夏場は特に重宝される「氷」。身近なところでは、かき氷などの食用に加え、ドリンク類の冷却をさせるために使う場面があまりにも多いです。また、生鮮食品の鮮度維持による冷却や、人体の発熱時に氷まくらなどで冷却を行うこともあり、電気式の冷蔵が一般化された今日であっても「氷」は人々の生活に欠かすことができないものです。
ところでこの氷、現代までにどんな歴史があり、どのようにして浸透していったのかはあまり知られていません。
そこで今回は東京氷卸協同組合の広報委員長・伊藤敏郎さんにお話をお聞きし、氷の歴史、現代の意外なニーズなどを教えていただきながら、その秘密に迫っていきたいと思います。
日本での氷はアメリカから船便で入ってきたものが一般的だった!?
――日本で「氷」というものが一般化されるまでの経緯を教えてください。
伊藤敏郎さん(以下、伊藤) 例えば、奈良県に氷室神社という1300年以上前に創建された神社がありますが、ここでは寒冷地……沼、池、河川などで冬場に自然にできる氷を採取し、氷室で保管していたそうです。この氷を夏場、皇族など一部の高貴な人に献上していたそうですが、一般的には出回ることがなく、かなり特別なものだったようです。
また、江戸時代などでも金沢の加賀藩・前田家から江戸の将軍に氷が贈られたエピソードもありますが、いずれにしても氷は特別なものであり、一般的に使われるようなものではありませんでした。
伊藤 ところが、1853年にペリーが日本に来たことを契機に、日本は諸外国と様々な通商条約を結ぶことになります。アメリカから様々な商品を輸入することになるのですが、ここで「氷」という商材が出てきたわけですね。これが後の日本で氷が一般化されることになる契機となりました。
――つまり、アメリカ産の氷を日本が輸入することで、一般的に広まっていったということですか?
伊藤 そうです。アメリカ・ニューヨークのやや北側にボストンというレッドソックスの拠点でもある街があります。あの界隈にはアメリカの五大湖から流れてくる河川があり、そこで冬場に氷が多く採れたようです。「ボストン氷」と呼ばれていたもので、この氷を船便で半年以上かけて日本に届けていました。
かつてのアメリカからの輸入氷は、10キロで60万円!?
――それだけ時間をかけてアメリカから日本に届けると、溶けたりしないんでしょうか。
伊藤 もちろん溶けます。ボストンから日本に着くときには氷が10分の1くらいになっていたようです。ですから、当時の氷はかなり希少性のあるもので、例えば10キロもないほど氷の塊が20両……現代に換算すると60万円くらいしたそうです。
ただ、明治維新後、外国人居留地などが日本国内にできると、氷の需要が多く発生しました。主だったところは医療用です。「熱を冷ます」といったこともそうですし、当時はチフスや天然そうといった感染症も流行っていたので、そういった治療に役立たせるために氷が使われていたようです。
ここから、氷の需要・消費が増えていき、後には「食品を冷却保管する」媒体として使われるようにもなりました。もちろん、保管だけでなく輸送にも使われるように。
――それがやがて、家庭用の食品などの保存や飲料の冷却にも使われるようになったのでしょうか。
伊藤 そうです。その需要の高まりと消費がアップしたことで価格がどんどん下がっていきました。昭和25年頃には3.75キロで10円……現代で言う450円くらいになり、後の氷の一般化に繋がっていきました。
電気冷蔵庫登場以前、各家庭にあった「木の冷蔵庫」。これに氷を入れて食品を保管していた!
――昭和初期から25年くらいまでは、天然氷が主流だったのですか?
