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2022/3/3 6:15

起業家であり統計学者でもあった! 看護だけではないナイチンゲールの多面性を知るシリーズ『ナイチンゲールの越境』

コロナ禍のもと、不自由な毎日が続いています。カッパ株、ベータ株、オミクロン株など、混乱するほど様々な名前が表れ、混乱してしまいます。そんな中、医療従事者の方々は戦いの日々を送っています。看護師さんたちはとくに患者さんと長時間にわたって触れあい、看護しなければなりません。自分の身を感染の危険にさらしながら、重症のコロナ患者の処置をするのですから、仕事とはいえ、本当に大変です。

 

フローレンス・ナイチンゲールの存在

看護師さんたちを支えるものは、いったい何なのでしょう。職務への義務感でしょうか。病人への愛でしょうか? 看護師になるとき、彼ら、そして彼女たちは、ナイチンゲールが定めた誓いを宣誓するといいます。いわゆる「ナイチンゲール誓詞」と呼ばれるもので、白衣の天使たちの基本となる考え方なのでしょう。

 

1820年に生まれたフローレンス・ナイチンゲールは、1853年に勃発したクリミヤ戦争に自ら出向き、味方の兵士はもちろんのこと、敵までもわけへだてなく看護し、助けたことで知られています。彼女は看護師でありながら、起業家でもあり、統計学者としても秀でた才能を持っている人でした。病院を建築する際にも、彼女のアイディアがいかんなく発揮されたということです。疲労がたたったのか、後半生は病に冒されてしまい、ベッドの上での生活を余儀なくされました。それでも、頭脳は明晰で、的確な指示を出し続けたといいます。ビクトリア朝が生んだ傑出した女性と言えるでしょう。

 

シリーズごとにあてられる様々な光

昨年、2021年はナイチンゲール生誕200年にあたり、とりわけ関心が高まりました。ましてや、このコロナ禍、看護について考えないではいられません。日本看護協会出版会からは、「ナイチンゲールの越境」として興味深いシリーズが出版されました。

 

シリーズは全部で6冊。実に様々な視点から、ナイチンゲール論が展開されています。どこから読み始めようかと迷ったときは、自分が一番、興味を持っている項目から読んでみることをお勧めします。もちろん、全部を網羅して読むのが理想ですが、ナイチンゲールは多才で、複雑な人物です。すぐに理解できるとは思えません。ですから、まずは自分が読みたいと思うエピソードから始めましょう。

 

シリーズの内容は以下のようになっています。ごく簡単ですが、内容を説明します。

 

「1:建築 ナイチンゲール病棟はなぜ日本で流行らなかったのか 」

クリミヤ戦争に従軍したナイチンゲールは、不潔な野戦病院で、多くの年若い兵士が命を落とすのを目撃しました。心を痛めた彼女は、病院を改善すべきであると主張し、病院建築について彼女ならではの意見を述べるようになりました。それなのに、日本ではナイチンゲールの設計した病棟は、流行しなかったそうです。それはなぜか?専門家達がその謎に迫ります。

 

「2:感染症 ナイチンゲールはなぜ「換気」にこだわったのか」

現在、コロナ禍のもとで生活している私たちは、マスク・手洗い・三密にならないを目標としていますが、もうひとつ大切に考えるべきことがあります。それは「喚気」です。今、私たちが乗る電車やバスは窓が開けられるようになっていますが、160年近くも前に、ナイチンゲールは既に「換気」に注目していました。「新鮮な空気」は健康を保つためにどうしても必要で、「汚れた空気」が病気の原因となると、早くも見抜いていたのです。

 

「3:ジェンダー ナイチンゲールはフェミニストだったのか」

ヴィクトリア朝時代は、まだ伝統的な慣習が色濃く残り、女性の社会進出に理解があるとはいえませんでした。しかし、そんな風潮に負けず、彼女は「看護」を通して女性の社会進出を試みました。ナイチンゲールならではの女性の社会参加に興味がわきます。

 

「4:時代 ナイチンゲールが生きたヴィクトリア朝という時代 」

私は個人的にはこのシリーズ4に、とりわけ関心を持ちました。元々、ヴィクトリア朝時代(1837年から1891年まで)に関心がありましたし、どんなに独自の路線をいく人でも、時代と関わりなく生きていくことはできません。

 

ヴィクトリア朝時代は、産業革命により、経済や技術がものすごいスピードで発展したときにあたります。その一方で、上流階級と労働者階級というふたつの階層が生まれ、国民が分断され、格差社会が生まれたときでもありました。イギリスは世界経済の覇者として君臨し、大英帝国の名をほしいままにしていましたが、一方で、問題は山積だったのです。

 

