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2021/5/9 19:00

千葉真一の教えを胸に活躍するスーツアクター・岡元次郎に玉袋筋太郎が迫る!

〜玉袋筋太郎の万事往来
第10回 スーツアクター・岡元次郎

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第10回目のゲストは、『仮面ライダー』シリーズや『スーパー戦隊シリーズ』を中心に、数多くの特撮作品でスーツアクターを演じてきた岡元次郎さん。ジャパンアクションクラブの養成所を経て、1987年の『仮面ライダーBLACK』が出世作となった岡元さんのキャリアに玉ちゃんが迫ります!

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

 

高校卒業と同時にJACの養成所に通う

玉袋 岡元さんといえばスーツアクターのレジェンドですが、ちっちゃいころから特撮ヒーローに憧れていたんですか?

 

岡元 僕が6歳ぐらいのときに始まった藤岡 弘、さんの『仮面ライダー』は憧れでした。

 

玉袋 男の子は誰しもヒーロー物に憧れますけど、それを生業にするのはすごいことですよ。

 

岡元 子どものころはテレビで『仮面ライダー』を見ていて、本当に改造された人間だと信じていましたし、世界中から選ばれた人しか仮面ライダーになれないんだろうなと思っていました。

 

玉袋 『仮面ライダー』はどのシリーズまで観ていたんですか?

 

岡元 『アマゾン』『ストロンガー』ぐらいまですね。

 

玉袋 2歳年下の俺もそれぐらいですね。ちょっと年の離れた親戚の子が、村上弘明さん主演の『スカイライダー』を見ていたのは覚えています。岡元さんは学生時代からスポーツはできたんですか?

 

岡元 中学・高校と陸上競技をやっていて、跳躍の選手でした。

 

玉袋 当時から跳んでたわけですね。

 

岡元 ただ全国に行けるかどうかぐらいの県レベルでした。それで高校2年生のとき、将来どうしようか悩んでいたら、ジャッキー・チェンのアクションなどが好きな同級生がいて、その子から「ジャパンアクションクラブ(※現:ジャパンアクションエンタープライズ 以下JAC)を受けてみないか?」と誘われたんです。ただJACに電話をしたら、その年は募集を締め切っていました。それで就職か進学を考えていた高校3年生の終わりに、改めて応募して合格しました。

 

玉袋 俺の同級生もJACを受けたんですよ。同学年では一番運動神経の良い奴だったんですけど、それでも駄目でしたね。

 

岡元 僕も格闘技や体操をやっていたわけじゃないですけど、ほかの合格者を見ると、極真空手をやっていたとか、体操の全国クラスとか。あとは小さい頃から踊りを習っていたとか、宝塚を目指してやってきたとか、すごい人ばかりで、世の中にはたくさん上がいるなと思いました。

 

玉袋 時代的には真田広之さんが『忍者武芸帖 百地三太夫』(1980年)とかで主演をやっていたころですか?

 

岡元 それは僕が高校生のころですね。『燃える勇者』(1981年)とか『吼えろ鉄拳』(1981年)とか。

 

玉袋 あったあった。『吼えろ鉄拳』は(アブドーラ・ザ・)ブッチャーが出てくるんですよね。

 

岡元 そういう映画を見てきて、すごいなと思ってJACを受けたんです。

 

玉袋 当時、運動神経の良い子は駆け込み寺みたいにJACを受けていたと思うんですけど、どのぐらいの応募者がいたんですか?

 

岡元 正確な数は分からないですけど、僕は京都で試験を受けて、受付番号が3000番台でした。

 

玉袋 すげーな!

 

岡元 当然、東京はもっといたでしょうね。

 

玉袋 一発で受かったんですか?

 

岡元 そうです。そこから2年間、東京の養成所に通いました。JACに受かる前から、東京に行くつもりでいたので、仕事先も決めていたんです。料理系の会社の学生社員みたいな感じで入って、寮もあったんです。そこで調理場の洗い物や仕込みをしながら養成所に通っていました。

 

玉袋 養成所はどこにあったんですか?

