インドの東に浮かんでいる、北センチネル島という島を知っているだろうか。この島には、未だ現代文明との接触がなく、石器時代のままの暮らしを続けている人々が住んでいるらしい。
島の人々は外部との接触を頑なに拒否しており、2018年には、この島に布教のために上陸を試みたキリスト教宣教師が原住民に殺害されるという事件も起きている。
インド政府も、彼らには積極的に干渉しないということで方針を固めていて、島の近辺は進入禁止になっているということだ。
現代文明と未接触の民族といえば、私はまずアマゾンに住んでいる「ヤノマミ族」を思い付く。
というかもう彼らくらいしかいないものだと思っていたのだけれど、地球上にはまだ他にも、SNSやスマホはもちろん新聞もテレビも電話も知らないまま、原始の暮らしを続けている人々がいるのだ。
しかも、ヤノマミ族に関してはすでにいくつかの取材が入っており完全に未接触とは言い難い状況になっているが、こちらの北センチネル島の人々に関しては、実態がほとんどわかっていないらしい。
何しろ外部の人間が島に上陸しようとすると弓矢で追い払われるということなので、無闇に接触することがそもそも不可能なのだ。この北センチネル島、私は何で知ったのかというと、実は動画アプリのTikTokである。
TikTokといえば、若い人に人気の(などというと、一気に老人くさくなるけど)動画アプリだけど、そんなTikTokの中に、「Googleマップを拡大して遊んでいたら偶然(本当は偶然じゃないけど)やばいものを見つけてしまった」というホラーテイストの動画があり、北センチネル島にはこれを見ているときに出会ったのだ。
NIVIROの「The Ghost」の音楽に合わせて展開されるこの動画には他にもいくつか種類があって、チリにあるアタカマの巨人(ナスカの地上絵みたいなやつ)、ルーマニアにあるジャマナ村の汚染湖、ドバイの人工島群TheWorldなどを私は見つけている。
アタカマの巨人 引用:Google earth
TheWorldなんかは実際に行くと素敵なところなのだろうが、Googleマップで見るとプツプツしていてちょっと気持ち悪い。
集合体恐怖症の人は検索しないほうがいいと思う(他は、どれもなかなか興味深いのでぜひ検索してみてください)。
SNSで知人や興味のある人を中心にフォローをし、そのアカウントが発信する情報を受け取ることにすっかり慣れ親しんでいる身としては、インターネットでこうして想定外の情報を受け取ることは久々で、けっこう新鮮な体験だった。
そういえば最近聞かなくなったウユニ塩湖
私事になるけれど、4月、アルゼンチンとチリを旅行した。
TikTokで見つけたチリのアタカマの巨人は目的地と離れすぎていたので見ることが叶わなかったが、ブエノスアイレスやパタゴニア地方にあるペリト・モレノ氷河などを見て、2週間くらいの期間をけっこう楽しく過ごした。
旅行中に当然、何枚も写真を撮ることになったのだけれど、その中でふと気が付いたことがある。
バックパッカーなど海外旅行が好きな人たち、またそれに憧れる人たちの間で一時期大ブームとなっていたボリビアにある「ウユニ塩湖」、そういえば最近聞かなくなったな……と。
なぜ聞かなくなったのかといえば、おそらく、あまりにも流行りすぎ、知人友人が行きすぎ、写真をみんながSNSに投稿しすぎたせいで、やはり見慣れた存在になってしまったのだろう。
もちろん今も変わらずいつか行ってみたいと憧れている人はいるだろうし、行けば感動する絶景には違いないのだろうけど、全盛期に比べるとやはりその勢いは落ちているように感じる。最初は「世界にはこんなところがあるのか!」という新鮮な驚きに繋がっていたそれも、SNSの時代は、消費されるのが早い。
今回のアルゼンチン・チリの旅で、私はたくさんの写真を撮った。だけど振り返ってみると、撮ったのはわかりやすい観光名所の写真や、なんとなく「映え」そうな写真が中心だった。
30時間近く乗ってしんどかった飛行機の内部も、タクシーの中から見たスターバックスも、バスターミナルで見た夜明けも、町中をうろうろしていた野犬の写真も残っていない。
