〜玉袋筋太郎の万事往来
第2回 「TENGA」社長・松本光一〜
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第2回目のゲストは、「性を表通りに、誰もが楽しめるものに変えていく」というヴィジョンを掲げて、次々と革新的な性にまつわるプロダクトを世に送り出している「TENGA」の松本光一社長。アダルトグッズの概念を根本から覆し、世界中の人々の性生活を豊かにするべく、男女の垣根を超えたセクシャルウェルネス商品を開発し続ける松本社長の、もの作りへのこだわり、コロナ禍で考えたことなどについてお話を伺います。
(企画撮影:丸山剛史/ライター:猪口貴裕)
TENGAは感覚的にビールに近い?
玉袋 TENGAはどこで購入されるお客さんが多いんですか?
松本 TENGAユーザーの3割はインターネットで購入する人で、あとの7割はお店で買ってくれますね。
玉袋 もっとネットの比率が高いのかと思ってました。
松本 仰る通り、イメージ的には半々か、ネットのほうが多いと感じると思います。ただTENGAは感覚的に、ビールに近いんですよ。「欲しいなと思ったときに買う」という性質の製品なんです。
玉袋 なるほどー。ビールと一緒か。確かに、今すぐ欲しい訳だから、悠長に待ってられないもんね。
松本 「TENGA SHOP」という、TENGA専門に扱っているお店が全国に40か所あるんですけど、渋谷や池袋、秋葉原など人の多い場所にありますので、観光客の人たちがよく買ってくれます。
玉袋 インバウンドかぁ。いろいろ大変な時期だとは思いますが、主にアジアからの観光客が多いんですか?
松本 そうですね。中国、韓国、台湾、タイからの観光客が多く買ってくれます。
玉袋 海外では、どれぐらいの取り扱いがあるんですか?
松本 今は69の国と地域で販売しています。
玉袋 すごい! ワールドワイドですね。当たり前ですけど食欲も性欲も万国共通で、欲求と直結しているものじゃないですか。食欲は食わなかったら痩せていくから他人にも分かりやすいけど、性欲ってのはなかなか見えてこない。そこに真剣に取り組んで世に広めていった社長は素晴らしいですよ。表向きは普通の顔をしているけど悶々としているお客さんもいる訳じゃない。その人たちが求めているものを提供し続けないと、未来にも続いていかない。これをやり続けないといけないって点では、止まったら死んじゃう魚と一緒です。
松本 玉袋さんが仰ったように、食べるとか眠るとかと同じで、性欲は根源的なことですよね。それに対するプロダクトを恥ずかしいものとして提供するのではなく、あったほうが性生活も日常も豊かですよねという考えで提供しています。いつでも手に取りやすくて、欲しいと思ったときに使ってもらえるのが本望というか、ありがたいことです。今日は玉袋さんと対談するということで、この製品を見てほしいんです。僕と玉袋さんは年が一緒ですよね?
玉袋 俺は1967年6月22日生まれです。
松本 僕が1967年7月31日生まれなので、ほぼ1か月違いですね。これは「バキュームコントローラー」というんですけど、TENGAカップ専用の電動バキュームアイテムなんです。開発したきっかけは、40代後半になって徐々に勃ちが悪くなってきて、そろそろ何か考えないといけないなと。僕自身で開発中の製品の試験ができなくなると、会社としては大打撃ですからね。
玉袋 そりゃあそうだ。
松本 だったら吸いながらしようと。吸引することで真空状態を作るから、男性器も勃ってるんですよ。ただ試作の段階では、吸引力を弱めるリリースボタン(真空状態を開放するボタン)がなかったんです。最初の試作ができて、自宅で使用試験をしているとき、「いい感じに吸われるわ~。こりゃいいや」と思いながら使っていたんですけど、吸われるってことは今まで届かないところまで届きますし、萎まないんですよ。それで調子に乗って吸っていたら、中に玉袋まで入っちゃったんです。
玉袋 そこまで吸っちゃうと危ないよ(笑)。
