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2022/5/14 6:00

古都の人気観光電車「叡山電鉄」を深掘りする【前編】

おもしろローカル線の旅84〜〜叡山電鉄・叡山本線(京都府)〜〜

 

叡山電鉄(えいざんでんてつ)は京都市の北東部に、叡山本線と鞍馬線の2本の路線を持つ。シーズンともなれば比叡山と鞍馬へ向かう観光路線として賑わう。

 

観光路線ながら鉄道好きにとっては、気になるところがいっぱいの路線だ。今回は叡山電鉄・叡山本線の魅力を深掘りしてみたい。

 

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【叡電を深掘り①】鉄道会社の名前は「叡山電鉄」だが

最初に叡山電鉄の概要を見ておこう。

路線と距離叡山電鉄・叡山本線/出町柳駅〜八瀬比叡山口駅5.6km
鞍馬線/宝ケ池駅〜鞍馬駅8.8km
開業叡山本線:京都電燈により1925(大正14)年9月27日、出町柳駅〜八瀬駅(現・八瀬比叡山口駅)間が全通。
鞍馬線:鞍馬電気鉄道により1928(昭和3)年12月1日に山端駅(やまばなえき/現・宝ケ池駅)〜市原駅間が開業、1929(昭和4)年12月20日に鞍馬駅まで全通。
駅数叡山本線8駅、鞍馬線10駅(ともに起終点駅を含む)

 

↑叡山本線の三宅八幡駅〜八瀬比叡山口駅間を走る700系。緑に包まれて走る叡電の電車が絵になる区間だ

 

両線とも線路幅は1435mmと標準軌の幅で、全線が直流600vで電化されている。

 

2本の路線の始まりは3年ほどの違いだが、先にできた路線が本線を名乗り、鉄道会社の名前も比叡山を元にした「叡山」を名乗っている。一方の鞍馬線は、途中の宝ケ池駅から分岐する支線の扱いだ。叡山本線が1両での運行が主体であるのに対して、鞍馬線は2両編成が主力。鞍馬線のほうが観光客も多く、こちらが本線のようにも感じるのだが、歴史的な経緯も含め、叡山本線が本線の扱いとなっている。

 

【叡電を深掘り②】叡山本線と鞍馬線の古い路線図を見ると

叡山本線と鞍馬線の歴史を見ると、紆余曲折あり興味深い。それぞれの路線が生まれて今日に至るまでを触れておきたい。

 

筆者の手元に戦前に作られた叡山電鉄の路線図が数枚ある。中でも特長が良くわかる2枚の鳥瞰図を見てみよう。うち1枚は画家で、鳥瞰図造りを得意とした吉田初三郎が作った叡山電鉄の路線図。この路線図はなかなか見応えがあり、引き込まれるような魅力がある。

↑吉田初三郎が制作した叡山本線が開業したころの路線図。立体的な鳥瞰図で、遠くに富士山のほか、朝鮮や樺太の文字も記される

 

同路線図を発注したのが「京都電燈株式会社」で、会社名の下には「叡山電鐵部発行」とある。京都電燈とは日本で4番目の電燈会社として創設された。琵琶湖の水を京都市内へ導く琵琶湖疎水(びわこそすい)を電気づくりに役立てた。今も琵琶湖疎水は国の史跡に指定され、日本三大疎水の1つとして数えられる。

 

京都電燈は、豊富な水量を電力づくりに役立て京都市の近代化に大きく貢献。京都市に日本初の路面電車を走らせることにも同社の電気が使われた。そうした会社が叡山本線の路線造りに関わったわけである。

 

叡山本線は京都電燈によって造られたが、途中駅から分岐する鞍馬線の路線は京都電燈自ら造ることはせずに、京都電燈と京阪電気鐵道の合弁会社として設けられた鞍馬電気鐵道により路線が設けられた。別会社であったものの、列車は叡山本線の出町柳駅まで乗り入れた。また京都市民も、別会社という認識は薄く、今と同じように「叡電(えいでん)」「叡山電車」の名前で親しんだ。

↑叡山電気鉄道(路線図には「叡山鞍馬電車」とあり)が鞍馬線開業後に制作した路線図

 

