きく変わった。震災前までの主力は自社発注のSD55形だった。ところがSD55形が複数機、被災したことから、急きょ臨海鉄道他社から機関車の譲渡を受けている。現在の機関車の内訳はSD55形が2両。そのうち103号機が自社発注で唯一残った車両だ。また105号機は、2012年に京葉臨海鉄道から譲渡された車両だ。
DE65形2号機は震災後に秋田臨海鉄道から借用を受け、その後に購入した機関車で、性能はほぼ国鉄DE10形と同じだ。この2号機は古くは新潟臨海鉄道の機関車だった車両で、秋田臨海鉄道を経て仙台へやってきた。またDE65形3号機も走る。こちらは元JR東日本のDE10形1536号機で2019年に導入されている。
このように仙台臨海鉄道の機関車は震災の影響を受け、さまざまとなった。紺色の機関車あり、朱色の機関車ありと、なかなか賑やかになっている。
【注目の臨海鉄道④】“安中貨物”が発着する福島の臨海鉄道
◆福島県 福島臨海鉄道:1967(昭和42)年4月創業
◆路線:福島臨海鉄道本線・泉駅〜小名浜駅4.8km
【歴史】 福島臨海鉄道の路線の開業は古い。1907(明治40)年12月の泉〜小名浜間が小名浜馬車軌道として誕生した。磐城海岸軌道を経て、1939(昭和14)年には小名浜臨港鉄道となり1941(昭和16)年に線路幅を1067mmと改軌、軌道線から鉄道線へ変更されている。さらに1967(昭和42)年に、現在の福島臨海鉄道となった。福島臨海鉄道となった当初は旅客列車を走らせていたが、1972(昭和47)年に貨物専用路線となっている。
【路線】 路線は常磐線の泉駅と小名浜駅4.8kmの区間。JR泉駅構内の北側に広い入換え線があり、ここが路線の起点となる。駅を発車した列車はJR常磐線から離れ、大きくカーブして常磐線の線路を跨ぐ。そして間もなく国道6号をくぐり、藤原川橋梁をわたる。列車が進んだ、右手から引込線が近づいてくるが、こちらが、東邦亜鉛小名浜製錬所から延びる線路だ。しばらく複線区間が続き、終点の小名浜駅へ到着する。
この路線の輸送のメインとなっているのが東邦亜鉛関連の貨物輸送。通称“安中貨物”と呼ばれる輸送で、小名浜から群馬県の安中製錬所へ亜鉛精鉱・亜鉛焼鉱が、タンク車と無蓋車を使って輸送される。無蓋車を使っての貨物輸送は国内ではこの列車のみ。希少な輸送を見ることができる。
【車両】 主力機関車はDD56形でこの機関車が牽引を担当する日が多い。ほかにDD55形2両が在籍している。おもしろいのは、機関車の先頭部の目立つところに赤色灯が付けられていること。これは構内での入換え作業を行う時などに、機関車の姿を目立たせるためで、臨海鉄道の他社では見かけないパーツとなっている。ちなみに本線走行時には赤色灯が付いていない。
【注目の臨海鉄道⑤】貨物専用線と旅客専用線の両線がある
◆茨城県 鹿島臨海鉄道:1970(昭和45)年7月開業
◆路線:鹿島臨港線・鹿島サッカースタジアム駅〜奥野谷浜駅19.2km、大洗鹿島線・水戸駅〜鹿島サッカースタジアム駅53.0km(旅客専用線)
【歴史】 鹿島臨海鉄道の歴史は、鹿島海岸に造られた鹿島港とともに始まる。かつて茨城県の鹿島海岸には長大な砂浜と砂丘が連なっていた。この海岸を掘り生み出された鹿島港が1969(昭和44)年に開港した。翌年に鹿島臨海鉄道も開業した。鹿島港を中心に誕生した鹿島臨海工業地帯の輸送を目的に付設されたのだった。以降、2011(平成23)年3月に起きた東日本大震災により、被害を受けたが、貨物専用線の鹿島臨港線は6月に復旧している。
【路線】 JR鹿島線の旅客列車は鹿島神宮駅どまりとなっている。一方で、JRの路線は一つ先の鹿島サッカースタジアム駅までとなっている。同駅は通常は旅客駅を行っておらず、サッカーなどの試合開催日のみの臨時駅だ。この臨時駅が鹿島臨海鉄道とJR鹿島線の接続駅となっている。
路線は2本あり、鹿島サッカースタジアム駅から南下、臨海工業地帯をめぐるように走る鹿島臨港線と、鹿島サッカースタジアム駅〜水戸駅間を走る大島鹿島線(旅客専用線)がある。鹿島サッカースタジアム駅で、コンテナ貨物はJR貨物に引き継がれ、毎日2便が東京貨物ターミナル駅と、越谷貨物ターミナル駅へ向けて走っている。
ちなみに鹿島臨港線では路線が開業してから、1983(昭和58)年まで旅客営業が行われていた。今、貨物駅となっている神栖駅(かみすえき)の仕分線が並ぶ西側に旧ホームが残されている。
【車両】 機関車はKRD形と呼ばれる車両1両と、KRD64形2両が、使われている。KRDは国鉄当時に、全国の貨物駅などで、使われたDD13形と呼ばれるディーゼル機関車の性能に準じている。5両が路線開業時から新造されたが、今は5号車のみ残るが、牽引する姿はあまり見かけない。
一方、主力機として使われるのがKRD64形で、長い編成の貨物列車を引く姿を沿線で目にすることができる。臨海鉄道の機関車には63とか64とか数字が付く機関車が多いが、KRD64形の64は64トン級という意味を持つ。
旅客営業を行っているので、気動車にも触れておこう。車両は6000形に8000形で、車体長はみな20m。6000形は乗降扉が前後に2つということもあり、セミクロスシートがずらりとならぶ様子が壮観だ。水戸駅近郊では通勤・通学客も多いことから、3扉車の新車両8000形の導入も進められている。
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※9月14日追記
八戸臨海鉄道、秋田臨海鉄道についての記述に誤りがありましたので、修正しました。