松本 玉袋が両方入っちゃうと、なかなか抜けないんですよね。これはやばいと思ってリリースボタンを付けたんです。あと、「筋太郎」にかけて、裏スジにまつわる製品も紹介させてください。この「TENGA GYRO ROLLER」は、ジャイロセンサーを搭載したTENGAカップ専用の電動ローリングコントローラーなんです。手を傾けるだけで回転方向と回転速度を自由自在にコントロールできるんですよ。つまり使用中に、いちいち操作しないで直感的にコントロールできるので、無心でオナニーができる。さらに上下に動かすと、らせん運動に変わるんです。これも試作ができて使用試験をしていたら、裏スジが表側に移動して大変でした(笑)。
玉袋 それだけ試行錯誤があっての製品なんですね。
松本 射精中って動きを止めちゃうでしょう? でも射精のときが一番敏感なんですよ。だから、この「TENGA GYRO ROLLER」を回しながら射精していただくと、経験したことのない快感を得られることができます。
玉袋 そりゃ潮を吹いちゃいますね。
松本 僕はジャイロでは、まだそこまで到達できてないんですけど。
玉袋 俺は過去に潮を吹かされたことがあるんですけど、あれは危ねぇ。死ぬかと思うぐらいの高揚感でした。
松本 2019年から銀座の阪急メンズ東京6階に、日本初で百貨店初のTENGA常設店「テンガ ストア トーキョー(TENGA STORE TOKYO)」を出店しているんですけど、そこの店長が「TENGA GYRO ROLLER」で潮を吹きました。なので「潮吹き店長」と呼ばれています(笑)。「やばいやばい」って膝から崩れ落ちたらしいですよ。
玉袋 いや、潮吹きしたら動けないですよ。下手すると失神しちゃいます。それで馬が合ったのは内山(信二)くんぐらいだな。「俺たちは潮吹いてますからね」なんて言ってね。こうなるとTENGAの快感は無限ですね。
松本 人が経験したことのない快感を提供し続けるのは、TENGAの大きなテーマの一つですからね。
自動車整備士から2年間ひきこもって「TENGA」製作へ
――玉袋さんは若いころ、アダルトグッズは使っていましたか?
玉袋 使ってたよ。若いときは既存のアダルトグッズに裏切られてきたからさ、いくら金を使ったか分からない。やっぱり興味があるから買っちゃうんだよ。でも当時のアダルトグッズは日陰者でさ、たとえば「しびれふぐ(註・昔あったオナホール)」に性生活を豊かにしようなんてヴィジョンはないもんね。昔さ、大人のおもちゃを作ってた社長と仲が良かったんだけど、表向きは全く違うダミー会社だったからね。TENGAは港区のど真ん中にドンとオフィスを構えて、何も後ろめたいことなんかなくて堂々としていて素晴らしいことですよ。
――ちなみにお二人は、これまで面識はあったんですか?
玉袋 ソフト・オン・デマンドさんの授賞式で司会をやらせてもらったときに、初めてお会いしましたよね。
松本 そうですね。
玉袋 申し訳ないですけど、そのときは、こんなに化けるとは思っていなかったし、こんなに理想の高い人だとは知らなかった。TENGAを始める前から、もの作りによって人の心を満たしたいみたいな気質はあったんですか?
松本 小さいころから、絵を描いているか、工作をしているかみたいな子どもでした。自分が作ったもので、人に喜ばれるのがうれしくて仕方がなかったです。仕事として目覚めたのはクラシックカー専門の整備士をやっていたころですね。一般的な自動車の整備って壊れたところを直しますけど、クラシックカーは輸入してきたものを一回バラバラにして、お客さんと話し合って、「こういう風に仕上げたい」という希望に寄り添って仕上げていくんです。お客さんの好みに合わせて仕上げるのは、ほぼゼロから作っているような感覚です。しかも、お客さんが喜んでくれるので、やりがいがありました。
玉袋 クラシックカーを一度バラして作り直すって困難だと思うんですよ。日本にはパーツもないし、手に入らないものは作るしかない。それをバッチリ合わせて、オーダーしてくれたお客さんを満足させるなんて生半可じゃないですよ。俺もディスカバリーチャンネルの『名車再生!クラシックカー・ディーラーズ』をずーっと観てるからさ、その良さは分かるんですよ。そのまま整備士を続けようと思わなかったんですか?
