芥川賞作家・小川洋子の同名小説を日本・台湾合作で映画化した『ホテルアイリス』(2月18日公開)で、愛と死の香りに満ちた禁断の世界に誘うミステリアスなロシア文学翻訳者を演じた永瀬正敏さん。写真家としても知られる永瀬さんのカメラに対する思いのほか、縁のある台湾映画界についても伺いました。
【永瀬正敏さん撮りおろしカット】
年齢差がある愛の物語に、やっとそういう役ができる年齢になったのかと嬉しくなった
──本作に出演された経緯を教えてください。
永瀬 プロデューサーさんから出演オファーを頂き、脚本を読み、その後に原作を読みました。今回、僕が演じた主人公の男(翻訳家)は、原作の設定では僕よりずっと年上で、陸夏(ルシア)さんが演じたヒロインのマリは、彼女より年下。そのため、いろいろ考えたんですが、「僕たちが演じることで、違う化学反応が起きるんじゃないか?」というお話もいただき、それではやらせていただこうと思いました。フランス映画の『美しき諍い女』のように、年齢差がある愛の物語がたくさんあるなか、「僕もやっと、そういう役ができる年齢になったのかな」と、嬉しく思いましたね。
──「翻訳家」の役作りはどのようにされたのですか?
永瀬 原作では、「それが現実なのか、それとも夢なのか」といった、曖昧なところを小川洋子先生が絶妙に表現されているんです。そんな原作の中に漂っているものを最大限大切にしながらも、そのまま表現しようとすることは映画なので難しい。その出し具合の加減……例えば、予約したはずのレストランで予約が取れていなかったときの表情などは、現場で奥原監督と話し合いながら、陸夏さんとのお芝居をしていくなかで決めていきました。なので、今回の役は事前に一人でガチガチに作り込んだというよりは、現場でみなさんと一緒に作っていった感じがします。
──今回のロケ地は、台湾の離島である金門島。永瀬さんは1991年に主演された『シャドー・オブ・ノクターン – アジアン・ビート 台湾篇』以来、台湾映画にも出演されています。
永瀬 金門島には初めて訪れたのですが、僕は台湾の土地も、台湾の人々も好きなんです。そして、台湾映画界の人たちも素晴らしいし、一緒に仕事ができるというだけで、とてもテンションが上がるんです。『アジアン・ビート』で最初に台湾に行ったときは、ちょうど台湾ニューウェーブの監督たちが世界に進出して、盛り上がっていたときでした。そのなかでも、エドワード・ヤン監督と出会えたことは、いい思い出ですね。『シャドー・オブ・ノクターン』のプロデュースをしてくれた。もともと監督する予定だったのですが、同時期に撮影していた『牯嶺街少年殺人事件』の撮影が押しに押して…。『シャドー…』は『牯嶺街…』のプロデューサーさんが監督することになったんです。じつはヤンさんに呼ばれて、『牯嶺街…』の撮影現場にもよく行っていたんですが『1シーン出てくれ』と言われて。でも編集段階で出演シーンがカットされてしまった……。自分が「3時間版」だけでなく、「4時間版」にも出てこないので、ちょっと凹みました、あとでヤンさんにひたすら謝られましたけど(笑)。作品自体は大傑作で現場の空気を感じられただけでもありがたかったですが。
──14年の『KANO 1931海の向こうの甲子園』では、台湾に実在した高校野球チームの監督を演じられました。
永瀬 『KANO』で台湾に行ったときには、ウェイ・ダーション監督をはじめ、次世代の監督たちと知り合うことができました。彼らが台湾ニューウェーブ時代の監督としっかり繋がっていたことも感慨深かったです。今回の現場でも陸夏さんだけでなく、若い女性がたくさん働かれていて、素晴らしい仕事をされていました。それによって、僕は台湾映画界の新たな未来を見たような気がしました。
僕とマー監督がツァイ監督を囲んで、過去のいろんな話を聞いたり
──現場の雰囲気は、いかがでしたか?
