私の周囲には、作家・森沢明夫に夢中という人がたくさんいます。それも、普段は小説などあまり読まない男性にファンが多いのです。なぜでしょう。不思議です。
男子の涙腺を崩壊させる本
ある人は私に打ち明けてくれました。
「うれしいとき、悲しいとき、心衰えたときや失恋したとき、僕は森沢明夫の小説を読むんだよ。読まずにはいられないんだ」と……。さらに、「ハズレがないからね。どれを読んでもつまらないってことがない」と、ビジネスマンらしい意見を言ったヒトもいます。他にも、仕事でミスをしたときに読んで、涙腺が崩壊したような状態となり、嗚咽をこらえるのがやっとだったという方にも会いました。
涙腺崩壊ですって? それはすごい! 私も30年近く、文筆を生業として暮らしてきましたが、読者の涙腺を崩壊させるようなものを書いたことがありません。どうやったら、そういう物語を書くことができるのでしょう? それを知りたくて、『エミリの小さな包丁』(KADOKAWA・刊)を手に取りました。
最初の2行でつかまれる
読み始めてすぐ、私は森沢明夫の創作の秘密を知ろうとした自分の浅はかさを恥じました。『エミリの小さな包丁』は読者を泣かせようと思って書かれたものではないと思ったからです。
技術を駆使して読者の心を操作するといった駆け引きを感じることもできませんでした。物語そのものの力が、私の心をむんずとつかんだのです。それはたとえば、物語の最初の2行にも表れています。
わたしには武器がある。
キーンと音が鳴りそうなほどに研ぎ澄まされた出刃包丁だ。(『エミリの小さな包丁』より抜粋)
えっ! どうしたの? 何をするつもりなの?
驚いた私は、創作作法を学ぼうなどといった考えを忘れ、ただ、どぎまぎしながら主人公のことを心配してしまいました。そして、気づいたとき私は完全に本の中に埋没していました。
まるで自分が主人公のエミリになったかのようで、一緒に傷つき、涙と共に眠り、不安でぼんやりとした後、少しずつ少しずつ、立ち直っていく過程を体験するのです。
エミリ、あなたはどんなヒト?
エミリはまだ25歳の女の子です。つい最近までレストランで働いていました。シェフではなく、フロア担当です。その仕事を天職と思っているわけではなく、ただ生活のためにやっています。同僚の紗耶はエミリをこう表現します。
アーンモンド形の目。小さくて細くてしなやかな身体つき。損得勘定が上手で、慣れない人や餌をくれない人には近づかず、たとえ慣れて餌をもらえるようになっても心の底では決して相手を信用しないズルさとしたたかさを持っている。いつも自由気ままで、マイペースで、用心深く、何よりも孤独を好む二十五歳の女
『エミリの小さな包丁』より抜粋
わかってもいないくせに、頼んでもいないのに、勝手にヒトを一筆書きにして楽しんでいるとしか思えません。沙耶の言葉には独特の毒があり、エミリは傷つきますが反論することはできません。
私にも経験があります。私のことなどろくに知らないはずなのに、「キミはよい子ちゃん症候群だよ。八方美人もここまでいくと、罪だよな~~」とか「三浦さんは幸せだから、悲しみなんてわかんないのよ」と、決めつけられることが……。
私が「そんなこともないんだけどね」とおずおずと反論しようものなら、「そんなの贅沢よ」とか「がっかりしちゃうな。認めないんだ。そんな人だと思わなかった」というさらに聞きたくない答えが返ってきます。そんなとき私がどれほど悲しいか、このヒトはわかるまいと思うのですが、言葉は喉のあたりで絡み合い私は黙りこむしかありません。
恋に破れたその時に
エミリも同じ思いを味わいます。沙耶はエミリを猫型人間だと決めつけますが、エミリ自身は自分を犬型、それも犬歯を抜かれた臆病な犬のようだと感じています。
他人の印象と、実際の自分、その間に横たわる大きな差。それこそが、自分を傷つけ、苦しめ、生きにくくさせる原因となってしまうのでしょう。
そんなエミリが恋をします。用心深くて、人には慣れない彼女の心を奪ったのは、ひたすらに優しく、甘えさせてくれる年上の男性でした。
