1982年の春、私はローマに行きました。今から40年も前になるわけですが、その記憶は色あせることはありません。3泊の滞在でしたが、夢のように楽しい時を過ごしました。もう一度、ローマに来たいと思った私は、トレビの泉に出かけ、コインを投げました。後ろ向きでコインを投げると、再びローマに来ることができるという言い伝えを信じたからです。けれども、私はまだローマとの再会を果たしていません。
ローマとイグナチオ・デ・ロヨラ
ローマ行きを諦めきれない私は、この40年の間に、たくさんのガイドブックを読みました。ローマと書かれた本を見ると、手にとらずにはいられなくなるのです。今回、紹介する『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』(佐久間勤・訳/ドン・ボスコ社・刊)を読んだのも、「ローマ」の文字に触発されてのことでしたが、これほど深く、濃厚にローマに迫るガイドブックは珍しく、私は夢中で読みました。
『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』は、元々、1988年にローマのイエズス会総本部出版情報局から発行されたものだそうです。今まで邦訳されずにいましたが、今回、イグナチオ・デ・ロヨラの回心のできごとから500年を記念する「イグナチオ年」の企画として出版の運びとなりました。
原著は、ローマを訪れるイエズス会員が創立者イグナチオ・デ・ロヨラとその同志たち、また後継者たちの所縁の地を巡礼するために益となる歴史的情報を提供するガイドブックである。実際、拙訳者もローマ滞在中に自分自身のため、またローマを訪問するイグナチオ霊性を共有する修道女会員の巡礼案内のため、少なからず役だたせていただいた。イグナチオの時代の姿を今も保っているローマ歴史区域(チェントロ・ストリコ)を、本ガイドブックを手に巡ってみると、イエズス会創立期の熱気と息づかいが感じられる。ローマを訪れる巡礼者の皆さんにとっても、きっと役立つことと確信している。
(『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』より抜粋)
『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』は、ローマのガイドブックであると同時に、聖イグナチオ・デ・ロヨラへの導きともなる書物なのです。聖ロヨラに興味がある方にとっては、魂の手引き書に匹敵する意味を持つことになるでしょう。
ここで、聖イグナチオ・デ・ロヨラについて、『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』の中の「ローマ以前のイグナチオ」をひもときながら、簡単に紹介したいと思います。
聖ロヨラは1491年にスペインのバスク地方で生まれました。子どものころから、騎士になることに憧れ、15歳で財務長官の小姓となり、騎士教育を受けました。順調にキャリアを重ねていくはずが、1521年、ロヨラが30歳のとき、パンプローナの戦いが起きました。勇敢に戦った彼でしたが、足に砲弾を受け、大けがを負ってしまいます。それでも、なんとか騎士として復帰したいと切望し、二度にわたる大手術を受けますが、元通りの体にはなりませんでした。傷心のまま、療養している間に、彼は『キリスト伝』と『聖人伝』を読み、自分自身を見直します。そして、その後の人生をキリストに捧げることを決心するのでした。
『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』は、聖ロヨラの足跡をたどりながら、ローマの町を紹介する内容となっています。執筆陣にはそうそうたるメンバーが並びます。まず、翻訳を担当した佐久間勤神父は、上智大学理事長を勤めるイエズス会の重鎮です。さらに、ローマ以前のイグナチオについて描いたのは李聖一神父。イエズス会の司祭であり、カトリック・イエズスセンター所長をつとめています。さらに、上智大学文学部史学科の川村信三神父と、同じく神学部の酒井陽介神父が、ご自身のローマ滞在の経験をもとに優れたコラムを著しています。これらのコラムは原著にはないものだけに、私たち日本人とローマをつなげる強い紐帯となっています。
心ひかれたコラム
