覗けば深い女のトンネルとは? 第48回「見栄のためのウソが招くデメリット」
昔、「俺、スパイだったんだ」という男性に会ったことがあります。
彼には「アメリカ海軍に顔が利くから、行きたいところに連れてってあげるよ」とも言われました。言われただけで実行されませんでしたが。
違う男性から「タレントの××が好きなの? 俺、知り合いだから今度会わせてあげるよ」も言われたことがあります。でもその日は永久にやってこなさそうです。本当に知り合いだけど約束を守る気がないのか、そもそも知り合いじゃないのか、どちらにしてもウソですね。
「ウソつきの心理学 人はなぜウソをつくのか」(渋谷昌三)によると、男性は「見栄」「利害」などで相手よりも優位に立とうとしつつ「予防線」のウソで人間関係を上手く保っていこうとするそうです(女性の場合は「予防線」「合理化」で相手との関係を保つのだとか)。
確かに上記2つは、自分をより大きく見せて「すごーい」って言わせたい、見栄のウソっぽいですよね。
だけど男性のウソってわかりやすいので、たいてい相手に見抜かれていそうです。
その場では「わあ、ホント? すごーい!」くらいは言いますよ、正直者の和久井でも。それでいて心のなかでは「今後は話半分で聞いておくか」ってなります。
それほど大きなウソじゃなくても、プロフィールを盛るのもウソの一種ですよね。実例で言うと「実家暮らしなのにひとり暮らしと偽る」「二流大学卒だけど実は一流大学も合格していたと言い張る」とか。ぜんぜんプライベートなのに「仕事のメールが来た」「週末は仕事だ」とか、英語ぜんぜんできないのに「これは俺が読んでる英語の書類だ」なんて見せてくる人もいました。
これらのウソも見栄っぽいです。でも、見栄のためにウソをつくのは、自分が弱いからではないでしょうか。
ひとり暮らしのほうが評価が高いと思うならすればいいし、二流大学でも自分の過去なら胸を張ればいい、恥ずかしいならリベンジすればいい。やるべきことがわかっていながらそれをしなかったり、自分の非や弱さを認められずにウソをついて逃れようとするのは、「弱さ」です。
ついウソをついて、その場をうまくしのぎたいのでしょうか。和久井はウソばっかりつく男子のことをホラッチョと呼んでいますが、「こいつホラッチョだな」と判断されることのデメリットは山ほどあります。
まず、ウソは残念な人にしか通用しません。ということは、ホラッチョの周りの人たちのレベルもたかが知れている、もしくはそれなりの関係だってことです。どちらにしろ、周りに相談できる人や、大人の意見を述べる人はいないんだろうなと想像します。
言っていることがウソかもしれないので、こちらも用心して「どうせウソだろ」ってスタンスで話を聞くようになります。
そもそも自分の弱さを隠すためにウソをつく人です。これが一番怖い。他人に不利益が生じることも「自分は仕方がなかった」と言い訳やウソでその場を取り繕うかもしれません。例えば、結婚したあとに不倫するとかね。端的に言えば「信用ならない人」です。
ひとつふたつ、何気なくウソをついただけで、これだけイメージダウンするんです。
遠い昔、和久井は当時付き合っていた人から「お前は自分がそれなりの人間だって自覚しろ」と言われたことがあります。自分の弱さと向き合うのが怖くて、そして完璧な人間じゃないと世間に認められないと思って虚勢を張ってました。お恥ずかしい。
自分のしたことや自分の人としてのレベルを客観視するのは辛いことです。でも自分が完璧じゃないこと、足りないことが山ほどあることを自覚するのが、大人への第一歩です。
「負の暗示」(山岸凉子)という恐ろしい作品があります。津山30人殺し事件の犯人の心理を描いた短編です。本書によれば、彼は弱い自分、世間的に認められない自分を、とうとう直視することができなかったというのです。ひとつのことに目を背け後回しにすると、後回しにしたぶんだけ、大きくなって返ってきます。彼はその負のサイクルに飲み込まれてしまったと作者は言います。
ホラッチョのウソは自分のリアルから目をそらすためのものです。ウソをついて自分を繕っていたら、いつまで経っても心の底からつながれる相手は見つからないのに。
でもウソって習慣化するみたいで、反射神経的にウソをつくようになると直しにくいようです。見栄を張るよりも本当の自分の弱さをさらけ出したほうが、よっぽど評価が高いことに気づけないんです。
「わあ、すごーい!」と言いながら、ウソに騙されたフリをしながら女たちは「こいつホラッチョだな」「胡散臭いな」と心のなかで見下してるかもしれません。ウソで塗り固めたって、どうせボロがいっぱい出るから意味ないですよ。
第一印象を取り繕ったら、あとは落ちるだけ。自分自身の本当のレベルで勝負しましょうよ。それが一番幸せです。