「こんなわたしでも、この世に生まれてよかったんだ……」そう思わせてくれる男。エミリが泣き止むまで「よしよし」と彼女の頭を撫でてくれる、そういう父親のような男性。妻子があると知ってもなお、エミリは彼から離れられないのです。
けれども、その優しさは残酷なまでのだらしなさにもつながっていることに気づいたころ、エミリはすべてを失ってしまいます。
結婚への夢も、職場も、収入も、住むところも……。まさに八方ふさがり。うずくまって泣いていても、誰も助けてはくれません。
包丁をよく研いで
エミリには逃げ帰る場所がないのです。八方ふさがりとなったエミリが頼ったのは、もう15年も会っていない祖父でした。
海辺の田舎町で暮らす祖父をかつては「海のおじいちゃん」と呼んでいた記憶はかすかにありましたが、顔さえちゃんと覚えていません。
けれども、他に行くところがないのですから、仕方がありません。
幸い、海のおじいちゃんは戸惑いながらも、エミリを受け入れてくれました。夜逃げ同然で転がり込んだエミリに部屋を与え、壊れていた扇風機を直し、何かを問いただすわけでもなく、ただ静かに一緒に暮らしてくれたのです。
それだけではありません。おじいちゃんは小さな包丁をエミリに渡しました。二人は、朝になると一緒に釣をして、魚をとる毎日を過ごすようになります。最初は義理をはたすために参加していたエミリも、もらった小さな包丁をよく研ぎ、魚をさばくことを覚えます。
もうひとつ大事な主人公
『エミリの小さな包丁』では、エミリとおじいちゃんの静かな日常が描かれますが、もうひとつ大事な主人公がいます。それはおじいちゃんが教えてくれる料理です。
カサゴの味噌汁
アジの水なます
サバの炊かず飯
チダイの酢〆
サワラのマーマレード焼き
黒鯛の胡麻だれ茶漬け
母親が留守がちでファストフードで育ったエミリには、作るのはもちろん、食べたことも、そもそもそんな料理があることさえ知らなかったものばかりです。
けれども、生真面目なエミリは一生懸命レシピを覚え、おじいちゃんを助けようとします。そして気づいたときには、いつのまにか自分が失恋の痛手から立ち直っていることに気づくのです。
料理の力
もちろん、田舎で暮らしさえすれば、穏やかで、満ち足りた生活を手にすることができるわけではありません。ことはそれほど単純ではないのです。
けれども、少しずつ、少しずつ、エミリは元気を取り戻していきます。苦しみで荒れた胃が、自らの力と食の豊かさで次第に治っていくように、エミリの心についた無数のミミズ腫れのような傷も、おじいちゃんとおじいちゃんが作ってくれる献立の助けを得て治癒します。
心をこめて作った料理は人の心をつかむことができるものなのでしょう。私自身は自慢できるほど手をかけた料理を作っているわけではありませんが、ご飯が家事の中で一番、大切。だから、なるべく頑張ろうと自分に言い聞かせてきました。食べるものは、人間を胃袋から癒やし、体の内側からなだめ、この世の悲しみを減らしてくれると思うのです。
『エミリの小さな包丁』を読み、食事は胃袋だけではなく、心の袋もむんずとつかみ、その人生を豊かにしてくれるのだと知りました。
だからこそ、涙腺崩壊の事態を生むのでしょう。
森沢明夫さんの物語は、静かに、けれども、確実に私たちの傷を治してくれる力がある、今はそう思っています。
【書籍紹介】
エミリの小さな包丁
著者:森沢明夫
発行:KADOKAWA
恋人に騙され、仕事もお金も居場所さえも失った25歳のエミリ。15年ぶりに再会した祖父の家に逃げ込んだものの、寂れた田舎の海辺の暮らしに馴染めない。そんな傷だらけのエミリの心を救ったのは祖父の手料理と町の人々の優しさだった。カサゴの味噌汁、サバの炊かず飯。家族と食卓を囲むというふつうの幸せに触れるうちに、エミリにも小さな変化が起こり始め…胃袋からじんわり癒やされる、心の再生を描いた感動作!
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