本・書籍
2020/8/31 21:45

介護では優しい人間が負けるというのは本当か?−−『我らがパラダイス』

我らがパラダイス』(林真理子・著/集英社・刊)は、毎日新聞の朝刊で連載されていた小説で、2017年に単行本化された。その帯に書かれた一文に衝撃を受けた人は多かった。

 

「介護では優しい人間が、負けるのだ」

そんな……、優しく、愛ある人間が最後には勝つのが道理なのに、高齢の親の介護では違うというのだろうか?

 

親の介護に奮闘する3人の中年女性を主人公にした本作は、今年の3月には文庫化もされ、介護で苦悩する世代の共感を集めている。

 

富める者の老後は優雅で安らか

物語の舞台は日本一とも言える介護付きの超高級マンション、セブンスター・タウン。もちろん架空の施設だが、叶うことなら年をとったらこんなホームに入りたいと思わずにはいられない。が、入居金はなんと8600万円! そこは、大企業の役員、医者、元スター、弁護士、外交官など富める者たちの終の棲家だ。マンションの中には、クリニック、トレーニングルーム、プール、ビリヤード室、大浴場、シアタールームまで完備されている。毎日の食事も高級レストランさながら。そして、音楽会やパーティーなどのイベントも楽しめる。もちろん居室は高級ホテル並。自立して生活できる間は、リッチなお年寄りたちは優雅な日々を送っている。

 

認知症が進んだり、身体が思うように動かなくなってもセブンスター・タウンでは安心。マンションの上階にある24時間体制の介護付き居室に移動するだけだ。そこにはベテランの看護師たちがいて手厚い介護を受けられる。最新の機器も備えられていて、寝たまま入浴できるベッドもあるという。

 

小説の中とはいえ、自分の親をこんなところに入居させてあげられたらどんなにか安心することだろう。

 

しかし、格差は人生の最後までつきまとってくるものなのだ。本書のテーマは介護の格差。セブンスター・タウンで働く、それぞれに介護が必要な親を抱え、追い詰められた邦子、朝子、さつき、という3人の女性が主人公だ。彼女たちは大胆な発想でこの格差に挑んでいく。介護の話は暗くなりがちだが、本作は、現代の介護問題をリアルに映しつつも、時にユーモラスにストーリーが展開する介護コメディといえるだろう。

 

邦子の場合

セブンスター・タウンの受付で働く細川邦子(48歳)は、ぼけが始まった父親を抱え、右往左往する。そもそもは父親の面倒をみるという約束で兄夫婦に実家を明け渡していたのだが、兄嫁がそれを放棄して家出をしてしまう。兄も嫁には何も言えない。

 

介護は優しい人間が負けるのだ。

親を思いやる心を持ち、常識や気配りがある方が負ける。こういう人間は、争うことを放棄してしまうからだ。親のことできょうだいといがみ合うのはイヤだ、とあたり前のことを考えた方が損をするのである。

(『我らがパラダイス』から引用)

 

ある日、邦子はセブンスター・タウンの一室に父親を数日だけ潜り込ませることを考え、仲間の協力のもとにこれを実行。購入はしたものの、オーナーがまだ入居していない部屋があるのだからそこで父親をゆっくり寝かせてあげたいと思ったのだ。しかし、父親は粗相をし、なんと緊急ボタンまでを押してしまったため、さあ大変! 激怒するマネージャーに対する、彼女たちの言い分には共感する読者が多いと思う。

 

朝子の場合

田代朝子(54歳)は、セブンスター・タウンで働く看護師。家では寝たきりになった母親の介護もしている。リストラにあって実家に戻ってきた弟に介護を手伝わせるが、時にこの弟はそれを放棄して出かけてしまう。やむなく朝子は母親を介護施設に入居させることを決断。しかし、見つけたホームはなんと高齢者への虐待がニュースになったところが名前を変えただけだったことが判明したり、朝子の東奔西走は続いた。

 

ある日、朝子はセブンスター・タウンの入居者でまったく意識がなく、また、たった一人の親族も遠く海外にいるというおばあさんと、自分の母親をすり替えることを思いつく。ところが、地方に送り出してしまったおばあさんが突然亡くなってしまい、大慌てで遺体をセブンスター・タウンに人知れず戻さなくてはならない事態に! フィクションならではのブラックな展開だが、親の介護で悩む世代には朝子の心情は理解できるはずだ。

 

さつきの場合

セブンスター・タウンのダイニングでサービスを担当する丹羽さつき(52歳)は、独身で高齢の両親と自宅で穏やかに暮らしていた。ところが、父親が急死。さらに実家は借地だったため、立ち退かなくてはならない事態に。そんな折、セブンスター・タウンの入居者でリッチだが、アルツハイマーの症状がではじめた男性の世話をしているうちに意気投合し、なんと玉の輿の結婚話が持ち上がる。小説の中でしかありえないと思う展開だが、記憶が薄れていく人の心情とそこに寄り添う人の気持ちはとても丁寧に描かれている。

 

林真理子さんの作品は『ルンルンを買っておうちに帰ろう』以来、たくさん読んできた。林さんの書く文章はとにかくスイスイと読みやすい。この老人介護という大問題を扱った長編小説も、時には笑いながら、一気に読めてしまう。親の老後の幸せを願うすべての人におすすめの一冊だ。

 

【書籍紹介】

 

我らがパラダイス

著者:林真理子
発行:集英社

入居時8600万円!介護付き高級マンションに勤める三人の女性たち。受付係の邦子はぼけが始まった父を、看護師の朝子は寝たきりになった母を、ダイニング係のさつきは父の死後、急激に老いはじめた母を抱え困窮していた。次第に追い詰められていく三人は、ついにその格差に敢然と立ち向かうー。富める者しか安らかな老後は過ごせないのか!? 現代を映すリアルでブラックな介護コメディ。

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