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2019/12/2 19:00

人気観光地がなぜ? 「ウルル/エアーズロック」の登山禁止にある複雑な背景とは

多民族国家・オーストラリアの観光ポスターなどに登場する赤い巨大岩「エアーズロック」。いまでは正式に「ウルル/エアーズロック」と呼ばれるオーストラリアのこのシンボルは、世界遺産にも登録され、これまで世界中からたくさんの観光客が来訪。そのうちの3分の1が頂上を極めたと言われています。ところが2019年10月26日付で登山が禁止になりました。どのような経緯があったのでしょうか?

国土が広いわりに高い山の少ない同国は、内陸部に砂漠のような平原が広がっています。そんなオーストラリア大陸の中心に当たる部分にどかんと居座わるように横たわっているのが、一枚岩のウルル/エアーズロック。

 

ウルルは先住民が付けた名称で、エアーズロックはイギリス人によるもの。遮るものがほとんどない荒野に位置する標高863mのこの巨大岩には、それだけで強烈な存在感があります。しかもオーストラリア北部特有の赤土でできたウルル/エアーズロックは、夕日や朝日に良く映え、その美しい赤色がこれまで多くの人を魅了してきました。

 

巨大な一枚岩というユニークさからも登頂を極めようとする人が増加し、1964年にはチェーンの手すりも取り付けられ、ウルルの登山熱は加速することに。そして1987年には世界遺産に登録されましたが、これほど人気のあるウルル/エアーズロック登山がなぜ禁止されることになったのでしょうか?

 

ウルル/エアーズロックがあるオーストラリア北部準州は、6万年以上前から狩猟民族の先住民アボリジニが多く住む地域です。アボリジニは自然を崇拝して生活していますが、そのなかでもユニークな特徴を持つウルルは聖域としてアボリジニの精神面に大きな影響を与え、アボリジニはその信仰心がゆえに、この岩に登ることもしてきませんでした。

 

ところがイギリス人による入植以来、アボリジニ以外の人が訪れ登るようになったため、アボリジニはこれを不服としていました。登山者が頂上で裸になって騒いだりゴルフをしたり、さらにはトイレがないことから頂上付近で用を足し岩が汚れたりなど、アボリジニにとっては非常に屈辱的な出来事が起こっていたのです。

 

また、しっかりとした登山道が整備されておらず、表面が滑りやすいため、登山中に落ちる人も後を絶ちませんでした。これまでに判明しているだけでも37人が死亡したという悲しい記録が残っています。

聖域と考えられているところでこれほど多くの死者を出していることは、決して縁起の良いことではありません。こうした出来事を背景に、ウルル/エアーズロックの登山禁止への動きが強まっていきました。

 

登山禁止運動の背後には、1788年の入植以来続いているアボリジニと入植者(主にイギリス人)の抗争も無視することができません。入植してからしばらくの間、入植者たちはアボリジニを迫害したり、子どもを親から取り上げ収容所や孤児院に送るなどの強硬政策をとっていました。この時期は「盗まれた世代」とも呼ばれていますが、幸いなことに近年オーストラリア政府はアボリジニに対して理解を示すようになり、特別手当制度を導入し、2008年には政府として正式の謝罪を表明しています。ウルルに関しては1985年にその所有権が先住民に正式に返還されています。

 

こうした動きがウルル登山禁止運動を後押しし、2017年11月に議会で登山禁止令が採択。2019年10月26日を持って完全に禁止されました。ところが採択から実際に禁止されるまでの約2年間は、最後のチャンスとばかりに国内だけでなく世界中から山頂を極める人が押しかけ、ウルルは突如、観光のホットスポットに。ウルル/エアーズロックは遠くから見るほうが美しいという声もありますが、最後に上っておこうという心理が働くのは分からなくもありませんね。

 

しかし、この問題からは多文化共生の複雑な一面も伺えます。登山が中止になるまでの期間には、極右の女性政治家ポーリン・ハンセンが「禁止するのはおかしい」と言い始め、この問題はオーストラリア国内でも論議に。これが最後までアボリジニの心を苦しめていました。甲南女子大学非常勤講師で文化人類学者の平野智佳子さんは電子マガジンのシノドスでアボリジニの飲酒問題を取り上げていますが、そのなかで次のように述べています。

 

差異を尊重しあいながら国家統合を目指すオーストラリアにおいて、アボリジニはマイノリティであり、統合という国是のために「管理される側」にすぎない。結局、折衷案として繰り返されるアボリジニの自律と包摂のシーソーゲーム。そんなシーソーゲームのさなかで、アボリジニは「オーストラリアの象徴」として美化されたり、問題を起こす「困った先住民」と揶揄されたりする。(平野智佳子著「なぜオーストラリア北部準州ではアボリジニへの飲酒規制がおこなわれているのか?」シノドス、2018年6月27日付)

 

このような背景のなかでウルル/エアーズロックの登山は禁止になりました。上記のシーソーゲームで考えてみると、今回の登山禁止令によってアボリジニは包摂とは逆の自律のほうに傾いているのかもしれません。2019年5月にはオーストラリアの内閣で初のアボリジニの閣僚が誕生し、10月26日は「歴史的な日」となり、アボリジニは勢いづいているようにも見えますが、これからオーストラリアはどのように変わっていくのでしょうか?  ウルル/エアーズロックはその様子を静かに見守ります。

 

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