イタリアでは、約1年前からコロナ禍によるロックダウンが始まり、その後も一進一退の日々が続いています。国民は、ときにはユーモアも交えながら相次ぐ困難を乗り越えてきたものの、変異種の拡大もあり感染の脅威は現在も続いています。そのような状況下で飲食業界はテイクアウトやデリバリーに力を入れていますが、芸術愛が強いイタリアだけにカルチャー業界からも「シアター・デリバリー」なるものが登場しました。
美術館や博物館、歴史的建造物、劇場などいたる所にカルチャー施設があるイタリア。これまでは思い立ったらその日に見学や鑑賞が可能でした。昨年春のロックダウン後、政府から最初に開店許可が出た業種のひとつが書店だったことからも、イタリアがカルチャーを大切にしていることがわかります。しかし、コロナに右往左往させられたこの1年、こうしたカルチャー施設も開館や閉館を繰り返してきました。
イタリアでは感染状況に応じて各州をレッド、オレンジ、イエローの3種類にゾーン分けしており、飲食業界だけでなく、カルチャー業界も人々を満足させるサービスを提供できない状態が続いています。多くの美術館ではオンラインでアートを鑑賞できるプロジェクトを推進していましたが、人気はいまひとつ。その場の空気に直接触れることができない鑑賞方法では、醍醐味を味わいにくいというのがイタリア人の本音なのでしょう。
劇団の女性2人がどこでも「生の演劇」
そのようななか、ミラノの劇団に所属するロベルタとマリカという俳優2人がシアター・デリバリーを開始したのです。彼女たちは当初、経済的に苦しい家庭に食材を届けるボランティアをしていました。生きるために必要な食材を届けるという行為から始まり、その後“心の糧”となる演劇をデリバリーしようという考えが生まれました。
背中に背負うリュックに入っているのは劇の扮装のための小道具で、自転車を使いミラノ市内を移動します。一見すると食品や食事の配達員のようですが、2人が届けるのは食べ物ではなく演劇というカルチャーなのです。
彼女たちのシアター・デリバリーは、新型コロナの感染対策さえしていればあらゆる場所にデリバリーできます。「劇場はどこでも再現できる」という信念のもと、子どもたちが駆け回るアパートの中庭や公園、落書きだらけの高架線の下など、ミラノのあちこちで演劇鑑賞が可能となりました。オンラインではなく、“生”で演劇の素晴らしさや感動を届けたいというのが2人の願いです。
フェイスブックやインスタグラムなどのSNSには、彼女たちがデリバリーできる演目と価格が記載されていて、注文もそれらを通じて行われます。演目メニューを見てみると、ロベルタとマリカの本気度が伝わってきます。必ずしも人々に笑顔を運ぶだけが目的ではない、という本格的な演劇メニューがずらりと並んでいるからです。
今年700年忌を迎えるために各地でイベントが予定されている大御所ダンテの作品や、ノーベル文学賞を受賞したダーリオ・フォの代表作のほか、子どもたちに大人気の児童文学作家ジャンニ・ロダーリの演目もお届け可能。いずれもイタリア語の美しさが十分堪能できる演劇であることが特徴です。
また、メニューはピッツァのように「ロッソ(トマトソースをベースにしたもの)」と「ビアンコ(トマトソースがないもの)」に分けられています。ロッソのほうが、内容がより喜劇性のある構成になっているのだとか。
価格は7ユーロ(約900円)から35ユーロ(約4500円)までありますが、基本的には20ユーロ(約2500円)からのオーダーとなっています。ただし、経済的に苦しい家庭の場合はこの限りではない、という気の利いた文言も記されており、ロベルタとマリカはその理由について、「演劇はあらゆる人が楽しむべきものだから」と語っています。
ステイホームが続くイタリアでは、子どもだけでなく大人までパソコンやスマートフォンに触れる時間が大幅に増え、社会問題化している部分もあります。そのような状況で本格的な演劇を生で目にすることは、魂に栄養を与えることになるでしょう。
シアター・デリバリーは同じアパートに住む複数家族からのオーダーにより、住まいの中庭や公園で活動することが多いそう。ロベルタとマリカは、親しい人や離れている家族へのサプライズとしてもぜひ活用して欲しいと語っています。心の糧として届けられる文化の香り高いプレゼントは、忘れられない思い出になるでしょう。