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2022/9/3 21:00

意外に知らない「青梅線」10の謎解きの旅〈前編〉

【青梅線の謎を解く⑥】福生駅から伸びる廃線、その開業の謎

↑拝島駅〜牛浜駅間を流れる玉川上水。民家が迫り、玉川上水らしさは薄れる箇所だが、上水沿いの多くの区間で散歩道が整備されている

 

現在は、拝島駅〜立川駅間の貨物輸送しか行われていないが、かつては、全線で貨物輸送が行われ、複数の引き込み線が設けられていた。

 

福生駅から福生河原まで1.8kmに渡り伸びていた貨物支線もその一つである。この路線が造られた経緯も興味深い。福生河原での多摩川の砂利採取のために1927(昭和2)年2月9日、路線が造られた。この砂利は八王子市に計画された大正天皇陵所の造営に必要な多摩川の石を運搬するために造られたものだった。廃線跡を歩いてみると、貨物支線の痕跡が残されている

 

江戸時代に設けられた玉川上水には加美上水橋が架かる。今は歩道橋として使われるが、以前は貨物支線用につくられた橋だった。橋の入口には歴史を記した碑があり、そこには「日に二回電気機関車が四、五両の貨車を引いて通り、また地域の人々は枕木を渡り利用していた」とあった。

↑玉川上水(右上)に架かる加美上水橋は、かつての貨物支線の橋梁を使ったもの。橋の幅が狭く車の利用はできない

 

この橋をさらに多摩川方面に歩くと、堤がカーブして河原へ続いている。サイクリングに最適な川沿いの道だが、かつて貨物列車が走っていたとは、利用者の大半が知らないだろう。

 

この貨物支線は1959(昭和34)年12月に砂利運搬停止、路線を廃止、さらに1961(昭和36)年3月に線路や架線が撤去された、と碑にはあった。

↑多摩川沿いを堤防のように伸びる旧貨物支線跡。今は歩道およびサイクリングロードとして利用されている

 

【青梅線の謎を解く⑦】青梅駅の手前で急に単線になる謎

青梅線の運行形態は立川駅〜青梅駅間と、青梅駅〜奥多摩駅間では大きく異なる。青梅駅までは東京の郊外幹線の趣があるが、青梅駅から先は、途端に閑散路線となる。ところが、線路の造りを見ると、こうした運転形態とは、少し異なる。青梅駅の一つ手前、東青梅駅までは複線区間で、郊外線そのものだが、その先で単線となり、そのまま青梅駅へ電車は入っていく。電車の本数が青梅駅までは多いのにかかわらずである。

↑東青梅駅〜青梅駅間を走る立川駅行き電車。写真のように同区間で急に山景色が広がり単線区間となる

 

東青梅駅までは平野が広がる地形で、その先で、急に進行方向右手に山並みが迫ってくる。青梅駅が近づく進行方向左手にも丘陵があり、電車は窪地をなぞるように走り青梅駅へ入っていく。

 

東青梅駅までは1962(昭和37)年5月7日に複線化された。ところが、その先は複線化工事が行われなかった。山が急に迫る地形が、複線化を拒んだということなのかもしれない。

 

【青梅線の謎を解く⑧】青梅駅の風格ある駅舎の起源は?

青梅駅へ到着して駅を降りる。駅の地下道には、昔の映画館で良く見かけた映画看板が左右に掲げられている。改札口までの通路には青梅線の古い写真などの掲示もある。駅の案内表示はレトロ風と、昭和の装いがそこかしこにある。ちょっと不思議な駅の装いだが、青梅駅は2005(平成17)年に「レトロステーション」としてリニューアルしている。映画看板もそうしたイメージ戦略による。

↑旧青梅鉄道の本社だった青梅駅の駅舎。郊外の駅としては他に無い重厚な趣だ

 

青梅駅の駅舎は1924(大正13)年に青梅鉄道の本社として建てられた。青梅鉄道が開業30周年を迎えたことに伴い改築されたもので、すでに改築してから100年近い歴史を持つ。そうした経緯の建物のせいか、重厚感が感じられる。建物の1階部分のみしか見ることができないが、地上3階、地下1階建てだそうだ。

 

こうしたレトロステーションにあわせて、青梅市内には〝昭和レトロ〟の趣があちこちに。今年の4月末からは駅の隣に「まちの駅 青梅」という青梅市の地場産品を販売する店舗も誕生した。外装には昔のホーロー看板(メーカーそのものの看板ではなく似せてある)が飾られ、昭和期の町の商店のよう。青梅わさびや、地酒、スイーツも販売され、楽しめる店舗となっている。

↑青梅駅に隣接する「まちの駅 青梅」。懐かしいホーロー看板が数多く付けられた外装で、思わず見入ってしまう

 

青梅市街にはほかに映画看板が飾られた施設や店も多く昭和レトロ好きにはたまらない町となっている。

 

【青梅線の謎を解く⑨】西武鉄道沿線まで走る路線バスの謎

青梅駅からバス好きの人たちには良く知られた名物都営バスが発車している。西武新宿線の小平駅や花小金井駅へ向けて走る路線バスだ。青梅駅と花小金井駅間の走行距離は約30kmもある。この都営バスは「梅70」系統とよぶ路線バスで、都営バスが走る路線の中では最長距離路線とされる。所要時間100分前後で、道が混めば2時間かかることも。

 

走行する区間は青梅駅近くの、青梅車庫と花小金井駅北口間で、停留所数81もある。ほぼ青梅街道に沿って走り、青梅線の河辺駅(かべえき)、八高線の箱根ヶ崎駅、西武拝島線の東大和市駅、武蔵野線の新小平駅、西武多摩湖線の青梅街道駅を経由して、花小金井駅へ走る。

 

電車が走らない武蔵村山市や、公共交通機関の乏しい青梅街道沿いを走るとあって、意外に利用者が多い路線である。

↑青梅駅を発車する「梅70」系統の都営バス。写真のバスは小平駅行きだが、花小金井駅行きも走っている。

 

この「梅70」系統、1949(昭和24)年に301系統として生まれ、その時には荻窪駅〜青梅(現・青梅車庫)間を走っていた。1960(昭和35)年には阿佐ケ谷駅まで延伸されている。当時は約39.1kmで今よりも長い距離を走った。その後に荻窪駅まで、2015(平成27)年に、現在の花小金井駅北口まで短縮された。

 

全線乗車するには、かなり忍耐強くなければ難しい路線だが、次回は途中まででも良いので、試してみようかと思った。

 

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