NHKのドラマ10で『大奥』が放送されると知り、早速、観ました。私は時代劇がとても好きなのです。第1回目は八代将軍吉宗と水野祐之進が主人公です。吉宗を冨永愛、祐之進を中島裕翔が演じます。放映前はパリコレのトップモデルである冨永愛の吉宗がどういうことになるのか想像もできませんでした。
圧巻のランウェイ
『大奥』というドラマは、男女の役割が逆転した奇想天外な物語です。将軍職を女性が受け継ぎ、多くのイケメンの中から自分で契りを結ぶ相手を選ぶのです。それというのも、若い男だけが感染する奇病により命を失う男子が続出し、生き残った男子は種馬として、女性の将軍に仕える役目を引き受けるしかないからです。
設定もユニークで面白いドラマでしたが、圧巻だったのは冨永愛の存在感でした。冒頭、馬を疾走させるシーンで早くも度肝を抜かれました。さらにすごいのは、夜とぎの相手を選ぶために鈴の廊下を歩く場面です。冨永愛は世界中のファッションショーのランウェイを歩いてきたトップモデルですから、歩くのがうまいのは当たり前かもしれません。しかし、洋服ではなく打ち掛けを纏い、ハイヒールではなく足袋で畳の上を歩く姿は、世界をぶっ飛ばす勢いがありました。
私は感動し、「いったいこの人はどういう人なのだろう」と、思いました。有名なモデルであることはもちろん知っていました。息子さんを大切に育てるお母さんであることも週刊誌などで報じられているとおりなのでしょう。けれども、それだけではない何かがあるに違いありません。そこで、彼女が自らを語った『Ai愛なんて 大っ嫌い』(冨永愛・著/ディスカヴァー・トゥエンティワン・刊)を読みました。
そして、心底驚きました。これまで、冨永愛という人は、天から与えられたスタイルの良さを武器に着々と成功への階段をのぼったと、勝手に思い込んでいたからです。それは浅はかな考えでした。
冨永愛のつらさ
『Ai愛なんて 大っ嫌い』には、冨永愛の半生が、叫ぶような文章で書かれています。そこには、スポットライトを浴び続けた華やかなモデルの姿は存在しません。美しくゴージャスな日々もありません。むしろ正反対の惨めで貧しい毎日が描かれています。彼女がこれほどつらい思いに耐えていたとは、誰が想像できたでしょう。
冨永愛には実の父の記憶がほとんどないといいます。彼女が幼いころ、父は姿を消してしまったからです。6歳の時に母が再婚し、新しい父を得ますが、やがて二人は離婚し、再び母子家庭となります。母は奔放な人だったようで恋愛遍歴を続け、三人姉妹の父親はそれぞれ違う人でした。姉妹の真ん中である愛は自分の気持ちを隠して暮らします。けれども、心の中では悲痛な思いがありました。
わたしには父がいる。そしていない。
わたしは母を憎んでいる。そして愛している。(『Ai愛なんて 大っ嫌い』より抜粋)
家計は火の車で、バラックのような家に住んでいました。食べるのにもことかく有様で、彼女がどうしてあれほどの見事なボディを持てたのか不思議なほどです。今では誰もがうらやむその身体を彼女は呪いながら成長します。小さいころから背がぬきんでて高かったため、学校で徹底的にいじめられたのです。
学校は毎日、地獄のようだった。
身長を止めるためならなんでもやってやろう!
そう思って、十四歳からタバコを吸った。高校に入るころには、ショートホープをくわえた立派なヘビースモーカーになった。
それでも、身長の伸びは止まらなかった。(『Ai愛なんて 大っ嫌い』より抜粋)
背が高いという自分ではなおしようもない理由でいじめ抜かれ、彼女は荒れていき、高校生のときは、学年で一番悪い生徒になっていました。貧乏から抜け出すためにモデルになり、一人でニューヨークへ渡った後も、アジア人への偏見に苦しみます。何より悲惨なのは、自分に富をもたらすファッション業界を好きになれなかったことでした。
くだらない。
ファッションなんて、人が生きる死ぬに、全然関係ない(『Ai愛なんて 大っ嫌い』より抜粋)
息子という宝物
愛という名を持ちながら、彼女は愛に縁遠い生活を送ってきました。だからこそ愛を求め続けないではいられなかったのでしょう。
愛を知らず、愛を信じることができずにいた彼女でしたが、22歳のとき、一人の男性と出会います。パリでパティシエの修行をしていたその人に、彼女は恋をし、結婚し、男の子を授かります。
ようやく夢見ていた普通の家庭を築くことができる……はずでした。ところが、現実はそう甘くはありませんでした。トップモデルとして世界中を飛び回る彼女と、自分の夢を犠牲にして支えてくれた夫との間に大きな溝ができてしまったのです。
結局、幸福になるはずの結婚は離婚という結論に行き着き、母と子は日本に帰ってきます。子どもを抱えてモデルの仕事を続けることは難しく、彼女は息子を保育園や母親に預けて働くしかありませんでした。母子家庭で育ったことを呪い続けていたはずなのに。息子と一緒にいたいのに、息子を育てるためには働かなければならない、そのジレンマたるや相当なものだったでしょう。
周囲には「仕事と子育てを両立させるかっこいいシングルマザー」として受け止められていましたが、冨永愛は苦しみます。不安を抱え、闇雲に仕事を入れる日々。そんなある日、息子の言葉に衝撃を受けます。
彼は泣きながら言ったのです。「……ぼくはきっと、生まれてこなければよかったんだと思う。……ぼくが生まれてこなければ。お母さんだって……」
その瞬間、彼女は覚悟を決めました。「もう、この子を離さない」と。そして、実行に移すのです。その姿は、ファッションショーでターンを決めるときのように格好良いわけではありません。きらびやかなライトも浴びていません。悩みおののきながら、方向転換したのです。それでもきっと彼女の人生で、一番輝いた瞬間だったと思います。
『Ai愛なんて 大っ嫌い』には冨永愛の多くの顔が描かれています。周囲を憎む少女の姿、荒れたJK時代、モデルとして成功をおさめた華麗な日々、息子に向き合おうとする悩み多き母親の顔などです。実の父に会いに行く娘の顔も胸に迫ります。
どんなに多くの顔を持とうとも、冨永愛は自分の足で歩ききっていることに驚嘆しないではいられません。
やはり彼女はウォーキングの女王なのでしょう。これから先、いつ、どこで、どのように彼女がターンするのか、目を離さずにいたいと思います。
【書籍紹介】
Ai 愛なんて 大っ嫌い
幼児期のたったひとつの父親の思い出から、奔放な母親に翻弄された幼少期、身長がゆえにいじめられた思春期、すさんだ反抗期のなかで見つけたモデルへの道。アジア人への偏見の中、怒りだけをバネにのし上がっていった二十代。恋愛、結婚、出産、離婚。引退宣言と母としての葛藤…。二〇〇〇年代、世界のランウェイを闊歩したトップモデル冨永愛がはじめて語る、不安と孤独の中で「居場所」を求め続けた半生。
著者:冨永愛
発行:ディスカヴァー・トゥエンティワン