永瀬 奥原監督は北京を拠点に活動されているので中国語が堪能なうえ、マリの父親役では、『KANO』のマー・ジーシャン監督が出演されているんです。さらに、売店の男役でリー・カンションさんが出演されていることもあり、彼と親友でもあるツァイ・ミンリャン監督も現場に遊びに来てくださったんです。なので、現場に3人も映画監督がいるという、とても不思議な現場でした(笑)。撮影後、ホテルに戻ってからは、僕とマー監督がツァイ監督を囲んで、過去のいろんな話を聞いたりして、+αで、いい思い出になりました(笑)。
──そのほか、撮影時の印象的なエピソードを教えてください。
永瀬 金門島は中国との戦いの最前線だったこともあり、弾痕や朽ちた家が多く残っていて、台湾本島から感じる木の温もりと言うより、どこか乾いている感じがしました。あと、僕が金門島に帰っていく、引き潮のときしか撮れないシーンがあり、そのために早朝に撮影していたんですが、あるとき、撮影中に潮が満ちてきたんです。監督の判断で、それを生かして新たなシーンも撮影することになったんですが、そんな台本になかった美しくラッキーなショットは、この映画の見どころかもしれませんね。
笑顔の写真を自分のInstagram等で毎日アップしていた
──永瀬さんといえば、展覧会も開かれる写真家としても知られています。撮影現場にもカメラを持っていかれるとお伺いしました。
永瀬 あるとき、もしデビュー作から、僕が共演した方を全員撮らせてもらっていれば、僕が引退したとき、何かを発さなくても、自分史が出来上がることに気づいたんです。そう考えると、「なんて、もったいないことをしたんだ」と思い、今では極力カメラを持っていき、現場で撮らせてもらっているんです。いつもは1、2台程度なんですが、この間までの現場はカメラマン役だったので、合計4台の4カメ体制でした(笑)。
──ちなみに、『ホテルアイリス』でも、かなり撮られたのでしょうか?
永瀬 『ホテルアイリス』の現場では、役とプライベートを切り替える時間があまりなかったことや、今は観光地でも悲惨な歴史もある場所なので、なかなか容易にカメラのレンズを向けられなかったんです。そのため、少しスマホで撮るだけでした。ただ、その後に撮影した『ノイズ』のときは、藤原竜也くんや松山ケンイチくんとは初共演だったこともあり、会った当日に「ごめん! 写真撮らせて!」と言って、ポートレートを撮らせてもらいました(笑)。また、最初の緊急事態宣言が出て、僕も1歩も外に出なかったんですが、自分の身の丈に合った形で初めて体験するコロナ禍の中、皆さんに何かを伝えたいと思って、笑顔の写真を自分のInstagram等で毎日アップしていたんですね。その趣旨を話したらすぐに賛同してくれて、撮らせてもらった写真もあります。それは「茜色に焼かれて」の石井裕也監督や、尾野真千子さんもそうです。そういう特別なポートレートを撮影させてもらうこともありますね。
──過去には、スチールカメラを担当された作品もあるそうですね。
永瀬 自分の中で、映画とカメラがリンクしたのは、行定勲監督の『贅沢な骨』という作品です。行定監督の作品では今では考えられないぐらい超超自主映画ともいえる作品だったので、役者もやりつつ、「写真も撮ってください」と監督に依頼されたんです。それでポスターやビルボードに耐えうるものを目安にして、ペンタックスの6×7で撮ったんですが、当たり前ですけれど、いちばん、いい位置から役者を撮れるんですよ(笑)。なので気がつくと僕のすぐ横でスチールカメラマンさんが撮っている(笑)。結果クランクアップした後に、自分なりの解釈で新たに撮らせてもらって、最終的には写真集的なものも出させてもらいました。
──永瀬さんがカメラを本格的に始められたのはどういうきっかけだったのですか。
永瀬 いろいろきっかけはあり、最初にカメラを持つようになったのは、戦前に写真館をやっていたおじいちゃんの影響が強いです。その話を親父から聞いて、撮られるだけではなく、撮る方もやってみたいと、安いカメラを買って始めました。それが1つとあとは、今は芝居以外に、いろんなことをやられている俳優さんが多いですが、僕の若い頃はカテゴライズしたがる人が多かったこともあって、「俳優は芝居だけしていればいい」みたいな考えが強かったんです。それに対して、僕を含め仲間たちは、ふつふつしたものがあったんです。あるとき、知り合いのアイドルの子の“ニコパチ写真”ではなく、その時の彼女の思いを撮って欲しいと頼まれ撮影したのも大きいですね。
──ちなみに、カメラの機材・機種に対するこだわりはありますか?
永瀬 デジタルか、フィルムか、といったこだわりは、全然ないです。デジタルが主流になる前は、お風呂場を潰して、自分で焼いていましたが、時間もかかるし、産業廃棄物としての処理も大変だったんです。それに対して、デジタルは即効性の良さがありますからね。たまに、スチールさんから借りて撮ることもありますし。今はデジタルでもフィルムでも、仕上げはプロのラボの方にやってもらっています。データだけで上げるのであれば、自分でレタッチまでするんですが、それをプリントアウトして展示するのなら、やっぱり信頼できる人にお願いしたい。そういった、こだわりはあるのかもしれませんね。
ホテルアイリス
2022年2月18日(金)より新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほか公開
(STAFF&CAST)
監督・脚本:奥原浩志
出演:永瀬正敏、陸夏(ルシア)
菜 葉 菜、寛 一 郎、マー・ジーシャン、パオ・ジョンファン、大島葉子、リー・カンション ほか
(C)長谷工作室
【映画『ホテルアイリス』よりシーン写真】
撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/勇見勝彦(THYMON Inc.) スタイリスト/渡辺康裕(W)、涌谷梨乃(W)衣装協力/YOHJI YAMAMOTO