人間が馬を家畜として飼うようになったのは、今から5000年以上前のことだといいます。以来、私たちは馬を様々な方法で活用してきました。
美しいと愛でる一方で、肉として食べたり、荷物を運ばせたり、時には鞭打ちながら走らせたりもしています。馬と人との関係は密接で濃厚、家族の一員のようです。かと言って、愛玩用のペットというわけではありません。そこが馬と人の不思議なところです。
馬に魅せられたカメラマン
もうひとつ不思議でならないことがあります。一旦、馬に魅せられると、生涯をかけて愛し、追いかけるようになる人が多いのです。
『人と共に生きる 日本の馬』(里文出版・刊)の著者・高草 操もその一人です。彼女はフリーランス・カメラマンとして活躍していますが、撮影する対象を「馬に関すること」に絞っています。そして、日本中、いえ、世界中を飛び回って、馬の写真を撮ることにエネルギーを注いでいるのです。彼女にとって、馬は離れたくても離れられない運命の恋人なのかもしれません。
著者を馬の世界に導いたのは、一頭のサラブレッドです。その名はライスシャワー。競走馬に興味がない方でも、名前は聞いたことがあるかもしれません。小柄な馬ですが、大きなレースに何度も勝利をおさめた名馬です。最期は宝塚記念のレース中に骨折し、安楽死の措置がとられました。悲劇的な馬として記憶に残っている方もいるかもしれません。
ライスシャワーによって馬の美しさに目覚めた著者は、次第に馬の故郷や生産現場に関心を持つようになりました。そして、気づいたときには、馬を撮影するため旅をするようになっていたのです。
日本固有の馬について知ろう
『人と共に生きる 日本の馬』の序文は、日本ウマ科学会の青木 修会長によるものです。馬について、プロ中のプロと言うべき方ですが、青木会長は「馬に注ぐ著者の優しい視線」を見逃しませんでした。加えて、「日本の馬」にフォーカスした姿勢も高く評価しています。
もちろん日本でも古くから馬が飼われていた。それらの馬は、在来和種と呼ばれる馬たちで、総じて小型であり、粗食に耐えて頑健で、比較的温厚であったが、多くの在来馬が絶滅し、現在ではわずかに八種類が細々と保存されているにすぎない
(『人と共に生きる 日本の馬』の序文より抜粋)
今はわずかに8種類しか残っていないの? 私は驚かずにはいられませんでした。『人と共に生きる 日本の馬』によって、日本で昔から飼われてきて、外来の馬と原則的に交雑せずに残った馬を「在来和種」もしくは「在来馬」と呼ぶことも知りました。
今、残っているのは、ドサンコ、木曽馬(きそうま)、野間馬(のまうま)、対州馬(つしまうま、あるいは、たいしゅうば)、御崎馬(みさきうま)、トカラ馬、宮古馬(みやこうま)、与那国馬(よなぐにうま)の8種です。
『人と共に生きる 日本の馬』は、この8つの在来馬を実際に取材し、記録しています。北から順に、紹介すると……。
1.ドサンコ
ドサンコは「北海道和種馬」のことで、体躯は中型です。著者が初めてドサンコに会ったのは、サラブレッドを撮影するために北海道浦河町を訪れたとき、放牧地に捨て置かれたようにたたずんでいる馬がいました。小さいけれど、がっちりした体格のその馬が、ドサンコだったのです。
ドサンコは餌代がほとんどかかりません。黙々と雑草を食べて生きるドサンコを草刈機の代わりとする牧場もあるといいますから、本当に献身的な馬です。
2.木曽馬
木曽馬は山の中で生まれ育ち、足腰が強いのが特徴です。
木曽の馬産の歴史は古く、大宝律令(七〇一年)による牧の制度化で、霧原牧において馬が生産されていたという記録が残っている。(中略)馬たちは山間高冷地の厳しい自然に適応する農耕馬として育てられた
(『人と共に生きる 日本の馬』より抜粋)
たくましく、我慢強い、木曽路にふさわしい馬だと言えましょう。
3.野間馬(のまうま)
