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2021/11/13 6:00

北海道唯一の三セク鉄道「道南いさりび鉄道」10の新たな発見

おもしろローカル線の旅75 〜〜道南いさりび鉄道(北海道)〜〜

 

前回は九州最南端の指宿枕崎線を紹介した。今回は北へ飛んで日本最北端の第三セクター経営の路線「道南いさりび鉄道」の旅をお届けしよう。

 

これまでたびたび特急列車で通り抜けた区間だったが、普通列車に乗車してみるとさまざまな新しい発見があった。ゆっくり乗ってこそ魅力が見えてきた道南の路線の旅を楽しんだ。

 

【道南発見の旅①】道南いさりび鉄道と名付けられた理由は?

道南いさりび鉄道が走るのは北海道の西南、渡島半島(おしまはんとう)だ。まずは路線の概要を見ておこう。

 

◆道南いさりび鉄道の概要

路線と距離道南いさりび鉄道線/五稜郭駅(ごりょうかくえき)〜木古内駅(きこないえき)37.8km、全線単線非電化
開業1913(大正2)年9月15日、日本国有鉄道上磯軽便線として五稜郭駅〜上磯駅間が開業、1930(昭和5)年10月25日に木古内駅まで延伸開業。江差駅まで延伸は1936(昭和11)年11月10日、路線名を江差線と変更。木古内駅〜江差駅間は2014(平成26)年5月12日に廃止。
駅数12駅(起終点駅を含む)

 

↑JR江差線当時の函館駅行き普通列車。早朝はキハ40系気動車を3両連結で運用。写真は釜谷駅〜渡島当別駅間

 

路線自体の歴史は100年ほど前の1913(大正2)年に始まる。とはいえ、その時に開業したのは函館近郊の上磯駅までで、その先への路線延伸の工事は順調に進まなかった。1930(昭和5)年になって木古内駅、さらに1936(昭和11)年に日本海に面した江差駅まで延ばされている。

 

この江差線は2014(平成26)年に木古内駅から先の区間を廃止。2016(平成28)年3月26日、北海道新幹線の開業に合わせて五稜郭駅〜木古内駅間の路線が第三セクター経営の道南いさりび鉄道に移管された。移管され今年で5周年を迎えている。

↑道南いさりび鉄道(旧江差線)以外にも1949(昭和24)年の鉄道路線図(左上)を見ると福山線(後の松前線)があったことが分かる

 

なぜ、道南いさりび鉄道という名前が付けられたのだろう。道南いさりび鉄道という会社が設立されたのが2014(平成26)年の夏のこと。北海道のほか、函館市、北斗市、木古内町という沿線自治体2市1町が株主となっている。

 

会社名を公募したところ、21点の応募があったのが道南いさりび鉄道という名前だった。「いさりび」とは「漁火」のこと。津軽海峡で漁火と言えば、毎年夏以降、イカ釣り船が用いる集魚灯の光のことをさす。

 

暗闇の海上に浮かぶ集魚灯の光「いさりび」は、道南・渡島半島の風物詩であり、そうした漁火を横目に走る鉄道路線の名称に相応しいとして名付けられたのだった。

 

【道南発見の旅②】松前線とはどのような路線だったのだろう?

昭和初期に現在の道南いさりび鉄道線の元となった江差線が開業した。さらに木古内駅の先、江戸時代に北海道で唯一の藩だった松前藩の城下町、松前まで鉄道路線が伸びていた。松前線である。この松前線に関して簡単に触れておこう。

 

この路線の歴史的な経緯が興味深い。木古内駅から先はまず1937(昭和12)年10月12日に渡島知内駅までを開業、さらに翌年の10月21日には碁盤坂駅(後に千軒駅と改称)まで、1942(昭和17)年11月1日に渡島吉岡駅まで開業している。太平洋戦争のさなかに開業させた理由には、軍需物資であるマンガン鉱の鉱山が松前町内にあったためとされている。

↑松前へ走る国道228号沿いに残る松前線の橋脚跡。廃線跡はこのように各所で見られる。右下は松前の観光名所・松前城

 

しかし、松前までの延伸は戦争中にはかなわず、戦後しばらくたっての1953(昭和28)年11月8日のこととなる。開業はしたものの、35年間という短い期間しか列車は走らずに1988(昭和63)年2月1日に廃止されている。当時、江差線の木古内駅〜江差駅間よりも輸送密度が高く、地元から廃止反対の声が巻き起こったものの、国鉄からJRへ移行する慌ただしい時期に廃止された。青函トンネルと松前線を結ぶ案も検討されたが、青函トンネルは新幹線規格で造られたために、線路が結ばれることはなかった。

 

松前線の渡島吉岡駅には、青函トンネル建設時に建設基地が設けられていた。27年という長い年月をかけて1988(昭和63)年3月13日に青函トンネルは開業。ちょうど同じ年に松前線は廃線となった。今振り返って見るとトンネルの誕生にあわせ、用済みになったかのように松前線は廃止されたのだった。

 

現在、渡島吉岡駅があった吉岡(現・松前郡福島町字吉岡)の地下を、北海道新幹線や貨物列車が多く通り抜けている。2014(平成26)年3月15日までは吉岡海底駅という駅もあった。現在、その地点を地図で見ると「吉岡定点」となっているが、トンネルの上に住む人たちに恩恵はなく、廃線以外に松前線を活用する方法がなかったのかとも思う。

 

筆者は松前城を見たいがためこの路線に沿って旅をしたことがあった。その時には松前線の廃線跡らしき構造物が各所に残っていて興味深かった。とはいえ、松前線の歴史を振り返るとちょっと寂しさを感じる風景でもあった。

 

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