今年春の、緊急事態宣言による外出制限時は、多くの飲食店同様、温泉や銭湯も休業が相次ぎました。私ごとですが、週に3日は温泉に入っていた筆者にとってはこれが結構なストレスでした。でも、特にそんなときに役立ったのが自宅でのバスクリン風呂。
ご存知の通り「バスクリン」は日本を代表する入浴剤ですが、定番のバスクリンのほかに派生商品の「バスクリン フレグランススタイル」、「大人のバスクリン」、「バスクリン ピュアスキン」、「バスクリン 薬湯」、「バスクリン クール」など、自宅入浴を楽しめるアイテムがたくさん出ています。しかし、このバスクリンのルーツとは何なのか? と調べたところ、なんと90年もの歴史があり、今年はその周年イヤーなのだそうです。そこで今回は(株)バスクリンを尋ね、マーケティング本部の後藤 葉さんに、その歴史と知られざるエピソードを聞きました。
バスクリンは、銭湯からの依頼でできた「夏仕様」の入浴剤だった!
ーーバスクリンが誕生したのは今からはるか90年前、1930年のことですね。
後藤葉さん(以下、後藤) 弊社の前身は(株)津村順天堂(現:(株)ツムラ)なのですが、この会社から1897年に「浴剤中将湯(よくざいちゅうじょうとう)」という入浴剤が販売されました。これは「日本初の入浴剤」と言われていて、生薬で造られたものでした。血行を良くし女性特有の症状を緩和する婦人薬「中将湯(ちゅうじょうとう)」という当時の同社のメインが、浴剤中将湯を生むきっかけとなりました。
後藤 ある日、この婦人薬中将湯を作る過程で出た生薬の残りを、当時の社員がおうちに持ち帰ったそうです。お湯に生薬の残りを入れたところ体がポカポカしたり、子どものあせもが治ったりしたそうです。当時、津村順天堂は日本橋にあったのですが、まずこの地域でその話が口コミで広まって、銭湯のほうから「商品として売ってくれないか」という依頼をいただきました。それで銭湯用に「浴剤中将湯」が製品化されたんです。
後藤 ただ、この銭湯向けの浴剤中将湯は、たしかに体はポカポカするのですが、夏だと暑すぎてたまらない……という事もあったようです。それで、また銭湯からの「夏でも快適に過ごせる入浴剤はないか」という依頼を受けて1930年に開発したのが芳香浴剤「バスクリン」でした。
戦後、バスクリンは銭湯向けから家庭用にシフト!
ーー芳香浴剤バスクリンは、具体的にどんな成分に変えたのでしょうか。
後藤 当時のバスクリンは主に硫酸ナトリウムと重曹などを有効成分として使用していました。このうち、重曹は石鹸と同じように皮膚の汚れを乳化し、清浄効果があるため採用されたのだと思います。
しばらく銭湯向けに販売されていたバスクリンですが、戦時中はあらゆる業種と同様に販売ができなくなりました。戦後1950年に販売を再開するんですけれど、このときもまだ銭湯向けだったようです。
後藤 しかし、バスクリンを使っている銭湯は、「バスクリン使用」を売りにすることが多かった一方、コストを節約するため、なかなかお風呂のお湯を変えないで営業するところもあったようです。このことに対し「衛生上、問題がある」と保健所からの指摘を受けた時期がありました。
これを契機に津村順天堂では、「銭湯向けよりも、一般家庭向けにシフトしたほうが良いのではないか」と考え始めます。同時期、日本は戦後の復興、経済成長を遂げていた時期で、生活水準も上がり家庭に内風呂が備えつけられるのが一般的になり始めました。日本人の多くの家庭にお風呂が備え始められたその時代にも合致し、バスクリンは一般家庭に広まっていきました。
本物に近いジャスミンの香りに、怒る人が続出!?