松本 仕事自体は楽しかったんですけど、働いていた会社が今でいうブラックで、半年ぐらいロクに給料をもらえず、いつもお金がない状態で、家賃も滞納していたんです。それで続けることができなくなりまして、転職して自動車のセールスをやりました。そしたら車を直す知識が豊富で、ちゃんと商品の説明ができるから、売り上げも良かったんですよ。だんだん給料も上がってきて、まとまったお金が入ったので借金もなくなり、生活が安定してきたら、もともとあった「ものを作りたい」という欲求がどんどん大きくなっていったんです。その時点で果たせていなかったゼロから作ったものを、世界中に出して喜ばれたいって気持ちが強くなったんですよね。
ただ、それが何かは決まっていなくて、いろんな製品を見て回っていました。その中で、たまたま入ったアダルトショップで見かけたアダルトグッズを見て、一般製品として、もっと良いものを作ろうと思ったんです。それで貯金が1000万円貯まったときに会社を辞めて、自主製作を始めました。
玉袋 創始者ってそういうものなんですかね。それを突き詰めていったら、オラチオ・パガーニ(註・イタリアに本拠地を置く自動車メーカー「パガーニ・アウトモビリ」の創始者)みたいになれるんでしょうね。社長の話を聞いていると、パガーニが降りてきましたよ。
松本 作りたいって欲求は理屈じゃないですから、言葉では説明できないんですよ。おそらく誰しもものを生みたい欲求は持っていると思うんですけど、その熱量が人より多かったのかなと。
玉袋 欲求があってもできないから、普通は「俺には無理だ」って挫折しますよ。そこで挫折せずにものを生み出すっていうのは相当大変なことです。
松本 何を作るか、いろいろ想像するのは楽しいんですよ。当時は車の部品、日用品など、あれこれ考えていました。
玉袋 たとえばサイクロン式掃除機を作ったダイソンのオヤジ(ジェームズ・ダイソン)なんてのは社長にとってライバルなんですか?
松本 ライバルとは違いますけど、尊敬しています。ダイソンには一つの信念がありますからね。その前から掃除機ってあった訳じゃないですか。
玉袋 すでに完成品で、これ以上の発明はないってものだったでしょうね。
松本 それまでの掃除機は、ほとんど同じ仕組みで普及していたでしょう。すでに普及していたものに対して、「これが俺の考えだ」って貫くところが素晴らしいと思うんです。自分を信じて、ちゃんと製品にして、こっちの掃除機がいいんだと。しかも他の掃除機より高かったでしょう。それでもダイソンの掃除機のほうがいいんだという信念を貫くところに共感します。
――自主製作時代に売る方法は考えていたんですか?
松本 作ることに必死で、マーケティングのことは考えていなかったです。作ったことのないものを作ろうとしているから、やってみるしかなかったんですよね。結果的に多くの人に知ってもらえて、使ってもらえるようになりましたけど、いろんなことを計算して自主製作していた訳ではないんです。とにかく一般のものとして性生活を豊かにする。信頼できて、オープンで楽しくて新しいプロダクトを作るという気持ち。性は人の根源欲求だから、一般のものとして新しいジャンルを必ず作れると信じていました。
玉袋 何をもって勝ちなのかって話で、勝ち目とかも分からないですもんね。
松本 「ジャンルごと新しい」って目標がある訳ですよ。アダルトショップに入った瞬間、アンダーグラウンドである理由に気付いたんです。会社名、問い合わせ先、品質、いろんなものが基準に達していないから、安心できる一般の製品に達していなかったんですよね。オナニーは卑猥なもので、アダルトグッズは隠れて使うものだよって考えを、製品を提供している側が持っていたんです。
――ユーザーも、その怪しさに惹かれるところもありますしね。
松本 そうですね。同人誌的な。確かに、そこの世界では成立しているんですけど、あくまでアンダーグラウンド。じゃあ、どうすれば一般のものにできるのか。そのヒントは街に溢れていたんです。いろんな製品を調査していくうちに、誰が作っているかがはっきりしていて、どのように作られて、何を目指しているのかが伝わってくるものじゃないと、一般プロダクトにはなっていかないってことに気付いて。でも、そのためにどうすればいいのか手法は分からないから、とにかくやってみる。違うなと思えば向きを変えて、合っているなと思えば深堀をして、34歳から36歳の2年間、一人で家に引きこもって自主製作を続けたんです。
