ライフスタイル
2021/2/8 21:00

ブームには乗らない。腕1本で「バーバー」シーンを牽引する男気あふれる代表に玉袋筋太郎が斬り込む!

〜玉袋筋太郎の万事往来
第8回 THE BARBA TOKYO代表・TOM

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第8回目のゲストは、「バーバー(床屋)ならではの癒しと安らぎ」をコンセプトに、都内に5店舗を構える「THE BARBA TOKYO(ザ・バルバ・トウキョウ)」代表のTOMさん。ブームに左右されることなく、自分のスタイルを守り続けることでバーバーシーンを牽引するTOMさんの経営哲学とは?

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

 

THE BARBA TOKYO公式サイト

 

理容師のトップに立つために銀座の老舗店で10年勤務

――本日、お伺いしたTHE BARBA TOKYO 5 FIVEさんは中目黒の一等地にありますけど、ここにお店を構えて間もないんですよね?

 

TOM 2020年7月にオープンしたばかりです。

 

玉袋 このコロナ禍にすごいね。

 

TOM 新築で空いていたんですよ。家賃は高かったんですけど、交渉したら安くなって。

 

玉袋 やり手だね。勝ち組だよ!

 

TOM 普段だと、この辺の物件ってなかなか空かないんです。コロナの影響で、ここの通りも幾つか物件が空いたんですけど、空くと同時に埋まっていきましたからね。

 

――アメリカのオールドスタイルを意識した店舗作りが印象的ですけど、そうした趣味は親の影響ですか?

 

TOM そうですね。父親が映画好きで、小さいころから一緒に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ベスト・キッド』を見ていたんですけど、劇中にアメ車やハーレーが出てくるじゃないですか。それがかっこいいなと思ったんですよね。『アメリカン・グラフィティ』なんかは全編そういう世界観ですけど、ポイントで出てくるのが好きなんですよ。父親はバイクも好きで、その影響も大きいです。

 

玉袋 そもそも床屋を始めようと思ったきっかけから聞きたいんですけど、北海道出身なんですよね。

 

TOM 北海道の音威子府村(おといねっぷむら)というところの出身です。

 

玉袋 一旗揚げようってことで北海道から東京に出てきて。

 

TOM そうですね。最初から成功することしか考えてなかったです。

 

玉袋 戦う前から負けることを考えるバカがどこにいるんだ、この野郎! って猪木イズムだね。今お幾つ?

 

TOM 38歳です。

 

玉袋 若いねー。最初は普通に働いていたんでしょう?

 

TOM 上京して、「ヘアーサロン銀座マツナガ」という銀座に本店を構える老舗で10年修行しました。

 

玉袋 10年も!

 

TOM 最初は5年ぐらい働いて独立を考えていたんですけど、店長をやらせていただくことになって。店長になってすぐに辞めるわけにいかないじゃないですか。それで恩返しもあって10年勤めました。政治家の常連さんもいる由緒ある老舗だったので、僕みたいにタトゥーを入れているようなスタッフは他にいなかったんですよ。だから入るときに見える場所に入れたタトゥーは消しました。

 

玉袋 すごい気合いだね。

 

TOM 東京に行くからには中途半端な気持ちで帰りたくないと思ったんです。

 

玉袋 学校はどこだったの?

 

TOM 北海道理容美容専門学校です。

 

――在学中は様々なコンテストで賞を獲ったそうですね。

 

TOM 技術は全生徒の中で一番自信がありました。実際、技術の成績はトップだったんですけど、勉強はしなかったので学業はダメで……。

 

玉袋 筆記には弱いんだな(笑)。

 

TOM 漢字が読めなくて(笑)。

 

 

――2000年に木村拓哉さんが美容師を演じた『Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』(TBS系)の影響もあって、TOMさんが専門学校に通っていた当時は空前の美容師ブームでしたが、どうして理容師の道を選んだんですか?