ーー以降、香りも様々なものを販売されたようですね。
後藤 初代バスクリンは大ヒットしましたが、「さらに多くの方に喜んでもらえる商品を」ということで、その後、無数の香りの研究を重ねていたようです。特に1960年発売の「バスクリン ジャスミン」という商品は、バスクリンの象徴的な香りになりました。
後藤 このバスクリン ジャスミンは1960年の最初の発売から、24年後の1984年のリニューアルまでいっさい香りを変えないまま販売されました。この間、調香師の技術も向上し、より本物のジャスミンの香りに近づけるよう、リニューアルしたのが1984年のバスクリン ジャスミンだったのですが、ここで問題が起こったそうです。
せっかくより本物に近づけたジャスミンの香りだったのですが、お客さまが1960年発売からの香りに慣れ親しんでいるため「これはジャスミンじゃない!」「ジャスミンの香りがしないじゃないか」と、多くの声をいただいたそうです。つまり、ありがたいお話なのですが、1960年のバスクリン ジャスミンの香りはそれだけ多くの方々に親しまれた商品だったということでもありました。結局その後、元の香りに近づけたバスクリン ジャスミンを再販売するなんていうこともありました。
様々なラインナップのバスクリン
ーーまた、以降は香りだけでなく、様々なタイプの派生商品も多く生まれていきました。現在のバスクリンのラインナップだけを見ても、「薬湯」、「クール」、「フレグランススタイル」、「大人のバスクリン」、「ピュアスキン」などありますね。
後藤 そうですね。バスクリンの当初のコンセプトは「日本の家族を温めたい」というもので、言い換えれば「家族みんなで使ってもらう」ことを考えていました。そこから派生し、今では多様性に対応して女性が好む香りや、大人が贅沢感を感じられるもの、生薬有効成分が配合されたものなど、様々なラインナップを用意しています。
ーーさらに(株)バスクリンでは、「きき湯」「日本の名湯」といった入浴ブランドを発表しています。
後藤 これらは津村順天堂時代からの知見を生かし開発されています。
現在はバスクリンが会社名!?
ーー現在は、(株)津村順天堂(現ツムラ)から分社化し、一つの企業・株式会社バスクリンとして独立されています。
後藤 2006年に(株)ツムラから分社化し、2008年にツムラグループから独立。2010年に株式会社バスクリンという名前になりました。さらに2012年からはアース製薬のグループに加わりました。
これからも「日本の家族を温めたい」
ーー特に今年、巣ごもり需要で「入浴剤の売れ行きが伸びた」ということはありましたか?
後藤 4月の緊急事態宣言で、皆さんがお家で過ごさなければいけない時期に、入浴剤の需要が伸びたのは事実です。他社製品も含めた弊社の入浴剤市場全体のデータは、今年の1月~6月までで前年比110%。弊社の入浴剤全体も同じような数値で推移していて、この伸び率は今後も高まるのではないかと思っています。実際、メディアでも「入浴や入浴剤の特集を組まれることも増え、こういったところでの露出もバスクリンが再注目されている理由だと思います。
ーー最後に、これまでの90年を経て、バスクリンの100周年を目指すにあたり、改めて考えていることがあればお聞かせください。
後藤 銭湯向けの商品としてスタートしながら家庭向けにシフトし、香りや容器の変更もあった90年ですが、当初から一貫して変わらないバスクリンのコンセプトは「日本の家族を温めたい」ということです。この軸となる部分、そして日本の入浴文化形成の一助になるよう、今後も努力していきたいと思っています。その上で、より柔軟に、様々なニーズにお応えできるような商品を出し、100周年を迎えられたら良いなと思います。
後藤さんのお話を聞いているだけで、ついまたバスクリンを入れたお風呂に入りたくなる筆者でした。外出しにくい今であることに加え、これから徐々に涼しくなっていく季節でもあります。お家のお風呂で、ゆったりバスクリンを入れたお風呂に浸かって、ほっとしてみてはいかがでしょうか。
撮影/我妻慶一
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