本・書籍
歴史
2023/8/13 6:30

1950年代のベストセラー『東京文学散歩』を今歩き直してみたら? 文学の聖地巡礼、昔と今~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。私は国立国会図書館のデジタルコレクションに収録された古い本を紹介するコラムを、かつて連載していました。

 

なかでも印象的だったのが昭和5年に出版された食べ歩きの本『東京名物食べある記』。銀座の資生堂パーラーや、今はなき喫茶レストランなどを新聞記者が食べ歩くという内容。お店を評価する基準の当時と現代の違いから、食文化の変遷が見えてきます。

 

ガイドブックは小説とは異なり情報の鮮度が重要になりますが、何十年もあとに読み返すとそれはそれでさまざまな発見があるものですね。

日本文学者が改めて歩く文学の聖地

今回紹介する新書は「東京文学散歩」を歩く』(藤井淑禎・著/ちくま新書)。著者の藤井淑禎さんは立教大学名誉教授で専門は近現代日本文学・文化です。『乱歩とモダン東京』(筑摩選書)、『純愛の精神誌』(新潮選書)、『清張 闘う作家』(ミネルヴァ書房)など著書が多数あります。

 

焼け野原の浅草寺はまるで羅生門!?

戦後の1950年代に「文学散歩」という言葉を作り出し、大ブームを巻き起こしたという野田宇太郎の『東京文学散歩』。当時はラジオやテレビの番組にもなり、貸切バスを仕立ててのツアーが企画されるほどだったとか。

 

本書は、加筆を重ねて20年にわたり改稿されていった『東京文学散歩』シリーズをもとに、著者の藤井さんが散歩コースを設定し、『東京文学散歩』の文章と比べながら歩くというもの。1950年代の東京と今の東京、果たして当時のような文学散歩は可能なのでしょうか?

 

第1章「浅草から向島へ」の出発点は、JR浅草橋駅近くの神田川にかかった柳橋。1950年代初頭の『東京文学散歩』では、この橋を渡って島崎藤村の旧居跡へ向かっています。この一帯は花街で、戦災で全滅したもののすでに復興している様子。野田宇太郎は細面で美人の芸者さんに道を訪ね、「もすこし向こうではなかったでしょうかしら」と教えてもらい、情に厚くて親切と感じ入っています。

 

しかし、この描写に対して藤井さんは、芸者さんとのやり取りはフィクションではないかと思っている、とコメント。最初の「日本読書新聞」の連載時にはこの描写はなかったことなどから、当時の東京人の冷たさを引き合いに出すため、後付けでこの芸者さんを出したのではないかと分析しています。こうした研究者ならではの鋭い視点も本書の読みどころです。

 

花街が復興しているのに対し、浅草は野田宇太郎が実際に歩いた1951年当時は荒廃したまま。雷門も仁王門(現在の宝蔵門)も跡形もなく、唯一残った二天門を見て、まるで『羅生門』のような鬼気を覚えた、という感想。今の浅草の賑わいから考えると信じられない光景ですね。

 

浅草を皮切りに、本書は全8章。永井荷風の偏奇館や文人たちが集った東京最古のフランス料理店・龍土軒を巡る「麻布を一周する」、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介らが住んだ本郷周辺を田端駅から日暮里駅まで歩く「王道の文学散歩」……など、どれも文学好きなら実際に回ってみたくなるコースの数々。

 

終戦後の復興もままならない状況を歯がゆく思いながら文学散歩する当時の野田宇太郎。さらに改稿を重ねて高度成長期に加筆された内容も解説され、現在のマンションや高層ビルに覆われた東京の景色が語られていく。文学という変わらないものを軸に、移りゆく時代を重層的にとらえているのが本書の真価でしょう。

 

散歩コースの地図や写真があればもっとイメージが湧きやすかったように思うのですが、次から次へと飛び出すこぼれ話からは知識の深さがにじみ出ており、まさに教授と一緒に文学散歩をしている気分になれます。

 

【書籍紹介】

「東京文学散歩」を歩く

著:藤井淑禎
発行:筑摩書房

戦前の作家の暮らしの跡や文学作品の舞台となった場所を訪ね歩き、往時を本の中に「復元」した野田宇太郎による『東京文学散歩』シリーズは、一九五〇~六〇年代に一大文学散歩ブームを引き起こした。本書は『東京文学散歩』から、往年と現在との比較が興味深い個所や、野田の主張が強く見て取れる個所などを紹介しつつ、実際にいまの東京を訪ね歩いて検証。さらに独自のコースも提唱し、新たな散歩の楽しみを提案する。昭和の文学散歩の時代を追体験できる文学ガイドブック。

楽天koboで詳しく見る
楽天ブックスで詳しく見る
Amazonで詳しく見る

 

【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。