 

岡元 新宿御苑のあたりです。JACの持ち物ではなかったんですけど、貸しスタジオみたいな場所でアクションだけではなく、発声練習からお芝居、ジャズダンスまで学びました。

 

玉袋 生徒は何人ぐらいいたんですか?

 

岡元 最初は1クラス30~40人程度で、同期だけで数百人はいたと思うんですけど、徐々に辞めていくんです

 

玉袋 そこでふるいにかけるんだ。JACがイケイケどんどんの時代ですからね。

 

岡元 僕にやっていけるのだろうかという不安もあったんですけど、たまたま体操をやっていた人が同じクラスにいらっしゃいまして。その人から個人的に公園などで体操を教えてもらっていたんです。それで少しずつ体操もできるようになりました。2年間で側転、バク転、バク宙ぐらいまではできるようになりましたね。

 

玉袋 当時は伊原剛志さんや黒崎 輝さんもJACにいましたよね。

 

岡元 お二人は僕の先輩ですね。

 

背が高いことが『仮面ライダーBLACK』に繋がった

玉袋 馬術なんかも養成所で習うんですか?

 

岡元 はい。年に数回、合宿で馬の練習もするんですよ。冬はスキーもあるんですけど、僕はスキーが全然ダメで、ボーゲンすらできなかったです。

 

玉袋 ある俳優さんから、馬に乗れるとギャラも上乗せされるなんて聞きましたけど。

 

岡元 それほど変わらなかったですけど、やっぱり役者さんは馬に乗れたほうがいいですよね。そういえば、あるドラマで冬の寒い日に「裸足じゃなきゃダメだ」と言われて、裸足で旗を持ちながら馬に乗ったこともあります。

 

玉袋 寺島(進)の兄貴も馬に乗れるんです。日光のウェスタン村でアルバイトをしていたのが活きたって言ってました。養成所を卒業した直後のお給料はどうだったんですか?

 

岡元 全然でした。ただ養成所時代に働いていた会社が、寮は出なきゃいけなかったんですけどバイトは継続させてくれて、そこで1年ぐらい働いていました。

 

玉袋 それはありがたいですね。生活の基盤ですもんね。

 

岡元 あと後楽園の野外劇場でやるヒーローショーにも出ていました。

 

玉袋 ということはドン・チャックにも入っていたんですか?

 

岡元 ドン・チャックには入ってないですね(笑)。

 

玉袋 ドン・チャックよりもヒーローショーに出るほうが上みたいな序列はあったんですか?

 

岡元 そういうのはないです。みんな仲良くしてましたよ(笑)。

 

玉袋 昔のライダーショーなんてジェットコースターに乗ったりして、今考えるとヤバいですよね。

 

岡元 今はどんなに安全面を強化してもできないでしょうね。あのころは安全ベルトみたいなものも付けずに乗っている人もいましたからね。それが見せ場の一つでしたから。

 

玉袋 明治天皇の誕生日(11月3日)に、明治神宮でお祭りをやっているんですけど、俺が小学2年生のときに家族で行って。ちょうどライダーショーをやっていたんですけど、そのステージに上げてもらった記憶があります。岡元さんはヒーローショーでも主役をやっていたんですか?

 

岡元 最初は怪獣や敵の兵隊をやらせていただいていたんですが、正月興行のときに、僕は身長が高いので、真ん中がいいと主役に抜擢していただきました。アクションができて動けるというよりは、大きいからやってみろという感じでしたけどね。

 

玉袋 確かにヒーローがちんちくりんだと映えないですからね。

 

岡元 『仮面ライダーBLACK』で主人公のスーツアクターに抜擢していただいたのも、主役の倉田てつをさんが大きかったので、それに合わせてということが大きかったと思います。まだJACに入って4、5年でしたから、アクションはまだまだでしたし、すべてがチャレンジでした。

 

玉袋 アクションはアクション監督と煮詰めていくんですか?

