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2022/7/14 21:15

教科書にも載っている「名刹」が惚れた、稀にみる「やわらかな照明」の正体

博物館や美術館において展示品の価値を際立たせ、荘厳な雰囲気を与えている縁の下の力持ちが存在する。それが、展示品の上下など、目立たないところに設置された照明だ。

 

その光は、部屋や空間を照らすものとは異なり、展示品をより美しく見せるために存在している。この夏、その光に惚れ込んだ名刹が、国宝を収める御堂に、そのライトを設置した。

 

教科書にも載っているあの寺院で行われた大工事

その名刹とは、奈良の唐招提寺。遠く海の彼方、唐から幾たびもの渡航失敗を経て、来日した鑑真和上が、759年に開いた寺院である。その入り口から金堂を臨む写真は、多くの人が歴史の教科書で見たものだろう。

↑唐招提寺の金堂(国宝)。奈良時代に建てられた建物の内部には、本尊の盧舎那仏坐像のほか、薬師如来立像、千手観音立像が祀られている。3つの像は、建物と同様にいずれも国宝だ

 

唐招提寺の境内には多くの建物が存在するが、この記事で主役となるのが「御影堂(みえいどう)」だ。まずはその歴史を紐解こう。

 

国の重要文化財にも指定されている御影堂の歴史は、江戸時代初期にまで遡る。興福寺の別当坊(寺務を統括した僧の宿坊)であった「一乗院宸殿(いちじょういんしんでん)」として、1649年に建設されたこの建物は、明治時代には奈良県の県庁や奈良地方裁判所の庁舎としても使われた。

 

その後、1964年に国宝の鑑真和上坐像を安置する場所として、唐招提寺に移築。波瀾万丈ともいえる歴史をたどってきた建造物だ。

↑前庭から見た御影堂

 

御影堂の内部には、鑑真和上が辿ってきた、日本に至るまでの苦難の道のりを表す襖絵や障壁画が奉納されている。これらの絵は、鑑真和上の心を慰めるような絵を飾りたいという唐招提寺の第81世森本孝順長老の願いに、日本画家の巨匠である東山魁夷画伯が共鳴して制作され、1975年に奉納されたものだ。

↑御影堂内部の襖絵「濤声」は、鑑真和上が渡ってきた、海の様子を表す。和上を苦しめた日本海の荒波(右手前)、そしてようやく辿り着いた波打ち際(左奥)。この絵が表現しているのは、和上が重ねた苦労そのものなのだ

 

そんな御影堂だが、実は近年、危機に陥っていた。地盤沈下による歪みや、雨漏りといった問題に襲われていたのだ。それを改善すべく、2016年から保存修理事業を開始。7年もの歳月を経て、2022年3月31日に無事竣工を迎えた。

 

その工事で一番の難所だったのは地盤沈下で、最も沈下が酷かった建物の玄関口は、なんと10cmほども沈んでいたという。これを解決するため、建物を約60cm持ち上げ、北に30cm移動、地盤を改良してから元の位置に戻すという大工事を敢行。また、銅板葺の屋根は、新しく、より丈夫なものに葺き替えられた。

↑御影堂の玄関口。地盤沈下の影響を最も受けた部分だ

 

長年の苦労ののちに復活した御影堂。工事中は“避難”していたという鑑真和上坐像も無事遷座が完了し、立派な襖絵・障壁画も元の位置に戻され、2022年6月5日に御影堂落慶法要が行われた。

 

法律の壁を乗り越えてまで導入したかった、やわらかな光

さて、今回の工事で新たに設置されたのが、襖絵・障壁画を照らす照明だ。この照明が設置された理由は、唐招提寺の執事長、石田さんの“一目惚れ”だった。

↑唐招提寺の執事長、石田さん。7年にわたる大修理を乗り越えたその表情からは、達成感が感じ取れた

 

御影堂の修理工事中、東山魁夷画伯の襖絵・障壁画は展覧会で全国を周っていた。その展示室ではこの絵に絶妙な照明が当てられており、その光が石田さんの眼を惹きつけたのだ。

↑天井に設置されたLED照明が、壮大な襖絵を柔らかく照らす

 