伊藤 いえ、明治期後半には機械式製氷が上回り、昭和になるとほとんどが機械式製氷に置き換わりました。
――家庭の食品保存にあたって、当初氷はどのように使われていたのでしょうか。
伊藤 電気冷蔵庫が一般化される以前、「木の冷蔵庫」というものが家庭によくあったそうです。この木の冷蔵庫の中に氷を入れて、食品も入れておくと、保存期間が伸びるとあって重宝されました。このため、かつての氷屋さんには1軒1軒の家庭を回って、その木の冷蔵庫の中に氷を納めるという商売をする業者もいました。
ただし、販売量としては昭和36年頃までがピークとなり、「家庭での食品冷却」という役割にとっては、電気冷蔵庫に置き換わっていくことになりました。
また、昭和40年代に入ると「自動製氷機」という喫茶店やレストランなどに置かれる小型の氷を作る機械が出回るようになり、いわゆる氷屋さんのニーズというのはだいぶ少なくなっりました。
その後、コンビニエンスストアが広まると、ロックアイスなどが店頭で普通に買えるようになり、相応のニーズもありました。ただし、これは氷屋さんの氷とは全く関係ない商品なので、以降の氷屋さんの氷のニーズはほとんどが業務店に対する卸売販売になっていきます。
――医療の現場では使われないのでしょうか。
伊藤 現代はほとんどないですね。ちなみに我々の組合でも東京だけでかつては1200業者ほどの組合員がいましたが、現在はその10分の1以下になっています。
バー、寿司店などでは欠かすことができない昔ながらの氷への絶大な支持
――現在、製氷店の卸先は業務店とのことですが、どういったところになりますか?
伊藤 バー、クラブ、お寿司屋さん、料理屋さんなどですね。
まず、バーですが、オーセンティックバーなどの伝統的なバーテンダーさんがいて、そこでは昔ながらの氷が必要な場合があるんです。日本のバーテンダーさんは世界トップレベルの実力を持つ方が多くいます。世界のカクテル・コンペティションなどで日本人のバーテンダーさんが優勝することが非常に多く、そういった方が求める氷の要件はすごく厳しい。こういった場で昔ながらの氷のニーズがあるわけです。
伊藤 また、お寿司屋さんなどだと、カウンターの前に寿司ネタが入っているケースがありますよね。現代では、あのケース自体が機械式冷却できるものが多い一方、こだわりのお寿司屋さんの中にはやはり機械式を嫌がり、昔ながらの氷を使い、その氷の上に寿司ネタを置いて保管する……といったところも結構あります。
日本の「温度管理」「食品管理」を支えた氷の役割は絶大!
――また、近年はかき氷も再評価されていますよね。専門店ができたり、お店によっては行列ができたり。
伊藤 そうですね。大半が機械製氷ですが、数は少ないものの天然氷を使うことを売りにしているお店もあります。関東圏で言うと、秩父や日光ですが、こういった場所には現在も天然氷が生産されていますので、その希少性もあって、より高いニーズを得ているように思います。
――つまり、特に飲食では、食にこだわればこだわるほど、食の追求が高まるほど、合わせて氷のニーズが再評価される場面も多いということですね。
伊藤 そうです。日本では寿司や卵を筆頭に、生でも食べられるものがたくさんありますよね。外国人の方から見ると「そんなもの、生で食べて大丈夫なの!?」と心配されることもあるようですが(笑)、それだけ日本という国は「温度管理」「食材の管理」を古くから徹底してきたんですね。その伝統の中で氷が果たしてきた役割は絶大であると考えています。こういった自負をもって、当組合ではこれから先の未来も、昔ながらの氷の持つ役割を大切に守り続け、ご提供していきたいと思っています。
冷蔵庫で作った氷で飲む酒と、ロックアイスなどで飲む酒はどうしてもこうも味が違うのか……。取材外で伊藤さんにこの質問したところ「水道水の塩素(カルキ)や空気などが入ることで美味しくなくなり、また溶けるスピードも早くなるのではないか」とのことでした。今回のお話から、さらに深い昔ながらの氷の世界、そしてそのうまさを味わってみたいと思う筆者でした。
東京氷卸協同組合「氷屋純氷」