いわゆる“教養書”は数多くありますが、それとは一線を画した“生きた学び”を手に入れる実践的教養書シリーズとして、NHK出版の『学びのきほん』は注目すべき存在です。
哲学や仏教など、どちらかというとお堅いテーマが多いものの、教養書ながら若い女性にも読まれているといいます。シリーズを通じて大ファンを公言する、@Livingでおなじみのブックセラピスト・元木 忍さんが、編集担当であるNHK出版の白川貴浩さんを訪ね、同書が目指すことや人に読んでもらうための工夫などをうかがいました。
学びのきほん
松村 圭一郎『はみだしの人類学ともに生きる方法』
齋藤孝『人生が面白くなる 学びのわざ』
各737円(NHK出版)
シリーズ7弾、8弾として3月に発売された最新刊。松村圭一郎さんと齋藤孝さんという多くのファンを持つ人気の著者が、かつてない斬新な視点で、「人類学」と「学びのわざ」を探っていきます。
わずか2時間で読破できる、時代を意識した教養本
元木 忍さん(以下、元木):NHK出版さんの『学びのきほん』シリーズは、タイトルに内容が凝縮されているのが心地よく、しかもとても読みやすいですよね。ぜひ編集者の白川さんにお会いして、お話を伺いたいと思っていました。
白川貴浩さん(以下、白川):ありがとうございます。『学びのきほん』は、哲学、古典、仏教、医学などの基本が2時間で読める実践的教養シリーズとして、昨年3月に創刊しました。新幹線の東京・新大阪間で1冊読み切ってもらうというイメージで編集をしています。
元木:1冊が本当にさらさらっと読めるので、読書が気持ちいいんです。知っていることの“学び直し”になるし、知らなかった“気付き”も学べるので、読書習慣や、教養書に興味のない方に向けたメッセージ性を感じました。
白川:まずは1冊読み切ってもらうことを大事にしています。例えば最近の新書では、1冊あたりの文字量はだいたい10万字ぐらいなんですが、『学びのきほん』では4万字程度に絞っています。小見出しも多くしていて、ネットの記事2本分ぐらいで1本の小見出しを立てていますね。ルビ(振り仮名)も多めに振って、読書慣れしてない方や中高生でも読めるように工夫しています。
元木:若い世代の読者獲得も意識されていますか?
白川:それはありますね。当社では『100分de名著』というNHKの番組のテキストを発行していますが、これは教養系に分類される読み物で、読者層のメインは60~70代です。『学びのきほん』シリーズでは、『100分de名著』の読者層に加え、若い方にも届く本作りを目指し、表紙も若い世代を意識したデザインになっています。
違う入り口から入った方が身につく教養もある
元木:昔は、電車で読むための本を1冊はかばんに入れたものですが、最近では、電車の中で読書をしている方も非常に少なくなっていますよね。そんなところからも、全体的に教養の低下が始まってしまったのかもしれませんね。
白川:特に“教養への入り口”がなくなってきていることに危機意識はありますね。ネットやSNSの台頭による“読書離れ”という時代背景もありますが、出版業界の変化もあります。以前ですと、教養の入門書は、1冊600〜700円で手に入る新書や文庫から入り、より専門的な知識を求めて単行本へ進んでいく、という段階がスムーズに行われていました。現在は新書・文庫も値段がかなり上がってきて、手にすることすらハードルが高くなってきています。
元木:『学びのきほん』シリーズの価格は、内容も充実しているしわかりやすい構成もなっているのに、驚くほど安いですよね。他の出版社なら、これで1000円はしますよ。
白川:手に取っていただく敷居を下げたかったのが、一番の理由ですね。教養って身近にアクセス可能であるべきだと思うので、新書や文庫より値段を抑えたんです。ただ、シリーズを進める過程で思ったのですが、とある一定の年代に読んでもらいたい、というより、こういう問題意識をもっている人に届けたい、と考えるようになりました。
元木:問題意識といいますと?