 

TOM 今は閉校して名前も変わってしまったんですけど、僕は名寄工業高校というワルばかりの男子校に通っていて(笑)。バイクが好きだったので整備士になろうかなと考えていたんですけど、手先が器用だったから、両親と学校の先生に「美容師はどうだ?」と言われたんです。

 

でも、「女が多いところなんて行きたくねーよ!」ってことで理容科を選びました。専門学校に通おうと決めたときから、この道のトップになろうと決めてましたね。ただ最初は東京で修業した後、海外に行こうと考えていたんです。25歳でアメリカに渡って、ハーレーで横断したいなと思っていたんですよ。実際、21歳のときに3か月だけニューヨークに行かせていただいて、現地のバーバーで働きました。

 

玉袋 向こうの空気を吸ってきたんだ。

 

TOM まあ、東京とあまり変わらなかったんですけどね(笑)。

 

玉袋 しかし銀座の老舗ってのがすごいな。そこで、たくさんの大人と出会うわけじゃない。

 

TOM 今まで関わったことのないような偉い人たちばかりでした。

 

玉袋 そこで跳ね返りはなかったの?

 

TOM ありました。若くてやんちゃでしたから。常連さんには大手企業の社長さんも多かったですし、時の総理大臣も来ていたんですよ。偉そうな大人も多かったから、最初は苦手だったんですけど、そのうち可愛がられるようになって。

 

玉袋 だろうね。社長と話していると分かるよ。

 

TOM 今はもうちょっと緩くなったみたいですけど、当時、「銀座マツナガ」では金髪、坊主、髭、タトゥーは禁止だったんです。それを僕は全部やっていたんです。でも仕事はちゃんとやっていたので許されていました。

 

玉袋 外見は柔らかいけど芯はがっちりあるってことだね。そのイズムはいいよ。

 

TOM それは古巣に教えてもらったことです。

 

玉袋 古式ゆかしいというところだね。銀座で一流の人たちに触れられたのは、すごい財産だよ。

 

TOM その経験は今も活きていますね。

 

――TOMさんは1年でスタイリストデビューして、5年目には全店舗の中で売上やカット人数で1位になり、26歳の時に店長を任せられるなど、華々しい結果を残しています。

 

TOM 実は25歳のときに独立も考えたんです。ただ店長になって、税理士さんと直接やり取りさせていただいて、そのときに経営を学ぶことができました。いわば店長兼雇われオーナーみたいな立ち位置でしたね。

 

玉袋 雇われオーナーから雇う側になって、大勢のスタッフを使うのも大変でしょう。

 

TOM 面接のときは「THE BARBA TOKYOに入りたい!」って気持ちが強くても、入って3か月もすると変わってしまう子が多いんですよね。僕みたいに同じ店舗で10年も続けるなんて滅多にいないんです。かといって、「給料上げよう」「勤務時間を短縮しよう」「練習時間を減らそう」と、2、3年で辞めていくようなスタッフに、こちらが合わせていくと絶対に良くありません。なので、ふるいにかけるわけじゃないですけど、残ったスタッフをどれだけ厳しく大事にしていくかを心がけています。

 

玉袋 確かにオーナーが日和って、向こうに合わせちゃうことが往々にあるけど、そうすると言葉は悪いけど、付け上がっちゃうからね。厳しくても暖かさがあればついてくるよ。そういう人心掌握術も大切だね。

 

ブームじゃなくてライフにすることが重要

――理容師を目指す若者は増えているんですか?

 

TOM 僕の若いころと違って増えています。美容から理容に来る子も多いですね。THE BARBA TOKYO 5 FIVEは新しいのでスタッフは5人しかいないんですけど、そのうち2人は元美容師です。ただバーバーブームに乗っかって来ちゃうので、格好だけ理容師で美容師のままって子も多いんです。だから、ちゃんと理容の勉強をしなさいと口を酸っぱくして言います。

 

