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2024/7/15 22:00

遠野物語と河童の街から国産ホップの聖地へ。ビール好きが注目すべき現代“遠野”に加わったもうひとつの“伝説”

岩手県の遠野といえば、柳田国男の「遠野物語」でも知られるように民間伝承の聖地として有名。しかしいま、民話同様に盛り上がっているのが、ホップを中心としたまちおこしです。なぜ、東北の山里でこのようなムーブメントが起きているのでしょうか? ビールがおいしい季節に、その最前線に迫ります。

↑2016年開催時の遠野ビアツーリズムにて。左端はホップ博士として有名な村上敦司さん。(現、キリンホールディングス飲料未来研究所の技術アドバイザー)

 

雨にも風にも負けず、遠野とホップが歩んだ60余年

そもそもホップとはハーブの一種で、“ビールの魂”といわれるほど重要な素材。ビールの香り、苦み、泡立ちなどを左右するとともに、殺菌効果で腐敗から守る役目もあります。加えてホップは、近年のクラフトビール人気でいっそう注目が集まっており、新品種の開発も盛ん。ホップがなければ、あの多様的で個性あふれる味わいは生まれないともいえるでしょう。

↑収穫時季は晩夏。ちなみに岩手県はホップの生産量で日本一を誇ります。(シェア47.8%。2位は秋田県で28.6%/2022年)

 

そして、そのホップに長年心血を注いでいる企業がキリンビールです。日本産ホップに関しては、100年以上前から試験栽培に従事。購入量に関しても、日本産ホップの約7割は同社が仕入れています。

↑遠野市には随所に、キリングループが参画するホップ圃場(ほじょう)が点在しています。

 

他方、遠野とホップの歴史は約60年前までさかのぼります。とはいえ遠野はもともと雨風など冷災害が多く、農業をするにも作物を選ぶ地域。そのなかで目を付けたのが、隣の江刺(現・奥州市)で栽培されていたホップでした。その動きに賛同し、遠野がホップ栽培を開始した1963年に栽培契約を締結したのがキリンビール。互いに協力し合いながら、遠野で初めてとなる挑戦を推し進めていきました。

↑60周年を迎えた2023年には、地元のクラフトブルワリーである遠野麦酒ZUMONAが記念銘柄「IBUKI HOP IPA」を発売。遠野駅から徒歩数分のブルーパブ「遠野醸造タップルーム」にて。

 

しかし、世界的な品種の開発合戦とグローバル化のなかで日本産ホップは国際競争力を失っていくことに。高度経済成長期を迎えると、次第に広大な圃場をもつ外国産の安価なホップに押され、徐々に日本産は需要が減少。1983年をピークに、遠野のホップ農家も減少していきます。

↑近年の減少はよりダイナミックで、2008年に446tだった生産量は2022年には167tへと激減。

 

それでも受難のなか、キリンは2002年に遠野のフレッシュホップ(通常は乾燥ペレットにするところ、生のホップを凍結させて新鮮な香りをビールに凝縮させる)を使った「キリン 毱花一番搾り」を商品化。2004年にはいまも続く「一番搾り とれたてホップ生ビール」へと進化させ、秋冬の定番ビールへと成長させました。

↑発売20年目を迎えた、2023年版の「一番搾り とれたてホップ生ビール」。遠野で収穫したばかりの生ホップを収穫後24時間以内に凍結して使用した、フローラルな香りが魅力です。2024年はどんな味・香りになるでしょうか? 期待が高まります。

 

その後2007年には「ビールの里構想」を打ち立て、「TK(遠野×キリン)プロジェクト」を発足。遠野産ホップ使用ビールの推進、クラフトブルワリーの応援、ビールに合う遠野産食材の開発とPR、ホップ畑見学などビアツーリズムの展開、遠野ホップ収穫祭の開催など、ホップを中心にすえた企画を次々と打ち出していまに至ります。

↑遠野市で活動している、キリンビール社員の髙間陽佑さん。ホップ栽培のほか、ビアツーリズムや収穫祭のサポートなども行っています。(取材当時)

 

遠野が抱えるホップ生産の課題と対策

ホップ生産量の数値としては、遠野をはじめ全国的に低下していますが、近年のクラフトビール人気とともに日本産ホップの注目度はむしろ上昇中。土地の気候環境などを生かしたテロワール型ホップ作りに励む動きも盛んで、岩手以外の各地でも地元産ホップのクラフトビールが造られるようになっています。

↑キリンビールが品質向上を目的に、全国のクラフトブルワーを巻き込んで行う官能評価会にて。京都・与謝野産ホップで造られる、かけはしブルーイングの「ASOBI」(右端)など、テロワール型ホップのビールも。

 

また、遠野でも「ビールの里構想」を「ホップの里からビールの里へ」という新スローガンとともに広げ、クラフトブルワリーも誕生。前述の遠野麦酒ZUMONAは1999年に地元の老舗である上閉伊(かみへい)酒造が立ち上げたブルワリーですが、2017年には3人の移住者によって遠野醸造が設立されています。

↑遠野醸造の設立メンバーのひとりであり、ホップとビールによるまちづくりの推進など様々な企画をしている田村淳一さん。

 

田村さんは日本産ホップの盛り上がりを感じつつも、遠野の要でもあるホップ栽培は課題も山積みだと言います。特に大きいハードルが収益構造。ホップにおける新規就農を希望する人はいても、土地も農機具もない状態から経験を積みホップ栽培だけで生計を立てるのは簡単ではありません。

 

そこで、観光を起点とした地域経済の活性化と応援者の増加をはかり、ふるさと納税による寄付などによってホップ生産者の補助制度や収益構造の改善に取り組んでいます。

↑遠野におけるホップ収穫の重要拠点、遠野市農協ホップ加工処理センター。2023年には遠野市が中心となって大規模改修が始まり、施設利用料を下げることで収益構造を変えるべく計画が進行しています。

 

遠野へ行ったら妖怪はもちろん人と羊でもホッピングを!