白川:教養の基本と聞くと、例えば哲学なら、プラトンから吉本隆明までの哲学史のABCを教えてくれると思われますよね。
元木:そうですね。体系立った知識を教えてくれる本だと連想しますね。
白川:この本はそうじゃないんです。例えば若松英輔さんの『考える教室 大人のための哲学入門』では、哲学史は扱っているんですけど、世にいわれている哲学ではなく、自分たちの生活、もしくは自分たちの人生に直結するような哲学のありかたを提示しています。
他のテーマも同様です。今まであった教養の入門書がある種“正門”から入るものだとしたら、私たちのやっているものは“横”から、あるいは“別の入り口”から入った方が、自分に根付いてより使えるものになる、ということを知らせる面があります。だからこそ、問題意識を持っている方にこそ読んでほしいと思ったのです。
元木:ライフスタイルに合わせた学び、ということですね。
教養は日常に取り入れていかないと意味がない
元木:そこが従来の教養本と大きく異なりますね。
白川:藤田一照さんの『ブッダが教える愉快な生き方』も、いわゆる「仏教のABC」ではありません。ブッダという人物を私たちの人生に引き付けてみたとき、“正門”から語られてきたブッダの歴史や偉業ではなく、「自分も実践してみたいブッダ像」が見えてくるわけです。
『からだとこころの健康学』の稲葉俊郎さんは、西洋医学だけではなく、東洋医学や健康医療を全部医学ととらえ、そこから健康を定義した方が、一般の人が健康を考える時に近道になるんじゃないかと仰っていて、従来の健康教養本とはまったく捉え方の異なる内容になっています。
元木:稲葉さんは医師でありながら、どこか仏教じみた考えを綴っておられ、仏教の藤田さんは逆に「仏教を使って健康になろう」というような、医師に近い視点で考えを書いておられるのが、とても新鮮でした。シリーズを通して読んでわかったのは、私たちは教養や知識を、生活と距離をおいたところにあるものと捉えがちで、生活にあまり取り入れていないんだな、ということですね。大事なのは頭で覚える知識ではなく、体で感じる知恵であって、だからこそ必要なんだと思いました。
白川:そこまで読んでいただいていると、うれしいですね。教養は学ぶだけではなく、日常に取り入れていかないと意味がない。取り入れてもらえることを目指して作っています。
元木:このシリーズはどれを取っても共感があるし発見があります。ちなみに、発行部数はどれくらいですか?
白川:シリーズ6冊で累計13万部です。思った以上の反響がありました。
元木:きっと求められていたんですね。
白川:その判断は難しいところですが、現代はSNSやネットから情報を得るのが中心で、流れていく情報ばかりを浴びていますよね。でも、もし私たちが人生の危機に陥った時に本当に助けてくれるものは、流れていく大量の情報ではなく、1冊に込められた知識や知恵だと思うので、体に蓄積していく知識と出会うきっかけになればいいとは考えています。
元木:本には本の良さがあることはわかっていても、教養本は難解なものが多いですよね。いきなり読んでもチンプンカンプンで、読書の楽しさが生まれなくなってしまう。『学びのきほん』は、教養の扉を開く役目を担いながら生活の知恵が詰まっています。
白川:わからなくても感じればいい、というような部分もあります。
元木:SNSでは味わえない醍醐味ですね。
白川:けっしてSNSを否定しているわけではありませんし、SNSが情報の主流になっているのは事実です。大事なことは、本は、SNSの時間の使い方や情報の取り方に合わせていくことだと考えています。若い世代が、長い時間本を読むことができなくなっているのは、SNSにおける情報の使い方が細切れだからだと思うんです。先ほどもお話ししましたが、『学びのきほん』は情報を短く切って、SNSに慣れた方も違和感がないよう編集したことで、読みやすく感じていただけるんでしょうね。
元木:体に染み込ませる感じが好きですね。読んでいると勉強している気持ちになって、頭の中が整理された感じもあります。
ここからは、『学びのきほん』の制作の裏側をより具体的にうかがっていきます。本を手にとって欲しい、教養が読む人みんなの血肉になって欲しい、そう願う白川さんの工夫も見えてきました。
提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」
一人の編集がシリーズ全体のつながりを生む
元木:『学びのきほん』シリーズは、何名で編集されているんですか?
白川:編集は私だけです。
元木:え、白川さんおひとりで、この1年で8冊も刊行されているんですか? それは大変ですね、驚きです!
白川:そうですね。でも「教養の入り口は絶対に必要」という思いは強いので、けっして苦ではないですね。
元木:複数で取り組む良さもありますが、白川さんが一人でやっているので、テーマは違っても、シリーズとしてのつながりを深く実感できるのかもしれませんね。方向性もブレずに、企画はスムーズに通ったのですか?
白川:当社の出版物には、“基本”をテーマにした本が多いんです。『きょうの料理』は料理の基本ですし、『趣味の園芸』も園芸の基本。“基本”から教養の扉を開いていくという試みが、理解されやすかったとは思いますね。これは戦略ですが、『100分de名著』の次に読む、2冊目の教養書として手に取っていただけるという読みもありました。
元木:『学びのきほん』シリーズは、書籍ではなく雑誌になっていますが、何か意図があるんですか?