鞍馬線が開業した後の路線図を見ると、「叡山鞍馬電車」と表紙にある。裏面にある問合せ先も、京都電燈叡山電鐵課と鞍馬電気鐵道の社名が併記され、住所も電話番号も、まったく同じだった。要は別組織にしていたものの、ほぼ同じ会社として路線を運営したようだ。

 

【叡電を深掘り③】〝孤立路線〟としての歴史が長かった

京都市の発達に貢献した京都電燈だったが、大正期から昭和初期にかけては各地に電力会社が乱立された時期で、戦時色が強まるにつれて、国策によりこれらの電力会社は寡占化されていく。京都電燈も例外でなく、関西配電(後の関西電力)と北陸配電(後の北陸電力)、日本発送電に事業譲渡が行われ1942(昭和17)年に解散となった。戦時中に京都電燈は消滅したのである。

 

鉄道部門のうち叡山本線は1942(昭和17)年に京福電気鉄道へ譲渡となった。形は譲渡だが、京福電気鉄道は京都電燈の鉄軌道部門を分離して設立された会社で、京福と「京」と「福」が社名に入るように、京都府下の鉄道会社と、福井県下の三国芦原線(現・えちぜん鉄道)などの路線も同社に合流している。

 

叡山本線と鞍馬線は、戦中・戦後しばらく京福電気鉄道の路線として運営されていたが、1986(昭和61)年4月1日に再び叡山電鉄として分離譲渡され、さらに京阪電気鉄道グループの傘下となり、今に至る。

↑京阪電気鉄道の戦前の路線図。当時、京阪本線は三条駅止まりで、出町柳駅までは路線が通じていなかった。この状態が長く続く

 

今でこそ観光路線として人気の叡山本線、鞍馬線だが、他の鉄道路線と接続しない、いわば〝孤立路線〟の期間が続いた。かつて京都市電が市内を巡った時代、出町柳駅の最寄りに今出川線の叡山電鉄前(後の「加茂大橋」)という停留所もあった。しかし、市電も1976(昭和51)年3月31日いっぱいで廃線となってしまう。長らく比叡山や鞍馬へ向かう時は、叡山電鉄利用よりも、バスが便利という状態が続いたのである。叡山電鉄は苦境に陥る。そんな状況を大きく変えたのが、京阪電気鉄道の鴨東線(おうとうせん)の開業だった。

 

大阪と京都を結ぶ京阪電気鉄道の京阪本線は長らく三条駅が終点で、現在の京津線(けいしんせん)と線路がつながっていた。この京津線との連絡線を廃止、鴨川沿いの地上部を走っていた京阪本線自体を、七条駅から北側を地下化。さらに三条駅から北に向けて路線を延長し、1989(平成元)年10月5日に出町柳駅まで2.3kmの鴨東線として開業させたのだった。

 

実はこの鴨東線は、先の京都電燈が1924(大正13)年に地方鉄道敷設免許を取得していた。鴨東線への叡山電鉄の電車乗り入れも計画されたが、京阪本線との車両と、規格が異なるために、同案は流れたが、叡電を造った会社の創立時の夢が形は変わったものの、半世紀以上の歳月をかけて、実ったことなる。

 

この鴨東線開業により叡山電鉄の乗客は2倍に増加し、見事に復活。さらに利用者増を見込んで新車両を導入するなど、叡電を大きく変えた契機となった。

 

【叡電を深掘り④】叡電の電車はなぜ短いのだろう?

