今年10月で生誕50周年を迎えたトヨタ「カローラ」。先日、それを記念し、東京都江東区にあるショールーム「MEGA WEB」にて「カローラ生誕50年フェス」が開催された。今回はその様子をリポートしながら、カローラの歴史を振り返っていきたい。
愛され続ける“世界一”の単一モデル
いまでこそトヨタの代表車種といえばプリウスやアクアだが、かつてその筆頭格だったのはカローラ。デビューからわずか4年で累計生産100万台を達成し、現在でも世界15か国で生産、150か国以上で販売されている。2013年には総生産台数4000万台オーバーを達成しており、単一モデルの生産数としては他を圧倒する世界一だ。トヨタ全体を見渡しても、創業からこれまでに生産されたトヨタ車の実に5台に1台はカローラという計算になる。
【初代カローラ試乗の様子】
歴代モデルと歩んだ“マイカー史”
カローラはトヨタの乗用車としてはクラウンに次ぐ長寿モデルとなる。国内市場からかつてのライバルだった日産・サニーやマツダ・ファミリア、ホンダ・シビックといった伝統の車名が消失したいま、カローラは日本の“マイカー史”を語るうえで欠くことのできない生き字引的存在といえるのではないだろうか。そう思ったのは、会場で歴代モデルに再会し、カローラがいかに身近な存在であったかを再認識させられたからだ。
私事で恐縮だが、クルマに興味を抱いた子ども時代に自宅にあったのは2代目だったし、アルバイトを重ねて初めて自分で買った愛車は5代目時代にカローラの兄弟車だったスプリンター・トレノ(カローラ・レビンと並ぶ元祖ハチロクの一角)。また家族は初代カローラⅡから車歴をスタートさせ、2代目カローラⅡ、7代目を2台、そして現在も9代目を愛用している。
もちろん、これは極端なケースなのだろうが、クルマを懇意にしている営業マンから継続して購入するユーザーが多い日本の場合、カローラを乗り継いできたという家庭は少なくないはず。だとすればクルマにまつわる家族の思い出、つまりマイカー史にカローラが占める割合は、半世紀というこのクルマの歴史相応の重さがあっても不思議ではない。
歴史は長いがまだまだバリバリの現役
では、幾多のモデルが次々と消えていくなか、カローラがここままで命脈を保ってこれたのはなぜか。その理由の1つは、ベーシックカーとして十分な実力を持ちながら常に何かしらの“プラスα”を提供してきたからだと考えられる。初代の登場時、ライバルであったサニーのエンジン排気量が1000㏄だったのに対してあえて1100㏄を採用。「プラス100㏄の余裕」というキャッチコピーで後発の劣勢を瞬時にひっくり返したのは有名な話だ。
また、ユーザーの嗜好が多様化する過程でさまざまな派生仕様を用意し、常に時代に即したモデルを提供し続けてきたこともカローラが生き残るうえで大きな強みとなったはずだ。実際、現行モデルでも日本でエコカーの代名詞になっているハイブリッドをきっちりとラインナップしている。
トップセラーの座こそプリウスやアクアに譲っているが、決して老兵の座に甘んじているわけではない。この先、このクルマがどのようなカタチで世代を重ねるのかはわからない。だが、5~10年後にEVやFCVのカローラがデビューしても、それは決して意外なことではないのである。