野間馬は、愛媛県今治市で飼育されています。日本在来馬の中でも、体高が90cmから110cmしかない小柄な馬です。けれども、昔から小さかったわけではありません。
農家の人たちにとって、粗末な食べ物でも丈夫な上、蹄鉄もつけずに重いみかん箱を運ぶことができた小型の馬たちは大切な働き手だった。小さな馬同士をかけあわせて子馬を産ませるというくり返しの結果、今のように小さな馬になったという
(『人と共に生きる 日本の馬』より抜粋)
4.対州馬
対州馬は、長崎県対馬市を中心に飼育されてきました。対馬は山国のため、小柄でも蹄が丈夫な対州馬は、得がたい交通手段として重宝されていました。現在はその役目を終え、イベントなどで活躍していますが、本来は人のために、重いものを黙々として運んでくれる馬だったのです。
対馬の人にとって、「馬といえばサラブレッドより対州馬を指す」と、言われる理由もわかるような気がします。
5.御崎馬(みさきうま)
御崎馬は、宮崎県の都井岬で、人為的な管理をほとんど加えない半野生馬として暮らしています。自然と共に生きる姿には神々しささえ感じます。
人が餌を与えることはもちろん、弱った子馬や年老いた馬、病気や怪我をした馬を助けることはしない。馬が死んでも亡骸はそのままにしておく
(『人と共に生きる 日本の馬』より抜粋)
6.トカラ馬
トカラ馬は鹿児島県十島村で暮らしています。東京から訪ねるとなると、なかなか大変な場所ではありますが、トカラ馬と聞いて、高草 操は胸を躍らせ、行かねばと思ったようです。
そして、彼女は出かけていきます。それも2度も……。ようやく対面がかなったトカラ馬は、はるばる会いにやって来た甲斐があったと思わせる品格の持ち主でした。野性的で誇り高いトカラ馬は「孤高の黒馬」と言うべき存在だったのです。
7.宮古馬
宮古馬は沖縄県宮古島で飼育されています。その由来を知って驚きました。伝承によれば、5~6世紀ごろ、馬を積んだ中国への輸送船が難破したとき、積み荷の馬が自力で島に泳ぎ着いたのではないかと言われているのだそうです。
宮古馬は、人なつこく、人間に寄り添ってきます。島の人々に可愛がられ、ひどい目に遭ったことがないので、すれていないのかもしれません。
8.与那国馬
与那国馬は沖縄県の与那国島で飼育されています。一見、野生馬のようですが、実はそれぞれの馬に飼い主がいるのだそうです。
興味深いのは、農耕に使うことがなかったという点です。与那国では馬は交通手段をになう存在であり、他に使役することはしないというのです。私も会いに行きたくなりました。
馬の背中に揺られて旅する気分
今、私たちは新型コロナウイルスによる影響を受けながら暮らしています。できるかぎり、家にいて、感染の拡大を防ぐよう努力している方が多いことでしょう。
私自身は元々、家で原稿を書くのが仕事なので、あまり変わりない生活を送ってはいますが、会議や会合はすべてキャンセルとなりましたし、調べ物をするため図書館に行ったり、取材に出向くこともできません。
やはり時に、鬱屈した気分になります。けれども、『人と共に生きる 日本の馬』のおかげで、私は自分が馬の背に揺られて、日本をのんびり旅しているような気分になりました。
この本には他にも、「祭りと馬の関係」や「人と共に生きた馬」などウンチクがいっぱいです。馬が好きな方も、そうでもない方にも、うれしい驚きをもたらしてくれることでしょう。
【書籍紹介】
人と共に生きる 日本の馬
著者:高草 操
発行:里文出版
日本の在来馬に魅せられた写真家である著者が、馬をたずね全国のゆかりのある地を踏査した渾身のフォト・ルポルタージュ。ドサンコ、木曾馬、トカラ馬など在来8種はもとより、相馬野馬追い、チャグチャグ馬コなど馬と人にかかわる祭祀、さらに地域と人に育まれた馬、史上の名馬などに及ぼして、写真とともに紹介する労作。著者多年にわたるフィールドワークの成果が、日本の馬の文化史として結実。