玉袋 すげぇ。ただ社長みたいに確信を持って、人生をかけてやっている人は、世の中に幾らでもいると思うんですけど、箸にも棒にも引っかからないで沈んでいった人も山ほどいて。ふと思ったのは、「俺はこれが正しいんだ」って思いこんで、政界に立候補する泡沫候補みたいなのがいるじゃないですか。何か持論を言ってるけど、世の中には全然合ってねえよって。そうやって消えていく人が多いんだけど、社長みたいにバチっと時代に合うってのはすごいことですよ。芸術家が2年間引きこもって作ったものは作品として残るじゃないですか。でも社長の作ったものは世間に流通させないといけないんだから、高いハードルですよ。
松本 引きこもって作っていた時期は、今振り返っても大変でした。仕事で所得を得られると世の中の役に立っている実感がありますけど、僕の場合ひたすら作っているだけで何の評価もない訳ですからね。その時点でTENGAは生まれてないから、今進んでいる方向が正しいかどうかも分からないし、どこまで進んだのかも分からない。
玉袋 トンネルの中だ。しかも手掘り。
松本 仕事と休みの境もなかったですし、近所の人たちからは「あの人は何をやっているんだろう」と思われていたでしょうね。精神的に強くなりましたよ。
玉袋 そりゃ強くもなりますよ。
松本 時々、友人に「こういうのができたから使ってみない?」というやり取りはありましたけど、会社でもなく自主製作だから、全て自分で判断しなきゃいけない。1年半経っても、具体的に何も進んでいなかったときは、俺は世の中にいる意味がないんじゃないかって思いました。
玉袋 厳しいわな。何もない無人島生活と一緒だ。
松本 でも、あるときに途中でやめるから失敗って言われるけど、成功するまでやればいいやって気付いたんです。いわば開き直りなんですけど、そうなってからは強かったですね。それから1年半後にTENGAが生まれたんです。
玉袋 そこに気付くまでの暗黒時代ってのは大変だ。経度も緯度も分からなくて、GPSもついていない状況だからね。試行錯誤する中で、自分のものと、周りのものと感覚が違っている可能性もあるし(笑)。
松本 自分が標準かどうかは考えていなくて、自分自身で本当に良いと思えるものかどうかが重要でした。自分の男性器の感覚が平均的じゃなかったら、ものすごく偏ったものが出来上がっていた可能性もあります。それに気付いたのは、TENGAが生まれて何年か経ってからですけどね(笑)。
TENGAも紙おむつのような世界中に通用するプロダクトに
玉袋 社長の話を聞いて思い出したんですが、「明るい家族計画」(註・オカモト株式会社が過去に自動販売機で使用していたコンドームのキャッチコピー)ってあったじゃないですか。あれも同じようにコンドームのイメージを変えましたよね。それってTENGAの理念に通じるものがあるのかなと。
松本 避妊、性感染症の予防などセックスには必要不可欠なものなのに、当時はすごく恥ずかしいものとして扱われていましたよね。
玉袋 スネークマンショーにも、薬屋に行って、恥ずかしくてなかなかコンドームが買えないってネタがありましたからね。
松本 確かに、あのキャッチコピーでコンドームが買いやすくなって、エイズデーなんかでも配布されるようになりましたよね。TENGAの掲げる性生活を豊かにするというテーマは、男性のものだけではなく、男性も女性も、カップルも夫婦もと、幅広い層に向けています。TENGAは2005年に生まれて、2013年に女性向けブランド「iroha」がスタートして、2016年には「TENGAヘルスケア」を始めました。irohaの設立には、女性も後ろめたさを感じずに、性を心地よく楽しんでほしいという思いがありました。TENGAヘルスケアは、不妊を始め、性的な悩みを解決したいという思いから設立しました。そこは「明るい家族計画」というキャッチコピーに通じるところがあります。
――TENGAヘルスケアには、どんな製品があるんでしょうか?
