本・書籍
2021/7/21 6:15

イギリス人陶芸家の生涯を描いたアート小説がおもしろい——『リーチ先生』

コロナ禍になってから原田マハさんのアート小説にハマッている。海外旅行に行くことができず、美術館で名画を見ることもできない今だが、原田さんの小説を読んでいると、ピカソにも、ゴッホにも、ゴーギャンにも、モネにも出会えて、気分だけでも世界を駆け巡ることができるからだ。

 

今日紹介する『リーチ先生』(原田マハ・著/集英社・刊)もそのひとつ。日本の美を愛し続けたイギリス人陶芸家の生涯を描いた作品なのだが、私は陶芸の世界には疎いので、主人公のバーナード・リーチのことは本を読むまで知らなかった。高村光太郎をはじめ、柳 宗悦、武者小路実篤、志賀直哉など白樺派の人々とリーチとの交流も史実を基に書かれていてワクワク、ドキドキの連続。また、土選びからはじまり、陶器がどうやって出来上がっていくのかも克明に描かれているので、陶芸に親しみたい人にもおすすめの一冊だ。

架空の人物が史実に絡み合う

物語は昭和29年の春、大分県の小鹿田からはじまる。イギリス人の高名な陶芸家であるリーチ先生が、日本人陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎と共に小鹿田焼きの里を訪れることになり町は大騒ぎ。しばらく滞在するリーチ先生の世話をすることになったのが若い見習いの陶工・沖 高市で、彼はやはり陶工だった父亡き後、他家へ修行に来ていたのだ。はじめは緊張していた高市だったがリーチ先生とは不思議とウマが合った。ある夜、窯の燃え盛る炎の前でリーチ先生が言った。

 

「君のお父さんは、オキ・カメノスケ、という名前ではありませんか」(中略)沖亀乃介—それは、まさしく高市の父の名前だった。「ど……どうして、知っちょるとですか……?」震える声で、高市は訊き返した。リーチの瞳に親しみの色が溢れた。(中略)「やっぱり、君はカメちゃんの息子でしたか。

(『リーチ先生』から引用)

 

ここから物語は、明治42年に戻っていく。沖亀乃介は高村光太郎の父である高村光雲邸の書生。ある日、黒い山高帽を被り、三つ揃えのスーツを着た外国人が高村邸を訪ねてきた。幼少期から横浜の食堂で外国人客たちの英語を聞いて育った亀之介は英語が話せたので対応に当たる。これがバーナード・リーチとやがて彼の助手となる亀乃介の出会いだった。

 

私は本を読み終えるまで、この沖父子は実在した人物だと思っていたが、読後に調べてみても沖亀乃介・高市は見当たらない。そう、この父子は小説をより面白くするために原田さんが生み出した架空の人物だったのだ。

 

陶芸家バーナード・リーチができるまで

リーチは1887年香港で生まれたが母親を亡くし、京都で英語教師をしていた祖父の元で幼少期を過ごした。その後、香港、シンガポールへと移り、1897年10歳のときにイギリスに戻り教育を受けた。芸術家を目指して勉強していたが、父親が亡くなったため一旦は銀行員に。しかし、美術への情熱は持ち続け、ロンドンの美術学校でエッチングを学んだ。そこで留学中だった高村光太郎と運命の出会いがあり、一大決心をして1909年(明治42年)に来日。上野に住み、エッチング教室を開いた。ここで生涯の友となる柳 宗悦、そして”白樺派”の人々とも知り合い、交流を深めていった。

 

また、リーチはのちに人間国宝となった陶芸家・富本憲吉とも知り合いになった。ふたりの陶芸との出会いは偶然で、ある展覧会で絵付けを体験することになったのだ。本書にもそのときの様子が描かれている。

 

「ずいぶんご熱心に見ておられるようですが、よろしければこちらへ来て、一緒に絵付けをなさいませんか」

はっとして、亀乃介は、すぐに英語に訳してリーチに伝えた。たちまちリーチの顔が、ぱっと輝いた。「ハイ、ヤッテミマス」リーチは日本語で答えると、ゆっくりと立ち上がって、男性の近くへ歩み寄った。

「私も、やってみます」富本も立ち上がり、リーチの隣に座った。

(『リーチ先生』から引用)

 

この体験がきっかけとなり、リーチも富本もすっかり陶芸に心を奪われ、その道を極めていくことになる。リーチはその後、我孫子にあった柳 宗悦邸の庭に窯を開き、陶芸家として”実用的で美しいもの”の制作に没頭していったのだ。

 

イギリス、セント・アイヴスに窯を開く

日本の陶芸はまちがいなく世界一だ。技術も、感性も、芸術的価値も、世界的に見ても比類がない。自分は、それをじゅうぶん吸収したし、我がものにすることができたと感じている。しかし、それだけでいいのだろうか。日本で学んだ陶芸のすばらしさを、世界じゅうの人々に知らせたい。

(『リーチ先生』から引用)

 

こう思いはじめたリーチはイギリスへの帰国を決意、そのときかけがえのない同志となっていた陶芸家の濱田庄司を伴ってイギリス西南部コーンウォール半島のセント・アイヴスに向い、その地に日本式の登窯『リーチ・ポタリー』を開いたのは1922年のこと。リーチはその後1979年に亡くなるまで陶器を焼き続けていたそうだ。『リーチ・ポタリー』は開窯100年を迎えた今も健在で、多くの陶芸家を育てているという。また、リーチの作品を展示した美術館も併設されているそうだから、自由に旅ができるようになったら、私もぜひ訪ねてみたいと思っている。

 

フィクションならではの感動がある

さて、小説ではリーチの助手という設定の架空の人物、沖 亀乃介も渡英し、セント・アイヴスに向かい開窯を手伝う。その後、亀乃介は日本に戻って各地の窯を回って修行を重ね、大分県の小鹿田の隣町の小石原に落ち着き、自身の窯を持った。

 

物語の冒頭に登場したその息子である若き沖 高市は、その後、高名な陶芸家となり、年老いたリーチ先生に会うべくセント・アイヴスの『リーチ・ポタリー』を訪ねるところがラストだ。

 

本書は、バーナード・リーチの伝記であり、沖父子以外は、ほぼ実在した人物だが、随所に登場する亀乃介、そして高市がストーリーを盛り上げ、感動を添えているのは間違いない。

 

原田さんにしか書けない史実を基にしたアート・フィクションを、この夏、あなたも是非楽しんでみては?

 

【書籍紹介】

リーチ先生

著者:原田マハ
発行:集英社

1954年、大分の小鹿田を訪れたイギリス人陶芸家バーナード・リーチと出会った高市は、亡父・亀乃介がかつて彼に師事していたと知る。—時は遡り1909年、芸術に憧れる亀乃介は、日本の美を学ぼうと来日した青年リーチの助手になる。柳 宗悦、濱田庄司ら若き芸術家と熱い友情を交わし、才能を開花させるリーチ。東洋と西洋の架け橋となったその生涯を、陶工父子の視点から描く感動のアート小説。

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