そもそも僕はブームというのが嫌いなんですよ。2019年にラグビーの日本代表が集まるということで、たくさんTHE BARBA TOKYOもマスコミに取り上げていただきましたけど、選手たちもブームに乗ってラグビーを始めたわけじゃないですよね。ずっと野球やサッカーの陰に隠れていた存在だったけど、結果を残すことで人気競技になった。自分たちも、ずっと美容の陰に隠れながらやるべきことはやってきて。選手たちと「お互いに日の目を見て良かったよね」って話しました。

 

玉袋 俺もよく「ブームじゃなくてライフにしろ」って言うんだけどさ。それが大事なんだけど、ブームで来る人たちの気持ちも分かるよね。

 

――ブームになったことで興味を持って、その仕事に就くきっかけにもなりますしね。一昔前までは理容師って落ち目のイメージでした。

 

TOM 昔は黙っていても床屋さんにお客さんが来ましたけど、そういう時代じゃないですからね。ただTHE BARBA TOKYOは他社の予約サイトに広告を掲載していません。広告料を払って、割り引きしてまでお客さんを集めたくないんです。自分たちのSNSでしか発信してないですけど、腕を磨いて、評判が良くなっていけば、自然とお客さんが集まるようなお店になると思うんです。それはお店を始めるときに現在の副社長と話し合ったことで、思い描いていた通りになっていきました。

 

――SNSの意見を参考にすることもあるんですか?

 

TOM あります。たまにSNSで嫌がらせみたいな悪口を書く人もいますけど、そこに真実もありますし、そういう声にも耳を傾けるようにしています。

 

玉袋 エゴサーチをしてへこんじゃうタレントも多いけどさ、自分が正しいと思ったことを発信すれば、外野の声なんて気にしなくていいし、軸がしっかりしていれば考え方もブレないんだよね。この前、RHYMESTERの宇多ちゃん(宇多丸)と飲んでたら、そういう話になってさ、「もう3か月インターネット見てないよ」って言うんだよ。それは宇多ちゃんの仕事が充実しているからなんだよね。逆に炎上させてナンボってタレントもいるけどさ、そっちに舵を切るのは簡単なことだけど、それも嫌だなと思ってる。

 

ワイドショーに出て過激なことを言ってりゃいいんけど、そんなのは面白くないんだよね。テレビの流れがそうなっているから、そっちにタレントも迎合していくけど、それって目先じゃんと。そういうスタンスだから俺は冷や飯を食ってるかもしれないけど、自分を曲げてまでブームには乗りたくないよね。そこの舞台に立つんだったらフルスペックで出ていきたいわけよ。まだまだ、そうじゃない自分ってのも分かっているから、まだ行かなくていいやと。でもフルスペックにすべく、日々チューニングはしているけどね。

 

TOM 僕が理容師になる前に、床屋なんですけど美容寄りの人気店があって。僕もブームに乗るわけじゃなかったんですけど、ちゃんとした東京の床屋で学んで、その後に美容に興味があれば、そっちに行ってもいいかなと思っていたんです。でもニューヨークに行ったときに、現地のお客さんから「日本人はどうしてビューティーサロンばかり行くんだ?」と言われたんです。「日本では美容師ブームで、日本人はブームが好きだからだ」と説明したんですけど、そこで僕もハッとしたんですよね。美容に行ったら、ブームに乗ってると同じかもしれないなと。

 

でも当時は、昔ながらの床屋さんって美容室に追いつけなかったんです。そりゃあ、そうですよね。新聞読んで、たばこを吸いながら、「いらっしゃい」って出迎えるんですから。カット中もハサミを止めて野球観戦に熱中する床屋さんも珍しくなかったし、それでもお客さんは来ていましたからね。結局、時代に合わせられなかったんですよ。

 

玉袋 そういう床屋さんの時代もあったし、今も住宅地なんかでは需要があるからね。

 

TOM そうですね。ただ必要以上に、時代やお客さんに合わせるのも違うんですよね。玉袋さんのやっているスナックでも、新規客に横柄な態度を取られたら“お客様”じゃないですよね。「銀座マツナガ」で一つだけ納得できなかったことがあって、お客さんは“お客様”であり“神様”だと思いなさいという教えだったんです。もちろん、どんな人でもちゃんと接しますけど、全て言いなりになってしまうと、お客さんを天狗にしてしまうんです。だから、お客さんにも、ある程度のルールを守ってほしいんです。