ここからは叡電を走る車両を紹介しよう。

 

叡電の車両は3タイプある。まずは700系が8両配備される。細かく見ると700系にはデオ710形と、デオ720形、デオ730形の3タイプがあり、外観はほぼ同じだが、装備品の流用元により、形式が異なっている。全タイプ1両のみの運行で、鴨東線の開業に備え、1987(昭和62)年から1988(昭和63)年にかけて導入された。車体の長さが15.2mと、やや短く、前後に2つの乗降扉を持つのが特長となっている。

↑修学院駅を発車したデオ720形(左)と車庫内に停まるデオ730形(右)。塗装は各車両で異なるが形はほぼ同じだ

 

↑バリアフリー対応したデオ720形722号車。リニューアル工事が少しずつ進められ、同車の色は神社仏閣をイメージした朱色に

 

700系は車体長が15m級と短いが、これは叡山電鉄の伝統でもある。叡山電鉄は京福電気鉄道から分離譲渡されたが、今も京福電気鉄道として残る嵐山本線(通称「嵐電」)も併用軌道路線が一部に残ることもあり、15m級の車両が主体となっている。叡山電鉄は、京都市電からの乗り入れを戦後(昭和20年代)に行った時期があり、その歴史がこうした車両の短さとして残っている。また、18m級の長い車体を採用しようにも、ホームの長さもこの車体の長さに合わせていることもあり、簡単に変更することが難しいようだ。

 

ちなみに700系は叡山本線の運行と、鞍馬線では、主に平日の朝夕、出町柳駅〜市原駅間の列車の一部に利用されている。なお、700系の732号車は観光用の「ひえい」に改造されている(詳細後述)。

 

700系が叡山本線の主力車両なのに対して、鞍馬線の主力車両が800系だ。こちらは車体長15m級の2両編成車両で、京阪鴨東線の開業で増えた乗客に対応するために1990(平成2)年から2両×5編成、計10両が導入された。

↑800系のデオ800形801-851編成。800系は帯色がそれぞれ異なっているのが特長だ。最近、正面下に排障器が付けられた

 

↑デオ810形815-816号車は特別塗装車で「ギャラリートレイン・こもれび」として四季の森をバックにした動物が描かれる

 

800系は搭載機器が異なるデオ800形とデオ810形の2タイプがある。帯色は編成すべて異なり、たとえば山並みをイメージした緑、鞍馬の桜をイメージしたピンクなど、沿線のイメージしたカラーの帯が巻かれている。

 

【叡電を深掘り⑤】「きらら」「ひえい」と楽しい観光列車が走る

観光用の車両も走っている。2タイプが導入されているが、この車両もユニークだ。

 

まずは鞍馬線用に1997(平成9)年から翌年にかけて2両×2編成が導入されたのが900系展望列車「きらら」だ。「紅葉を観るために乗りに来ていただく車両」というのがコンセプトで、座席はクロスシートとともに、窓側を向いた座席を備えるなど、特別な造り。さらに、中央部のガラス窓は上まで広く開けられるなど、凝っている。現在は、紅葉にちなんだメイプルオレンジ塗装車と、新緑期に楽しめる「青もみじきらら」が用意されている。

↑展望列車「きらら」メイプルオレンジ塗装車。側面のガラス窓が広いことが良く分かる。1998年度の鉄道友の会「ローレル賞」を受賞した

 

きららとともに人気となっている観光用車両が700系デオ732号車を改造した観光列車「ひえい」で、正面にゴールド塗装の楕円が付くのが特長だ。この楕円は、比叡山、鞍馬山の持つ神秘的イメージを表現したものだとされる。内外装ともに深緑色で、側面の窓も楕円形、窓の下に比叡山の山霧をイメージした金色の細いストライプが入る。

 

凝った造りが好評で、2018年度のグッドデザイン賞、さらに2019年の鉄道友の会「ローレル賞」を受賞した。

 

観光列車「ひえい」は出町柳駅〜八瀬比叡山口駅間を主に運行される。展望列車「きらら」と共に運行時刻がホームページで紹介されている。車両検査日などを除き、この時刻に合わせて走っているので参考にしてみてはいかがだろう。

↑八瀬比叡山口駅〜三宅八幡駅間を走る観光列車「ひえい」。正面の楕円の形に合わせて、運転席は中央に設けられている

 

【叡電を深掘り⑥】2両編成はぎりぎり!始発駅・出町柳のホーム

さて、叡山本線の沿線を旅することにしよう。始発駅は出町柳駅。接続する京阪鴨東線の地下駅から7番出口をあがっていくと、すぐ目の前に叡山電鉄の駅舎がある。雨にも濡れずに乗り換えができて便利だ。

 