 

岡元 そうですね。当時は何も分からなかったですから、アクション監督に言われた通りにやってました。

 

玉袋 相当危険なこともやるわけですよね。

 

岡元 そうですね。たとえば5、6階から飛び降りたりとか。昔はフィルムで1カット1カットが大切ですから、NGなんて出したら、どういう目で見られるか……。

 

玉袋 しかもスーツを着たままだから大変だ。ヒーローなのにものすごく怒られたりしてね(笑)。以前、テレビ朝日の番宣で『百獣戦隊ガオレンジャー』の撮影現場に行かせてもらったんですけど、演出中のアクション監督が怖くて、これを毎日やってるのかと。すごい世界だと思いました。

 

岡元 もちろん、そうでない方もいらっしゃいますが、そういうタイプの方もいます(笑)。

 

玉袋 俺もスーツを着せられて、「やれ!」って言われたんですけど、何もできやしなかったです。ちなみにドラマパートとアクションパートは別々に撮るんですか?

 

岡元 お話やお芝居に合わせた流れでアクションを撮るので、アクションだけを撮っていくわけではありません。

 

玉袋 アクションだけで撮ったほうが合理的でいいかなと思ったんですけどそうじゃないんですね。

 

岡元 海外ではアクションだけどんどん撮っていく場合もあるみたいですが、日本はドラマの監督、アクション監督それぞれの意向を入れて撮っていくんです。特に『仮面ライダーBLACK』のときは、僕が初めてなので勉強という意味もあってかアクションのない日でも現場に呼ばれていました。アクションだけじゃなく、ただ歩くだけのシーンでもスタンドインをやらせていただきました。

 

玉袋 主役の俳優さんと動きをピタッと合わせて、シンクロ率を高くしないといけないですもんね。

 

岡元 まさにそうです。そうすることで主役の俳優さんも自然とアクションができるようになって、撮影の最後になると、ある程度は自分でやられていました。

 

千葉真一さんの教えは「できないと言うな」

玉袋 体が資本ですから、撮影と並行してトレーニングもやっているんですよね。

 

岡元 そうですね。僕は一人で黙々とやるほうですけど、若いころはJACの施設もありましたし、バイトでプールの監視員をやっていたことがあって、そこのマシンを使わせていただいていました。

 

玉袋 アクションはケガも付き物ですよね。

 

岡元 しょっちゅうケガはしていました。肩を脱臼して2か月ぐらい何もできない状況のときもありました。さすがに、そのときは別のスーツアクターの方に代わってもらいましたけどね。

 

玉袋 代わりはいくらでもいるぞって世界ですしね。アキレス腱断裂なんてこともありますか?

 

岡元 僕はないですけど、友達ではいました。その日、彼は調子が良くて体も動いていたんですけど、練習中に側転から宙返りをしたときにバーンと切ってしまって。アキレス腱は鍛えてもどうにもならないですからね。その代わり、ストレッチでゆっくりアキレス腱を伸ばすなど、予防はしなきゃダメですよね。何もしないままで切ったら言い訳できないですから。

 

玉袋 ウォーミングアップは撮影のどれぐらい前からしているんですか。

 

岡元 若いときは、撮影所に入る前に、ある程度作っていました。

 

玉袋 いくらウォーミングアップをしても、表のロケだと天気などにも左右されるから大変ですよね。

 

岡元 陸上競技をやっていたときは、競技の開始時間は決まっているので、3時間前に食事をして、その後に柔軟をして、トラックを走って、最終チェックをして競技に向かう、みたいな感じで時間設定ができたわけですよ。だけど撮影は朝から急に「ここから跳んでください」みたいなことも多いので、なかなか大変です。

 

玉袋 CGについてはどう考えていますか?