松本 「メンズルーペ」というのはスマートフォン用精子観察キットで、採取した精子をスマートフォンで拡大して見ることができて、動画も撮れるんです。それによって、精子の量、密度、運動量などを、ウェブサイトで平均的な精子の状態と比較できるので、異常を感じたらお医者さんに行ってくださいと。
玉袋 精子の状態なんて専門の施設じゃないと見てもらえないからね。
松本 「精育支援サプリメント」は精子に良い成分を研究して作ったんですよ。サプリって効果が見えにくいから続かないじゃないですか。飲んでも、飲まなくてもそんなに変わらない。でも精育支援サプリメントを3か月ぐらい飲み続けて、メンズルーペで見ると精子が増えているんですよ。
玉袋 目に見えて分かるんだ。
松本 サプリメントは効果の可視化が難しかったんですけど、メンズルーペでそれが可能になりました。あと不妊治療の一環で、旦那さんの精子を自宅から病院に運ぶことがありますけど、研究結果によると保存には20度から23度ぐらいの温度がいいんです。「SEED POD」という精液運搬用保温器を使えば、温度が安定するので、精子の保存状態が良いまま運べます。現在すでに幾つかの病院で使ってもらっています。
玉袋 どの製品も常識をひっくり返すね。
松本 「メンズトレーニングカップ キープトレーニング」は早漏を改善するために開発しました。1から5まで段階があって、1は刺激が弱くて、どんどん刺激が強くなっていきます。ただ締め付けを強くするだけではなく、刺激の質も変えているんです。段階を追って慣らしていくことで耐性ができて、早漏が改善していくんです。これを作る上で臨床も取りましたし、日本だけじゃなく海外からのデータも集めて、それを反映して開発しました。
玉袋 もう俺たちが若いときに使っていた早漏防止のクリームはいらないんだね。女の子にバレないように耳の裏に塗って、やる前に男性器に塗るんだ。
松本 今や誰も知らないですよ(笑)。
玉袋 耳の裏じゃバレるってことで、事前にテーブルの裏に塗ったりしてね。いざ始める時に、大リーガーが変化球を投げるように使うんだ。
松本 その逆で遅漏改善のために「メンズトレーニングカップ フィニッシュトレーニング」も作りました。膣内射精障害といって、なかなか女性の膣では射精できない人がいますので、こちらは、キープトレーニングとは逆に強い刺激から弱い刺激の順に使っていきます。日本では、不妊の原因ってほとんどが女性にあるとされがちなんですけど、24%が男性で、24%が男女両方なんです。なので48%は男性に原因があるんですね。男性にも多くの原因があることを分かりやすく伝えるのもTENGAヘルスケアの使命です。
玉袋 メンズルーペなんて、学研の『科学と学習』を読んで育ったシーモンキー世代の俺たちからしたら見たくなっちゃうよ。TENGAの「世界中をハッピーにする」ってテーマを考えると、TENGAヘルスケアも世界中に広まってほしいね。
松本 僕が目指しているものの一つに紙おむつがあるんです。僕らが子どものころは布おむつだったじゃないですか。
玉袋 かぶれちゃって大変でした。
松本 一回水で洗い流してから、洗濯してって大変だったじゃないですか。紙おむつが出た当初は使い捨てで勿体ないなと思ったけど、使ってみたらものすごく便利だから、あっという間に普及しましたよね。
玉袋 紙おむつは最高です。俺も地方に行くときは紙おむつを持っていくんですよ。パンツを洗うのが面倒くさいし、地方のトイレはウォシュレットがないことも多いしね。紙おむつはそのまま捨てられるし、手軽に帰ってこられる。普通に若者も穿ける「OMU(おむ)」なんてのを作ってほしいぐらいで。
松本 TENGAも紙おむつのような世界中に通用するプロダクトを目指していますし、今年7月7日で発売から15周年を迎えたんですけど、基本に立ち返りながら、次に向かうにはどうすればいいのかを常に考えています。昔は髪も石鹸で洗っていたのが、シャンプーとリンスが出て、顔も石鹸で洗っていたのが、洗顔石鹸が出てと新しいものが出てくる、それがTENGAの目指すことなんです。あったらうれしいねっていうのを先に先に出していきたいんですよ。提案し続けるのは「ちょっと未来」。今回のコロナ禍のように世の中が一瞬で変わる経験ってなかなかありません。そういう変化に柔軟に対応しながら、これからも先手先手でサービスを提供し続けていきたいです。
玉袋 オリエンタルランドとTENGAはイコールにしたいぐらい。世界中の人を喜ばせたいという信念は同じですね。
TENGA
松本光一
静岡県出身。自動車整備の専門学校を卒業後、スーパーカーやクラシックカーの整備に携わる。その後、中古車販売会社に勤めるも、モノづくりへの思いが日々強まり、34歳でものづくりに専念する為に脱サラ。それまでに貯めた軍資金1000万円を元手に、自主制作を始める。
さまざまなアイデアの中から「これで、革命を起こすんだ」と選んだテーマはアダルトグッズ。独立し試作を開始してから3年。試行錯誤の末、軍資金も底をつき始めた2005年3月 有限会社TENGAを立ち上げる。同年7月7日、モノづくりの魂を込めた「TENGA」5種類を同時発売。発売から1年で、シリーズ累計出荷数は100万本を突破する大ヒットとなる。
【公式サイトはコチラ】
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1 階 )
<出演・連載>
TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
TOKYO MX/テレビ大阪「人生酒場 唄は夜につれママにつれ」
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CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
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KAMINOGE「プロレス変態座談会」