絵が御影堂に戻ったあとも、柔和な光で名画を照らしたい。しかし、重要文化財に登録されている建物の天井に配線を設置するには、文化財を守る法律による規制という高い壁があったという。その規制とは「文化財に登録されている建造物には、一切釘を打ってはいけない」というものだ。

 

しかし、釘やボルトがなくては配線ダクトを取り付けることもできない。そこで、天井板の一部を新しいものに交換し、その新しい板にだけ釘やボルトを打つという策を講じ、法規制という高い壁を打破した。そこまでして、照明を入れたかったのだ。

↑天井板をよく見ると、一部色が違う箇所がある(写真中央)。これが、板を新たに入れ替えた部分だ

 

その照明が照らしているのは、鑑真和上が日本に向かって渡った海の様子を表す「濤声(とうせい)」という襖絵だ。

↑「濤声」の題名通り、この絵には様々な波が精緻に描かれている。実際に日本海の波の様子を取材して、制作されたという

 

この絵は、砂利敷きの前庭に反射した太陽光が障子を通して差し込む、淡い光を浴びて鑑賞されることを念頭に描かれている。しかし、その光の明るさは天気に左右されてしまうから、障子を開閉して堂内に入ってくる光の量を調整しなければならない。また、御影堂に多くの人が集ったときには、障子からの光が遮られてしまい、そもそも外光が入らない。

 

こういった理由から、せっかくの絵が本来の姿を見せられる場面は限られていた。だからこそ、この照明が必要だったのだ。

↑照明を消灯した様子。取材日は曇天だったため、かなり暗い印象を受けた

 

↑白い砂利が敷かれた御影堂の前庭。晴れの日には、この砂利が太陽光を多く反射して、御影堂の中を照らす

 

今回の照明設計を担当したパナソニックエレクトリックワークス社の福澤さんによれば、絵の想定にあうよう、明るさを微妙に調整したという。博物館などの展示室では平均50ルクス程度の明るさの照明が用いられているが、御影堂に納められたものはやや控えめの平均40ルクスだ。

↑石田さんと談話する、パナソニックの福澤さん(右)。2人の付き合いは大修理が始まる以前からで、9年以上に及ぶという

 

御影堂の照明は、太陽光と共存している。それゆえ、太陽の自然光に近い色を再現するのに必要な、演色性には強くこだわった。今回導入されている照明は、演色性の高さを示す平均演色評価数(単位:Ra)という指標で、自然光の100Raに肉薄する95Ra以上を実現している。

 

また、光が襖絵だけを照らすよう、他方向への光の分散を防ぐスプレッドフィルターを搭載。なお、光源はLEDのため、文化財を傷める紫外線はほぼゼロだ。

↑天井に設置された照明と襖絵。障子からも光が差し込んでいるが、明るすぎる印象はまったくなかった

 

その照明の出来について、石田さんは「戸板の開閉をせずとも、絵にとってベストな明るさを実現できるようになった」と嬉しそうに話す。また、「障子の戸板も文化財。開閉の繰り返しによって傷んでしまうのを防げるのでありがたい」とも語っていた。

↑襖を開けると「上段の間」に施された障壁画「山雲」が姿を現す。山に雲がかかる様子を描いた幻想的な作品だ

 

写経会などに参加して、御影堂に入ろう

残念ながら、現在御影堂の拝観は外観のみとなっており、一般の参拝者は内部に入ることができない。だが、例年4月と11月に開かれる写経会は御影堂内で行われる。堂内に入り、襖絵を肉眼で見られる機会は少ないながらもあるのだ。

↑写経会など、明るさが必要なシーンのために、明るい照明も設置されている

 

↑写経会で書いた経本は、国宝の経蔵に奉納される。三角柱の木を組み合わせて作られた校倉造のこの建物も、奈良時代に建造されたものだ

 

また、例年6月には鑑真和上坐像の特別開扉が実施されるので、その際も御影堂に入ることができる。しかしこのイベントは予約制であり、今年は4月初旬の情報公開後、1週間で予約が埋まってしまったというほどに人気だ。

 

限られた機会を掴み、御影堂に入れた方の目には、大迫力の襖絵・障壁画が飛び込んでくる。石田さんが「近々文化財に登録されるのではないか」と語るこの絵を見れば、その荘厳さに圧倒されることは間違いない。