自分の思い出だからどんな写真を撮ろうと勝手だし、それでいいのだけど、自分と同じように巨大な氷河に向けて一斉にカメラをかまえる他の観光客たちを前にして、こうして名所の写真ばかりが世に溢れることになるのだな……と実感してしまった旅でもあった。
まあ、それはSNSが普及する前から、ずっとそうだったのだろうけど。
社会学者の岸政彦さんは「断片的なものの社会学」の中で、さまざまな文脈からこぼれ落ちてしまったもの、解釈されずに放置されているものについて書いていた。それは私をはじめ、この本を読んだ多くの人に、とても新鮮に映ったようだ。
TikTokだって、このまま視聴を続けていればいずれTwitterなどと同じように、私は知人や興味のある人が投稿したものを中心に目にすることになるだろう。
そんな時代において、消費されない「新鮮な驚き」はどこにあるのかといえば、SNSにたくさん投稿される名所のほうではなく、写真に撮られることすらない何気ない風景のほうにあるのだろうなと、今回の旅で私は感じたのだ。
「新海誠化していくこの世界」の次の世界
しかし、最近はそんな「何気ない風景」すらも、たくさんSNSに上がる機会が用意されている。
前に自分のブログで「新海誠化していくこの世界」という記事を書いたのだけど、ここに書いたように、最近SNSに投稿される写真には日常的な光景(駅、階段、道端に咲く花、歩道橋、傘、教室、部屋に差し込んでくる暖かな日射し)を撮影したものが多く見られるような気がする。
そしてその日常的な光景は、新海誠の映画にあるように、「紫陽花のようなブルー」の色彩を帯びていることが少なくない。
このことをブログを書いたのは2018年だったのだけれど、こういうのって定点観測して記録をつけているとけっこう面白いのかもしれない。
あれから1年経ち、“最近SNSでよく見る写真”もまた、少し変化しているように感じる。
平成が幕を閉じ令和となった2019年、最近私が「よく見るなあ」と感じるのは、引き続き「紫陽花のようなブルー」を基調とし日常的な光景を撮影しつつも、より構図に凝ったものだ。
ビル街にふと現れる三角形・四角形などの形を連続して見せたり、影を効果的に使ったり。あとは、人物のスナップ写真をより多く見かけるようになった印象がある。
それから、クリエイターに限らないすべての人が、SNSのアイコンにする用の「アー写」に近い写真を撮ってもらいたがる時代になったな……と思う(私も近いうちに友人に撮ってもらいたい)。
遠く離れたものよりもまず足元にある日常を捉え直そう、身近な人や好きな人の素敵さを記録しておこう──無意識にそんなふうに思いつつ、みんな写真を撮って、SNSに投稿しているのだろう。
そして、SNSに投稿した写真というのは良いものは「バズる」ので、バズった素敵な写真を見続けていると、特別に意識していなくても、なんとなく自分の写真もそれに寄っていくのかもしれない。
足元にある日常よりも、海外やら都市伝説やら遠く離れた世界に意識が向かいがちな私としては、引き続きちょっと寂しい気もする。TikTokで想定外の情報に出会えるのも、今のうちだけかなとやっぱり思う。
知人や興味のある人が発信した情報でもなく、誰もが注目する絶景でもなく、特に気を止める構図でもなく。
多くの人がSNSに自分の日常や写真を投稿する時代になって、『断片的な社会学』で書かれていたような、「文脈からこぼれ落ちてしまうもの」の範囲がどんどん狭くなっているように感じる。
ポジティブに捉えれば、それは素敵なものが増えたということ、日常の中に肯定できるものが増えたということだと思うのだけど、どんな事象も、良い面と悪い面をあわせ持つものだ。
「文脈からこぼれ落ちてしまうもの」を見つけることがより困難になっていくであろうこの時代に、私はSNSに投稿される写真の定点観測を、もう少し続けたいなと思うのだった。
【筆者プロフィール】
チェコ好き
旅と文学とついて書くブロガー・コラムニスト。1987年生まれ、神奈川県出身。ちょっと退廃的なカルチャーが好き。HNは大学院時代にシュルレアリスムとチェコ映画の研究していたことから。
チェコ好きの日記
twitter