遠野が「ホップの里からビールの里へ」を掲げたのが2015年。翌年には、ビールの里構想における地域おこし協力隊制度の導入が開始し、そのなかで移住したメンバーにはユニークに活躍している人も。そのひとりが、怪談師やライターなど多才に活動する小田切大輝(オダギリダイキ)さんです。

↑怪談師のときはオダギリダイキとして活動する小田切大輝さん。地元の人から現在約150話もの遠野怪談を集め、その他含め300ほどの噺(はなし)をもっているとか。(取材当時)

 

山梨県出身の小田切さんは大学卒業後、国立劇場・新国立劇場での広報宣伝・舞台制作業務を経て2020年に遠野へ移住。地域おこし協力隊から「ビールの里プロジェクト」のメンバーとして着任し、上記田村さんの下で寄付金の制度設計や取り組みなどを担当していました。

 

小田切さんが遠野にやってきた理由は、もともとビールが大好きで、民俗芸能や怪談にも興味があったから。その3つが揃っている遠野に惹かれて移住し、現在は様々な手法でこの地の魅力を発信しています。

↑小田切さんへのインタビューを行った「遠野ふるさと村」。この日は施設のイベントで舞踊を披露していたとのこと。

 

冒頭で述べたように、遠野は民間伝承の里として有名です。妖怪奇譚も数多いほか日本有数といえるカッパ伝説の地でもあり、最後の目撃情報は半世紀前の1974年。有名スポット「カッパ淵」を訪れる人は年間6万人を超えるそうで、観光地としても人気です。

↑遠野には民話を語る「語り部」も多く存在し、カッパのエキスパートといえば“カッパおじさん”として有名な運萬治男さん。運よく「カッパ淵」で会うことができました。

 

そんな遠野はホップとビールでも盛り上がっていますが、グルメも見逃せません。特に、昔から有名なのがジンギスカンです。ジンギスカンは北海道のイメージが強いかもしれませんが、実は遠野でも古くからソウルフードとして親しまれており、ここならではの特徴も。

↑遠野ジンギスカンの元祖といわれる「ジンギスカンのあんべ」と人気を二分する名店「遠野食肉センター」。写真は遠野本店。

 

ひとつは、ブリキのバケツに固形燃料を入れてジンギスカン鍋を熱するスタイル。これは、昔から盛んに行われてきた地域の祭事などで、屋外でも気軽に食べられるよう考案されたのだとか。

↑「遠野食肉センター 遠野本店」にて。店内は無煙ロースターで焼くスタイルが基本ですが、屋外の席ではバケツジンギスカンも楽しめ、売店で肉を買うとバケツや鍋を貸し出すサービスも。

 

そしてもうひとつの特徴が、肉を漬け込んだ味付けジンギスカンではなく、焼き上げた肉を各店自家製のタレにつける食べ方。昨今首都圏で人気のジンギスカン店はこのスタイルが主流ですが、当初からこの手法で食べていたのが遠野なのです。

↑冷凍ではなくチルドで仕入れたラム(仔羊)肉は厚切りでジューシー。タレも絶品で、白米やビールとの相性も抜群です。

 

遠野でジンギスカンが親しまれるようになった背景には、かつて軍需羊毛自給のため、めん羊が農家で飼育されていたという歴史も関係しています。しかし現在、遠野における羊飼いはいなくなってしまい、そもそも日本における羊飼い自体が希少な存在となっています。

↑日本の羊飼いを応援している、都内の超人気ジンギスカン店といえば「羊SUNRISE」。写真は同店オーナーの関澤波留人さん。

 

日本で羊飼いが少なくなった理由はいくつかありますが、高度経済成長期に羊肉、羊毛ともに輸入自由化の品目に指定され、外国産が増えたことが一大要因に挙げられます。この話、何かの悲劇に似ていませんか? そう、ホップです。

 

国内の羊生産者に目を向けると、少ないなかで飼育を始めようとする動きも。岩手では遠野にこそいない(試験羊畜の取り組みはあり)ものの、近年では江刺や滝沢市などで羊畜産農家が誕生しています。そこには食のグローバル化のほか、羊肉の美味しさに気付く日本人が増えていること、そこから転じて羊飼いを志す人も増えているという背景があります。遠野もいつか、“妖怪の里から羊(よう)飼いの里へ”と願ってなりません。

↑遠野麦酒ZUMONAは「ひつじとホップ」という銘柄も発売。遠野ジンギスカンとのベストペアリングを目指した、爽やかな白ビールです。

 

失われかけた里の恵みに光を当て、酒と食のイーハトーブ(岩手県出身の偉人・宮沢賢治が思い描いた理想郷)を目指そうとするエネルギッシュな息吹にあふれる遠野。妖怪好きはもちろんのこと、ビールや羊肉ラヴァーの人も、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?