白川:私は大学の4年間ずっと、書店でバイトをしていたんですが、雑誌と書籍では流通の仕方が別になっているんです。雑誌で出せば必ず、NHK出版のテキストコーナーで『100分de名著』の隣に並べられると思ったので、基礎部数は売れると考えました。戦略的な話ばかりで恐縮ですが(笑)。
元木:書店さんでのバイト経験は、本作りをする人には現場を知ることができるので、良い経験でしたね。だから、その戦略が生まれたのですね(笑)。でも、このメジャーな著者ばかりをよく集められましたね。一体どんなアプローチをしているんですか?
白川:自分が好きな著者さんであることは共通していますね。万年筆で手書きのお手紙を書いて、なぜ依頼するかの想いをしっかり伝え、できれば直接会いに行きます。特別なことをしているわけじゃないです。
元木:万年筆のお手紙は、普通じゃないと思いますよ(笑)。誠実さを感じていただけたんじゃないでしょうか。
白川:シリーズのチカラもありますね。教養のABCではなくて、本当の教養や、生活に根付いた教養の必要性を感じている方々が、このシリーズに共感してくれたことがけっこう大きいと思っています。
元木:ここは苦労した、というエピソードはありますか?
白川:苦労というか、編集の仕方を絡めていうと、一照さんは衝撃でした。依頼する場合、企画の素案を著者にぶつけるのが一般的ですが、一照さんにはお手紙で「『学びのきほん』で書いてください」とだけ伝えて、執筆いただいているんです。本の構成案は作りましたが、あまり気にされない方なので。私はこれを“オーガニック編集”と名づけました(笑)。何が起こるかわからない過程の中で、著者の考えていることに寄り添いながら、シリーズに合った本作りをしていく編集スタイルを学びました。
松村圭一郎さんの『はみだしの人類学 ともに生きる方法』も、オーガニック編集に近いものがありました。取材の一番初めに、松村さんに「一番伝えたいことはなんですか?」と聞いたところ「それはこれから話してみないとわかりません」といわれ、取材をしながら結論へ導くというスタイルになりました。
元木:著者と意思疎通ができていて、信頼があってこそできる編集スタイルですよね。オーガニックという流れで、自然にこの本が生まれた本のように感じます。
白川:オーガニックというと聞こえはいいですが、行き当たりばったりです(笑)。今までになかったものができる可能性が出てくる点は面白いと思いますけどね。
読書をもっと楽しくする“ブックガイド”付き
元木:本の内容では、関連するブックガイドが付いているのは親切でとても参考になりますね。これも白川さんのアイデアですか?
白川:1冊を読み終わったあと、そのテーマをもう少し深めたいと思ったら、ブックガイドを参考に書店で本を買ってもらいたくて用意しました。自分なりの読書の方法が深まるだけではなく、読書の入り口に立ってもらえます。何を読んでいいかわからないという方がかなり多いので、文庫や新書など値段も安く手に取りやすいものを選んでいます。テーマは私が決めていますが、タイトルはすべて著者の血が通った本を選んでいただいています。
また、書店でもフェアでどういう本を置いていいかわからないという状況が出てきているので、この本のフェアをしていただく時には、このブックガイドを参考にしてもらおうという狙いもあります。
元木:この本の価格やスタイルですと、若い読者も増えたんじゃないでしょうか?
白川:2月に渋谷パルコで開催されたイベント「本屋さん、集まる。」に、「100分de名著&学びのきほん」で参加したのですが、買っていただいた方のほとんどが30代、40代の女性でした。例えば「子どもの習い事の待ち時間に読んでいます」という反響もいただいているので、若い世代の女性に読まれている傾向はあるのかもしれません。
元木:自分で悩みや苦しみを乗り越えて生きていくヒントを与えてくれますよね。本を読んで、自分が受けた感情を素直に表現しなさいと教わった気がします。白川さんは、素敵なお仕事をされているなぁとあらためて思いました。
白川:人生の中で「さあ行け!」と言われた時、すべて失って何もなくなった時、たとえ小さな灯りでも『学びのきほん』で書いてあった言葉を思い出して、道しるべになってくれたらうれしいですね。
【プロフィール】
編集者 / 白川貴浩
もともと教職志望であったが、大学時代、4年間にわたって書店アルバイトの経験を経て、編集者としての道を選ぶ。2012年、NHK出版に入社。現在『学びのきほん』シリーズの編集を担当している。