電車に乗っていたら某結婚相談所の広告が目についた。「結婚できない人をゼロに」というコピーに、つい「したくなくてしない人もいるだろ」と憤慨する。「(したくても)できない人」というニュアンスだったんだろうな、と気づくのに大して時間はかからなかったが、自分の自意識過剰っぷりに顔が熱くなった。無意識のうちに独身の自分が見下されているような気分になっていたのだ。
以前、婚活本「間違いだらけの婚活にサヨナラ!」の著者、仁科友里先生に取材をしたことがあった。そのときに先生が言った言葉が未だに脳裏にこびりついている。
「婚活がうまくいかないひとって自分のことばかり考えていて、相手が何を欲しているかをわかっていないんですよ」。
要は、常に自分本意だということだろう。頭では納得しつつも、自分自身に思い当たる点があり何とも複雑な気持ちになったのを覚えている。
アメトーーク!で「やっぱり結婚したくてタマらない芸人」が放送された。このところ芸能人の結婚ラッシュが続いていたが、情熱だけはもちつつなかなか結婚できない芸人が集まる。出演者は、若林正恭、バカリズム、又吉直樹、塚地武雅、岩尾 望、田中卓志。
まずは、彼らの理想のプロポーズ。結婚したい芸人が考える理想のプロポーズを、本人出演VTRで紹介する。忙しいにもかかわらず、細部までこだわりぬいたVTRの数々に、彼らの並々ならぬ情熱を感じる。
一番手は、若林が居間で一人iPhoneのSiriに向かって「結婚してください」とプロポーズし続けるVTR。何度プロポーズし続けてもSiriに断られ続ける若林。懲りずにSiriに結婚を申し込む若林の横に、ふいに彼女が現れて「はい」と応える、というもの。
「この人言わないってわかってて、自分から言ってくれる。そういう人が自分に合ってるのかな、って」。そんな若林のVTRの後も、芸人たち思い思いのロマンチック(?)なプロポーズVTRが流れる。
一連のVTRを見た後、ゲストのココリコ遠藤が秀逸なツッコミをする。「みんな自分が好きすぎるんですよ。矢印が全部自分に向いてるから。一人の女性に全部ぶつけないと」。確かに、彼らの理想のプロポーズは、どこまでも自分本意で都合のいいものだった。女性の私からすれば、あんなプロポーズをされたらむしろ別れるだろうな、としみじみ思う。
果たして結婚できるひととできないひとの違いとは何なのだろう。私は、番組途中の若林の発言に、つい「あ、こりゃ結婚できないわな」と思ってしまう場面があった。
「姉御肌のひとと仲良くなることが多いんですよ。でも、だいたい5か月くらいすると、だんだんムカついてくるんです。『今日寒いからマフラーしていった方がいいよ』と言われると『なめてんじゃねえよ』となる」。
出演陣はそんな若林の過激な発言に、「なめてはないよ」となだめるが、なんとなく私は彼の気持ちがわかってしまった。いわば、相手に対しての姿勢が常に“マウンティング”なのだ。通常のおつきあいであれば、どちらが上に立つという発想はないとは思うのだが、若林および他の芸人の多くは、どちらが主導権をにぎる、という点で終始している。
そもそも、理想の結婚生活を語る場面では、多くの芸人たちが口を揃えて「怒られたい」と言った。若林もその一人だったが、いざ現実で女性が主導権を握ろうとしていると感じると、「なめてんじゃねえよ」となる。そう思っていなかったら考えもつかない、という点で、発想とは自分の思考回路の写し鏡だ。つまりは、常に彼らは「自分」という軸から足を離さず、誰かと対等に向き合って生きていく姿勢がないのだ。
自分の思う通りに都合よく動いてくれる女性が欲しい、と思っていたら、きっと結婚までの道のりは果てしなく遠いだろう。そんなお眼鏡にかなう人間は、そもそも存在していないと思った方がいいからだ。そして、そういったマウンティングの姿勢を保ち続けるかぎり、「いつか主導権をにぎられるかもしれない」という点で、自分の存在は常に脅かされ続け、安定した関係を築くことなど夢のまた夢だ。
相手との関係よりも、自分のプライドやメンツが先行しているわけだから。
誰だって、目の前で勝手にリングに上がったり退場したりするような情緒不安定の人間とともに歩いていきたいとは思わないだろう。
「風邪をひいたときに看病してくれる男性がいい」と言いつつ、「でも私がかまってほしくないときは放っておいてほしい」とほざく私も同類だろうか。「梨とかむいてあると『なめてんじゃねえよ』となる」という若林の発言に首をぶんぶんと縦に振ってしまうあたり、結婚とはしばらく縁がなさそうだ、と少し気が遠くなった。
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イラスト/マガポン