 

玉袋 お金を払ってくれるんだから、心では神様だと思っているけど、線引きは大切だよね。

 

TOM たとえば、遅刻するのに連絡を入れないお客さんはお店に入れないですし。

 

玉袋 そういうルールを守ることで、双方が磨かれる感じがするね。お客さんもスマートになっていくし、受け入れる側もスマートになっていくんだよね。

 

TOM あと僕が接客で一番大切にしているのは笑顔です。「いらっしゃいませ」の前に笑顔で出迎えられると、それだけで好印象を抱くじゃないですか。笑顔がないところに人は集まらないですからね。タトゥーを入れて、金髪で、それで不貞腐れたような態度だったら、僕がお客さんだったらぶん殴ってます。

 

玉袋 そりゃそうだよ。

 

TOM お客さんからの電話も声のトーンを上げるように意識するとか、ひたすら教えています。口では「やってます」と言っても、できてないと意味がないんですよね。そもそも面接の時点で愛想の悪い子は絶対に入れないです。あと最初は愛想が良くても、すぐに友達みたいな態度になる子はダメです。

 

玉袋 床屋さんほど近い距離でお客さんと接して、実際に体に触れるお仕事ってあんまりないからね。距離感は大切だし、そこが客商売の難しさでもあるけどね。

 

 

――新卒と中途採用だと、どちらの割合が多いんですか?

 

TOM うちは新卒から取るほうが多いです。どうしても美容から理容にくると癖があるので一から教えたいんです。その店の癖がつくことは悪いことではないんですけど、それを直すのは大変です。THE BARBA TOKYOにも癖がありますし、THE BARBA TOKYOに入った以上は、うちのやり方でやってもらわないと、どんどん新人たちもブレたやり方になっていきますからね。だから教えるのは大変ですけど新卒をメインにしています。給料は年功序列ではなく、やる気のある子は上げていきます。

 

玉袋 まだまだ社長は夢の途中だと思いますけど、これからの展望を聞かせてもらえますか。

 

TOM 僕は言葉にしたら絶対にやるんですけど、次のプロジェクトは沖縄に二階建てぐらいの物件を買って、その中で自分のライフスタイルを詰め込んだ施設を作りたいんです。僕は沖縄の雰囲気が好きなんですけど、沖縄出身のスタッフも数人いるので、沖縄出身の店長に社長をやってもらって、バーバーはもちろん、タトゥースタジオやバーなども併設する予定です。

 

――都内に店舗を増やす予定はないんですか?

 

TOM バーバーは5店舗で終わりにして、その5店舗を濃くしていきたいんです。

 

玉袋 薄めずに煮詰めていくんだね。

 

TOM それ以上の店舗数だと僕には見れないなと。やっぱり薄くしたくないですからね。あとハワイも大好きで毎年行くんですけど、ハワイにも店舗を出します。今、息子が小学2年生なんですけど、中学生になるまでに家族でハワイに移住するつもりです。移住後も月1回は仕事で帰ってきますけど、それまでに日本の店舗はスタッフに任せられるようにして。それが最終目標ではないですけど、一つの区切りではありますね。

 

玉袋 社長は地に足がついているよね。ついつい人間って浮かれちゃうもんだからさ。それでやらかしている奴って、見てて恥ずかしいじゃない。特に芸能人はそういう奴が多いんだけどさ。社長の夢は絶対に叶いますよ。

 

TOM 今日この場で言ったからには絶対に叶えます!

 

玉袋 力強いね。俺も何か夢を言っとこうかな(笑)。

 

取材場所:THE BARBA TOKYO 5_FIVE_(ザ・バルバ・トウキョウ ファイブ)
東京都目黒区青葉台1丁目15番3号AKー4ビル1FA区画

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1 階 )

<出演・連載>

TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」