ナイチンゲールは、裕福な家庭に生まれ、サロン文化に親しみながら育ち、家族とともに世界中を旅する日々を送っていました。フローレンスという名も、フィレンツェを旅行中に母親が出産したからついた名前だといいます。ちなみに、フローレンスはフィレンツェの英語読みです。

 

他のシリーズにも言えることですが、「ナイチンゲールの越境 シリーズ4」も、執筆者が多彩で、読み応えがあります。

 

まずは、甲南大学名誉教授であり、日本ヴィクトリア朝文化研究学会長でもある中島俊郎が、「フローレンス・ナイチンゲールとヴィクトリア朝」と「ナイチンゲールのグランド・ツアー」について詳しく教えてくれます。人は生まれる時代を選ぶことはできませんが、時代と関係なく生きることも不可能です。時に時代に迎合し、またある時は反抗し、さらには流されながら生きるものでしょう。では、ナイチンゲールの場合はどうだったのか? 尽きせぬ興味を満たしてくれます。

 

次に、国内外の歴史、古典文学関連を中心に執筆活動を繰り広げる福田智宏は「ナイチンゲールが生きた時代」について、考察します。ナイチンゲールが活躍した時代に日本では何が起こっていたのかを知ることによって、より身近に彼女を感じることができます。

 

続いて、金沢医科大学看護学部教授の滝内隆子は、本国イギリスから植民地に移民として人口が流出していき、その結果、結婚適齢期を過ぎてしまう女性が増えたことに注目しています。看護師という職業が承認されていった背景にはこういう社会的な事情もあったのでしょう。

 

さらに、静岡大学防災総合センターの客員教授である鈴木清史は、ナイチンゲールの直弟子であるルーシー・オズバーンの興味深い人生をたどります。彼女はオーストラリアで活躍し、ナイチンゲールの看護を根付かせた最初の海外での事例となりました。しかし、二人の関係は円満ではなかったようです。

 

また、文筆家であり、翻訳家の村上リコは、ナイチンゲールの実家について教えてくれます。令嬢であったナイチンゲールが、母親の思いどおりには生きなかった娘になっていく様子に女の意地を感じます。さらには、ビクトリア朝の相続問題についても、わかりやすく解説してくれます。

 

加えて、大東文化大学外国語学部英語学科講師の野澤督は、19世紀前半、フランスのサロンの中心的な人物レカミエ夫人について描いています。美しく人気者であった夫人ですが、ナイチンゲールは好感を持っていなかった点など、驚きの内容でした。

 

そして、笹川保健財団会長の喜多悦子は、赤十字の創始者であるジャン=アンリ・デュナンを取り上げます。デュナンはナイチンゲールに会ったことはないものの、彼女に憧れており、二人の関係は興味深いものがあります。

 

桜美林大学リベラルアーツ学群人文学系准教授、出島有紀子は、ナイチンゲールが賞賛したオクタヴィア・ヒルを取り上げます。ナイチンゲールは「すべての街路に一人ずつオクタヴィア・ヒルがいたら、ロンドンは再生するだろうに」とまで言ったのです。

 

同志社女子大学看護学部・大学院看護学研究科 特別任用教授である岡山寧子は、女医のパイオニアと呼ばれるエリザベス・ブラックウェルとアメリカで専門的な訓練を受けた最初の看護師リンダ・リチャーズを取り上げ、ナイチンゲールとの関係に言及しています。

 

最後は、津田塾大学学長である高橋裕子が、津田梅子がナイチンゲールに面会したこと、その時、贈られた花束を押し花にして大切に保管していたという驚きのエピソードを紹介します。

 

駆け足でしか紹介できませんでしたが、どうぞ興味のあるところから読んでください。ナイチンゲールに対する印象ががらりと変わるかもしれません。さらに、このシリーズは「5 :宗教 ナイチンゲール、神の僕となり行動する 」そして、「6:戦争 ナイチンゲールはなぜ戦地クリミアに赴いたのか」と続きますので、是非、そちらもチェックして、ナイチンゲールという存在を丸ごと理解していただきたいと思います。

 

【書籍紹介】

 

ナイチンゲールの越境4:時代 ナイチンゲールが生きたヴィクトリア朝という時代

著者:中島俊郎、福田智弘ほか
発行:日本看護協会出版会

産業革命により経済、科学技術、工学、自然科学等々が大きく発展した一方で、富める上流階級と貧しい労働者階級という〈二つの国民〉の分断が著しい格差社会でもあったヴィクトリア朝。これまでのナイチンゲール研究ではあまり取り上げられてこなかった〈時代〉にフォーカスをあて、ナイチンゲールに及ぼした影響について、歴史、文化・社会史、西洋文学、人類学、看護学の研究者らが考察しました。

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