叡山電鉄の出町柳駅は、1両もしくは2両の電車にあわせるかのようにコンパクトだ。全車が折り返すいわゆる「櫛形ホーム」で、入口側の左から叡山本線の八瀬比叡山口方面行き1番線ホーム、降車ホームをはさみ、鞍馬線の2・3番線ホームが平行して設けられる。右側3番線に停車した2両編成の車両は、ホームぎりぎりに納まる形となる。先頭1両目の前の扉はホームが狭く危険なために、この先は危険と、三角コーンが置かれ注意を促していた。1・2番線の間にある降車ホームも幅がかなり狭い。このあたり京都の街中にある駅のため、拡幅工事が容易に行えない様子が窺える。

↑始発駅・出町柳駅。3番線ホームまであり、2両編成が停車したホームの先端部は非常に狭い(左下)。駅ではグッズ類も販売

 

ちなみに、叡山電鉄の利用は交通系ICカードでの支払いが可能で、乗降時は駅の読取機にタッチ、もしくは運転士後ろのICカード読取機にタッチして下車する。1日乗車券「えぇきっぷ」も大人1200円で通年用意。出町柳駅、もしくは鞍馬駅(時間限定)などで購入できる。

 

列車の本数は多く、日中は出町柳駅発、鞍馬駅行きと八瀬比叡山口駅行きがほぼ15分おきで発車している。また平日の朝7〜8時、夕方17〜18時には、鞍馬線の市原駅行きも出ている。

 

【叡電を深掘り⑦】修学院駅に来たら車庫を見よう

さて、出町柳駅から、この日は八瀬比叡山口駅行きに乗車した。700系1両編成の車両のロングシートに座る。朝早かったせいか、空いていた。

 

出町柳駅を出発し、京都の町並みを眺めながら走る。東大路通り(市道181号)の踏切を越えれば、最初の駅、元田中駅に停車する。この駅、上り下りホームが市道を挟むように対岸にある。続いて茶山駅、一乗寺駅と京都の街中の駅が続く。

 

一乗寺駅の次の駅が修学院駅だ。駅の東に位置する修学院離宮の名前にちなむ。ここで目を向けておきたいのが、進行方向、右手にある車庫だろう。ここには珍しい車両も停められている。

↑修学院駅の東側に隣接して設けられる修学院車庫。この日、検修庫には900系の「青もみじきらら」が停められていた

 

新旧車両に混じって、奥に停められていることが多いのが、荷台を持つ車両だ。こちらはデト1000形と呼ばれる事業用車で、荷台にレールやバラストを積んで走る。保線専用の車両で、無蓋電動貨車(むがいでんどうかしゃ)と呼ばれている。この電車は叡山電鉄に現在残る車両のうち唯一の京福電気鉄道時代に生まれた車両だ。車庫を囲む塀の外から見えるが、運がよければ他車両に隠されることなく車両全体を望むこともできる。

↑デト1000形無蓋電動貨車。荷台にクレーンが付く。この日はZ形パンタグラフを持ち上げた姿を見ることができた

 

さて修学院車庫で珍しい電車を見たあとは、再び、下り電車に乗り込む。

 

【叡電を深掘り⑧】鞍馬線が分岐する宝ケ池駅の不思議

次の駅は宝ケ池駅だ。叡山本線と、鞍馬線との分岐駅で、なかなかユニークな形の駅である。

 

修学院駅方面からまっすぐ北へ進む線路は1・2番線の叡山本線のホームだ。西側に位置する4番線が鞍馬方面行き。中ほどのホーム、2番線の向かい側3番線は鞍馬方面から出町柳駅方面へ向かうホームだ。

 

ホームの南側に駅の地上通路があり、この通路で乗り換えや、乗降ができる。この通路は宝ケ池構内踏切ともなっているが、踏切の東側と西側には、駅の入口が特に設けられているわけではない。こうした構造もあり、構内踏切は歩行者用通路も兼ねているようで、地元の人たちが乗る自転車や歩行者が間断なく通り過ぎる。駅構内の踏切のはずなのに、この駅では不思議な光景がごく日常となっている。