ここで特に心をひかれたコラムを紹介したいと思います。まずひとつめは酒井陽介神父によるコラムです。ジェス教会の地下について書かれたものですが、まるで自分がそこにいるかのような気持ちになります。
この教会の地下には、ある時期の歴代の総長たちの墓所がある。特別なときにしか墓所を開けることはないが、薄暗く、ひんやりとする地下に広がるカタコンベのような場所には、非常に質素な墓がいくつも並べられてある。
(『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』より抜粋)
ジェズ教会はカトリックの修道会であるイエズス会の教会として有名です。私もローマを旅行した際、まるで吸い寄せられるようにジェズ教会に出かけました。祭壇にある聖遺物「フランシスコ・ザビエルの右手」にたいそう驚きましたが、地下にカタコンベがあることは知りませんでした。一般には開放されていないといいますから、たとえ知っていても、見ることはできなかったかもしれません。それでも、自分の足の下に、歴代のイエズス会の総長のご遺体があると知ったら、また違う経験ができただろうと思います。
さらに、もうひとつ、何度も読みふけったコラムがあります。それはイグナチオ・デ・ロヨラが晩年を過ごし、会憲(カトリック修道会の根本原則)を書き、息をひきとった「イグナチオの部屋」についてのコラムです。著者である川村信三神父は、この居室を含む建物を1988年から1991年までの3年間、住まいとしていたというではありませんか。それだけに、コラムは臨場感あふれるもので、私は心のざわめきをとめることができませんでした。
ジェズ教会のロケーションであるローマ市街のチェントロ地区は、現在でも巡礼者や観光客でごったがえすローマ特有の喧噪につつまれた場所である。ちなみに筆者がこの家ですごした1990年前後のころはイタリアの政界がテロで揺れていた。教会の真向かいは「キリスト教民主党」の本部が今でも居を構えているが、アルド・モロ首相(同党)がテロ組織「赤い旅団」に誘拐・拉致され、暗殺されて遺体となって発見(1978年)されたのが教会から2ブロック先の路地裏であったこともあり、10年を経過してさえ、ジェズ教会の正面には重装備の武装警官が終日監視の目をひからせていた。
(『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』より抜粋)
さらに、イグナチオが息を引き取った部屋についての驚くべき描写は、胸のドキドキをさらに高めるものとなりました。
『ローマにイグナチオの足跡を訪ねて』は、きわめて斬新なガイドブックです。聖イグナチオの一生を描くなど伝記的要素を満載しながら、ローマの町を巡り歩くために必要なアイディアがちりばめられています。わかりやすい地図もついていて、この本を片手にローマを巡ったら、どんなに楽しいことでしょう。幅雅臣による装幀も素晴らしく、ローマの町を散歩しているような感覚に陥ります。いつ、その夢が叶うのかわかりませんが、きっとその日は来ると信じているだけで、私の心は満たされます。もし、この先、ローマに行くことができたら、この本を持って行きます。そして、紹介されている教会や名所をひとつひとつ訪ね歩いた後、トレビの泉に行き、後ろ向きにコインを投げるでしょう。「もう一度、ローマに来たい」と、願いながら。
【書籍紹介】
ローマにイグナチオの足跡を訪ねて
著者:佐久間勤(訳)
発行:ドン・ボスコ
本書は、ローマのイエズス会総本部出版情報局から発行された「Roma Ignatiana: in the footsteps of saint Ignatius」の翻訳本。イエズス会創立者イグナチオ・デ・ロヨラとその同志たち、また後継者たちゆかりの地を巡礼するために益となる歴史的情報を提供するガイドブックである。本書を手にローマの町を散策するだけでなく、随所にちりばめられた当時の様子を表す図版とともに、イグナチオの時代の姿を今も保っているローマ歴史区域に思いを巡らすだけでも、イグナチオやザビエル、そして初期の会員たちが活動していた「時」を思い、イエズス会創立期の熱気と息づかいを感じることができるだろう。本書では、上智大学文学部史学科の川村信三神父、同神学部の酒井陽介神父が、イグナチオ時代の教会の状況や現在の姿など、原書にはない情報を提供。また、できごとの時間的関連を把握するために役立つよう、年表も加えている。