 

岡元 しっかりと安全面を考慮して、リアルに近い動きに見えて、それでお芝居が成り立てば全然いいと思います。とはいえ、ワイヤーアクションを例にとると、ワイヤーが安全とは限らないんです。ワイヤーを過信すると何が起きるか分からないですし、たとえCGに頼るシーンでも油断はできません。

 

玉袋 常に危険は伴うと。

 

岡元 極論を言いますと、ただ歩くだけのシーンでも危険は伴いますからね。

 

玉袋 最先端の技術もいいんですけど、CSで放映している昔の映画で、乱暴なアクションシーンなんかを見ると逆に新鮮でね。

 

岡元 全盛期の深作欣二監督の作品なんかを見ると、泥まみれになりながら、すごいことをやっていますからね。役者さん自身がカーアクションなんかも派手にやられていて、こんなの今はできないだろうと思います。昔は爆破シーンにしても、軽いやけどは普通でしたからね。

 

玉袋 そんな危険なシーンでも、お互いを信用してやらないと現場は回らないですしね。

 

岡元 そうなんですよ。決まったことは決まったことでやらないと、「大丈夫かな」と思っているとダメですね。やると決めたらやる。

 

玉袋 プロフェッショナルだなぁ。でも、「さすがに監督これは……」ってことはなかったんですか?

 

岡元 ありましたよ(笑)。ただ、千葉さんの教えが「できないと言うな」だったんです。それは無謀なことに挑めという意味ではなく、まずはできるかどうかを考えてみて、それで不可能なら仕方がないけど、最初からできないとは言うなと。

 

玉袋 素晴らしい教えだと思います。今のご時世は難しいですけど、そういう世界のほうが俺は好きだな。

 

岡元 長年やってますけど、スーツアクターは何が正解なのか分からないですし、慣れるものでもないので、幾つになってもチャレンジです。

 

玉袋 確かに慣れたらおしまいかもしれないですね。今と昔を比べてアクションに変化はあるんですか?

 

岡元 基本的なアクションは変わらないですけど、常に新しいキャラクターになるわけですから、そのたびに自分なりに多少は変えているつもりです。もちろん自分の癖があるので、見ている人が変化に気づくかどうかは分からないです。ただ、少しでも違うことをやっているなと思ってもらえたらうれしいですね。熱心なファンの方々は細かいところまで見ていらっしゃいますから驚くことも多いです。

 

玉袋 どういうときに、この仕事のやりがいを感じますか?

 

岡元 やっているときは大変なわけですよ。苦労した結果が絵になったときに、やってよかったなと。それでファンの方が喜んでくれるのが一番ですね。

 

玉袋 日本の特撮ヒーローは海外にもたくさんファンがいますしね。

 

岡元 ブラジルでは『巨獣特捜ジャスピオン』が国民的ヒーローで、主演の黒崎 輝さんは有名みたいですしね。

 

玉袋 俺はプロレスが好きで、マスクマンも大好きなんですけど、特撮ヒーローと共通するものを感じるんです。三沢(光晴)さんが二代目タイガーマスク時代、天龍さんが銀座に行くときに必ず同行していたらしいんですけど、そこではマスクをとっているから全然モテないって嘆いていました。岡元さんは、そういうことはなかったんですか? たとえば飲み屋で飲んでいたときに、別の席で仮面ライダーの話をしていて、「中に入っているのは俺なのにな」と思ったり。

 

岡元 それはないですけど(笑)。最近は街を歩いていると、ファンの方から「岡元次郎さんですよね」と声をかけられることがあります。僕を知っている方がいらっしゃるということに、こっちがビックリしますし、ちょっと恥ずかしいです。

 

玉袋 いやいや、堂々としてくださいよ。仮面ライダーや戦隊ヒーローは連綿と続いていて、うちのせがれは今28歳ですけど、小さいころはずーっと見ていてグッズも買ってあげていました。そのせがれに子どもができたら、また同じように戦隊ヒーローに熱中するでしょうし、そうやって受け継がれていく姿は美しいなと思います。

 

岡元 そういう素晴らしい作品に携われたことに感謝です。

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階 )

<出演・連載>

TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」