↑鞍馬方面から出町柳方面へ向かう電車は、叡山本線の下り線路を平面交差し、上り線路に合流する

 

↑宝ケ池構内踏切を兼ねる各ホームを結ぶ通路。中央は2・3番線ホーム。写真のように自転車が多く通りぬけている

 

【叡電を深掘り⑨】終点、レトロな八瀬比叡山口駅の秘密

宝ケ池駅の2番線を発車した八瀬比叡山口駅行きの電車。この宝ケ池駅付近から郊外の趣も強まってくる。

 

次の三宅八幡駅から先で、進行方向左手から高野川が近づいてきたら終点も近い。駅を過ぎると、叡山本線で最大の傾斜33.3パーミル(1000m走る間に33.3m登る)、25パーミル、18パーミルと終点、八瀬比叡山口駅との1駅の間に厳しい勾配が続く。

↑鉄骨平屋造り、切妻造の金属板葺きと凝った八瀬比叡山口駅。停まるのはデオ730形731号車、深緑塗装が目立つ

 

そして叡山本線の終点、八瀬比叡山口駅へ到着する。大正末期に造られた駅の立派さには行くたびに驚かされる。トレイン・シェッドと呼ばれる大型の屋根の覆われた造りで支える鉄骨の柱はリベットで接合した造り。ヨーロッパのターミナル駅をイメージさせる駅は、ドイツ人技師の設計と伝えられる。

 

当時、同線を造った京都電燈の財力を感じさせる終着駅だ。賓客を迎えるべく凝った造りにしたのだろうか、そうした歴史の記述が駅に掲示されていないのが残念に感じた。

↑現在の八瀬比叡山口駅には、右から記した開業当時の「八瀬驛」という駅名看板が付く。右上は2015(平成27)年に訪れた時のもの

 

手元に2015(平成27)年3月に撮影した同駅の写真があった。当時の駅舎の駅名看板は「八瀬比叡山口駅」だったが、現在は開業当時の「八瀬驛」に掛け替えられ、よりレトロ感が強まっていた。

 

【叡電を深掘り⑩】叡山ケーブルは現在、別会社の路線に

叡山本線を開業させた京都電燈は、八瀬比叡山口駅から比叡山へ登る観光客のために叡山ケーブルと叡山ロープウェイを開業させた。叡山本線の開業が1925(大正14)年9月27日、叡山ケーブルが同じ年の12月20日のことだった。さらにケーブルの山頂駅(ケーブル比叡駅)の先に、叡山ロープウェイも1928(昭和3)年10月21日に開業させている。いずれも京都電燈が手がけた鋼索線と索道線(ロープウェイ線)だった。

 

現在、叡山ケーブルの路線名は、京福電気鉄道鋼索線と呼ばれる。ロープウェイの運行も京福電気鉄道が行っている。叡山電鉄も、かつては京福電気鉄道の路線だったが、後に京福電気鉄道とたもとを分かっている。つまり電車とケーブルカー、ロープウェイは別会社によって運行されているわけだ。

↑ケーブル八瀬駅を発車する叡山ケーブル。2021年3月に車体デザインをリニューアル、外観が変更されている(写真は旧塗装)

 

ちなみに別会社となってはいるものの、叡山電鉄の出町柳駅〜八瀬比叡山口駅間と、叡山ケーブル、叡山ロープウェイ。さらに比叡山内のシャトルバス、また比叡山延暦寺の諸堂巡拝券がセットになった「比叡山延暦寺巡拝 叡山電車きっぷ」が大人3200円で用意されている。比叡山へ向かうときには便利だ。

 

八瀬比叡山口駅から叡山ケーブルの山麓駅・ケーブル八瀬駅までは徒歩4〜5分ほど。高野川の流れや草花を楽しみながらの道のりで、のんびり比叡山麓の自然を楽しみながら散策できる。ケーブル八瀬駅の近くには、八瀬もみじの小径(やせもみじのこみち/入場無料)もある。八瀬比叡山口駅に着き、そのまま帰ってしまうのはもったいない。ぜひとも叡山ケーブルのケーブル八瀬駅も目指したいものである。