恋愛は難しい。好きな人ができても、相手がこちらの気持ちに気づいてくれないこともある。なんとか思いを伝え恋人になっても、いざ付き合ってみると、うんざりするような一面に気づき失望したりもする。たとえ、幸運に恵まれ、結婚し子どもを授かったとしても、油断はならない。家族になったからこそ起きる数々の困難に見舞われるからだ。
『ははのれんあい』(窪 美澄・著/KADOKAWA・刊)は、そうした恋愛の難しさ、結婚の流動性を描いた小説だ。恋愛小説でありながら、家族小説であり、人生の指南書ともなる。結婚の闇を描いたという点では、スリラーとして読むこともできる。
二部構成で家族を描く
『ははのれんあい』は大きく二つの物語に分けられている。第一部は母親である由紀子の視点で描かれ、第二部は由紀子の長男・智晴(ちはる)の視点に変わる。登場人物も第一部には、由紀子と夫の智久、夫の両親や由紀子の母親に重きが置かれているが、第二部になると、夫婦をめぐる人たちが加わり増幅していく。智晴の友達や職場の人々が次々と現れ、複雑さを増していく。
結婚とはそういうものだろう。最初は、ひと組の男女が織りなすもので、小さな閉じられた世界である。二人の濃密な思いだけで成立しているからだ。けれども、いつまでもそのままではいられない。恋をしていた男女は、夫婦になるや、義理の両親や実家の両親との家族関係をこなすようになり、そこに軋轢や葛藤が始まる。
子どもが生まれると、感動し、喜び、家族がひとつになったように思う。しかし、蜜月は長くは続かない。赤ん坊ができて、新しく組み直された家族は、その養育を巡ってぶつかり合う。
おむつは「紙おむつか、さらしの布おむつにすべきか?」に始まり、「母乳? それともミルク?」という選択もしなくてはならない。何よりも、思いがけない出費がかさみ、若い夫婦にのしかかってくる。そのあたりの事情を、著者・窪 美澄は、生活のちょっとしたことを取り上げ、印象深く描く。
母になった由紀子の毎日を読むうち、私は忘れかけていた自分の子育ての日々を思い出した。典型的な親バカだった私は、息子より可愛い生きものはこの世にいないと信じていた。根拠などなかった。なぜ、こんなに可愛いのだろうと考えたりもしなかった。もっと動物的な反応をして、毎日の子育てに邁進していた。
もしかしたら、自分たちの夫婦関係が変化してしまったのではとか、夫がどんな思いでいるかなどとは考えなかった。そんな余裕はなかったのだ。
赤ん坊は実に手間がかかる。1日24時間を捧げていても、まだ足りないほど忙しい日々……。由紀子の毎日も同じように、てんてこまい。そして訪れると考えもしなかった運命の変転。
大黒柱になった長男
第二部になり、語り手が息子の智晴(ちはる)に変わると、物語の色調も変わる。「ちーくん」と呼ばれる彼は、胸が痛くなるほど家族に優しく、献身的だ。働いている母・由紀子にかわり、奮闘する。長男として生まれた宿命を背負っているかのようだ。
皆から「ちーくん」と呼ばれてはいるが、智春は15歳という実際の年齢より大人びていて、物わかりがいい。反抗的な態度を見せるでもなく、けなげそのものの生活ぶり。その姿に接すると、「いいのよ、ちーくん。心の奥底をはき出してしまってかまわないのよ」と呟きながら、よしよしと慰めたくなる。
智晴が赤ちゃんだったときの家庭と、15歳になった家とでは、同じ家かと思うほど異なるものになっている。ごく普通の家庭だったはずだったのに、「ちょっと複雑だろ、僕の家」と言わなければならないほど、変容を遂げてしまった。
楽しみながら、そして、涙をこらえながら、読んでいただきたいので、智晴や母の由紀子の生活がどう変わったのかここには書かない。ただ、幸福な家庭を築こうとどんなに努力をしても、うまくいかないことがあることは言っておきたい。そもそも、うまくいく方が奇跡なのかもしれない。
家庭とは一見したところ安定していて、穏やかで、平凡な毎日のくり返しだ。しかし、ほんのちょっとしたことで、すれ違いや嫉妬が燃え上がる。死や喧嘩や憎しみあいも日常茶飯事で起こり、挙げ句の果てに、破壊された家庭の残骸の中で呆然と立ち尽くす自分に気づく。まるで、ナマモノのように、家庭は刻々と変化し、注意して扱わないとすぐに腐ってしまうものなのだろう。
それでも、家庭を守ろうとする家族の努力によって、壊れかけた家庭は息を吹き返し、新しい形で再生していく。その意味で、家庭ほどもろく、強いものはないと私は思う。
コロナ禍のもと、結婚とは何か? 夫婦とはどうあるべきか? 家庭のあるべき形とは? が問われている。だからこそ、なおさらに読んでいただきたい本である。
自分の家庭が「ちょっと複雑」と思うとき、どうか『ははのれんあい』を思い出して欲しい。「普通の家庭」が果たしてあるのかどうかについても思いを巡らしたい。どこの家庭もそれぞれに「ちょっと複雑」なまま、変化を重ねていくものだからだ。
『ははのれんあい』は大黒柱たらんとする「ちーくん」の姿にじーんとしながら、変転に変転をくり返す家庭を観察できる。そして、子どもが成長したとき、家庭は養育という大事な役割を終え、さらに新しい段階に進むことを胸に刻みたい。
【書籍紹介】
ははのれんあい
著者:窪 美澄
発行:KADOKAWA
長男の智晴(ちはる)を産んだ由紀子は、優しい夫と義理の両親に囲まれ幸せな家庭を築くはずだった。しかし、双子の次男・三男が産まれた辺りから、次第にひずみが生じていく。死別、喧嘩、離婚。壊れかけた家族を救ったのは、幼い頃から母の奮闘と苦労を見守ってきた智晴だった。智晴は一家の大黒柱として、母と弟たちを支えながら懸命に生きていく。直木賞候補作『じっと手を見る』の著者が描く、心温まる感動の家族小説。