こんにちは、書評家の卯月鮎です。あちこち旅行しても、定番の観光地を巡り、ガイドブック推奨の店でランチして、宿も口コミレビュー星4以上に泊まる……というのがお決まりになっています。
スマホは優秀なナビゲーターですが、足で情報を稼ぐことがなくなり、まるで遊園地のライドアトラクションのよう……。嗅覚を頼りに足の向くまま止まるまま、己の腹でその土地の空気を平らげる、そんな旅人が格好良く思える時代です。
居酒屋探訪家がたどり着いた「居酒屋旅」の境地とは?
今回紹介する新書は『大人の居酒屋旅』(太田和彦・著/新潮新書)。著者の太田和彦さんはグラフィックデザイナーで、紀行番組『太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選』(BS11)などに出演する「居酒屋探訪家」としてもおなじみです。著書に『超・居酒屋入門』『太田和彦の居酒屋味酒覧』(新潮社)などがあります。
本書は『本の雑誌』(本の雑誌社)『青春と読書』(集英社)の連載に大幅に手を加えて再編集したもので、碑文でたどる文学紀行×居酒屋という異色のアプローチとなっています。
居酒屋は店の中だけにあらず!?
「はじめに」で、「すべての地に居酒屋はあり、居酒屋ほど土地の風土、産物、気質、歴史、人情を反映している所はないと知った。すなわち居酒屋を書くには、店の中に居るだけではだめだ」と太田さんは語ります。
居酒屋がのれんをかける夕方前に、地元を歩いて街に馴染み、文学碑に思いを馳せて時間旅行も楽しむ。なんと贅沢な旅でしょうか!
第1章から、本好きにとっては歴史と書店の組み合わせがたまりません。新幹線が駅に停まると天空に浮くように見える姫路城へ。天守から市内の先に広がる播磨灘(はりまなだ)を一望。その後、黄色に塗った戸に「古本・雑貨おひさまゆうびん舎」とある一軒家の古本屋を訪ねます。そこで復刊された古書店主の名随筆『昔日の客』を買い、大手前通りの地下のカフェで白シャツ黒ネクタイ赤ベストの老練なマスターにコーヒーを注文して本を開く……。
夕方になれば本番。細路地奥の行灯看板が光る店が良さそうだと目星をつけた太田さん。女将と会話しながら兵庫の銘酒「奥播磨」の燗をじっくりやる……。素朴ながら豊かな時間が流れていき、それが文章から伝わってきます。
私が一番旅情をそそられたのは、第3章「風になる口笛―盛岡」。岩手公園にある宮澤賢治の詩碑。川の流れに沿う小道には、石川啄木や岡本かの子の歌碑。啄木と賢治を生んだ盛岡が大好きだという太田さん。夜にはなじみの居酒屋「海ごはん しまか」で肝・葱・大葉・味噌を腹に詰めた野趣満点の地魚の〈どんこ丸焼き〉を頂く……。
書店、喫茶店が多く、元銀行の名建築が並ぶ文学の街・盛岡。本のかび臭くもクセになる匂いがふわっと香ってくるようで、心は不来方(こずかた)の空に飛びました。
文学好きでお酒好きなら、退屈な日常をゆっくり忘れさせてくれる一冊。味のある文章は、脳で噛み締めるスルメ。この本をつまみに、家で美味い酒をやるのもプチ旅行かもしれません。
【書籍紹介】
大人の居酒屋旅
著者:太田和彦
発行:新潮社
「呑んだ、食べた、うまかった!」と仲間で騒いだ若い頃の居酒屋巡りももちろん結構。しかし、歳を重ねた身には一人旅こそ快適。あるのは誰気兼ねなく好きに過ごせる時間だけ。口開けまで、と気になった美術館を巡り、名所の碑文・銘文をじっくり眺め、常連ばかりの喫茶店で一休み。そうして土地をより深く知ったのち、これと決めた名店でやる一杯の美味さよ――孤高の居酒屋評論家がたどり着いた居酒屋旅がここに。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。