〜玉袋筋太郎の万事往来
第18回 怪談社・上間月貴
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第18回目のゲストは、怪談を世に広めるために日本全国を回り、イベントや舞台に留まらず、出版や映像、テレビ出演など幅広い活動を展開する「怪談社」の語り手・上間月貴(かみま・つきたか)さん。いつの時代も人の心をとらえて離さない怪談の魅力に玉ちゃんが迫る!
【怪談社OFFICIAL】https://www.youtube.com/channel/UCiJyvYK-mQM2zcWdTsyZMaQ 【怪談社公式サイト】https://www.kwaidansya.com/
取材協力:勝興寺
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)
「首斬り朝」に所縁のあるお寺でイベント開催や番組収録
玉袋 俺も昔、怪奇番組のMCをやらせてもらったことがあるんですけど、まさかお寺のお堂で対談するとは思わなかったな。怪談社はどういう団体なんですか?
上間 怪談を集める団体で、私どもが扱っているのは、いわゆる「実話怪談」と呼ばれるものです。この世で誰かが実際に体験した本当にあった怖い話を取材しまして、それを怪談に落とし込んで皆様に披露します。基本的には語りなんですけど、そこから派生して書籍であったり映像であったり、いろいろなメディアで怪談をテーマに活動させていただいております。
玉袋 怪談と言ったら、芸能界で言えば稲川(淳二)さんは外せないというところがあるんじゃないですか?
上間 淳二さんはパイオニアです。もちろん怪談社も稲川さんのことを尊敬はしているんですが、あまり聞かないようにしています。
玉袋 これは面白いね。そこは追々聞くとして、怪談社に語り手さんは何人ぐらいいらっしゃるんですか?
上間 怪談社の語り手として前に出ているのは私と糸柳寿昭(しやな・としあき)という者の二人です。それ以外に伊計翼(いけい・たすく)という作家がいまして、他にも諸々イベントを手伝っていただく方など、いろんな人間がおります。
玉袋 実際に体験した怪談を、手記なりなんなり送ってきてもらって、それを取材しに行くんですか?
上間 そうですね。こちらであたりをつけて現地に取材に行くこともあれば、最近だとメールで送っていただいて、そこで概要を知って、これは興味があるな、面白そうだなというものがあればご連絡して会いに行ったり、電話だったり、Zoomだったり、そういったものを使って取材をします。メールで送っていただいたものを、そのまま使うということはあまりないですね。
玉袋 ちなみに、ここのお寺(勝興寺)は、どういう繋がりがあるんですか?
上間 もともと私どもは関西で活動しておりまして、東京に拠点を移すときに、怪談をするんだったら『四谷怪談』の四谷がよかろうということで、以前はこの近くに居を構えていたんです。それで当時、イベントをするなら会場は普通のホールなどよりも、古いお寺のほうがいいだろうと考えたんですが、伝手も何もない。なので、とりあえずお寺を見つけたら入って行って、「すいません。怪談させていただけませんか」とお願いしていたんです。
玉袋 営業みたいなもんだね。
上間 大抵は「は?」と言われるだけでしたけどね。それに、このあたりは空襲があったので、あんまり古いお寺が残っていなかったんです。こちらのお寺に来たときも、「うちは建て直して新しいから無理だよ」と言われたんですが、「困っているんだったら、ここに行きなさい」と親切に幾つかのお寺の住所を教えてくださったんです。ところが行ったんですけど全滅。それで、こちらに戻ってきて「住職全て駄目でした」と言ったら、また紹介してくれたんですが、やはり駄目でした。結局、「住職、ここを使わせてください」とお願いしたら了解してくれて、そこからご縁をいただいたんです。
――イベント以外でも使用することはあるんですか?
上間 現在3シーズン目を迎えている狩野英孝さんがメインMCの「怪談のシーハナ聞かせてよ。」(CSエンタメ~テレ)という番組に、私ども怪談社の語り手がレギュラーで出させていただいているんですけど、初期の収録現場としても使わせていただきました。いわば東京に出て来たときの大恩人といいますか、最もお世話になっているお寺です。
玉袋 ここのお寺で怪奇現象はないんですか?
上間 怪奇現象自体はないんですが、ここは由緒あるお寺で、7代目の山田朝右衛門吉利さんという方のお墓があるんですね。「首斬り朝」と呼ばれていたんですが、どういう方かと言うと江戸時代の処刑人です。その方が亡くなったときに、家具などの遺品を周りの人たちに分け与えたそうなんです。このお寺を出ると坂になっているんですけど、タンスをもらった人が、それをリヤカーに乗せて坂を上がって行こうとしたら、途中でピタリと動かなくなる。困ってお寺に駆け込んで、「一旦、このお寺に持っていきましょう」と話したら、動かなかったはずのリヤカーが動いたんです。それで、「そのタンスはいらないです。引き取ってください」ということで、本堂の裏に置いて、そこにお経をしまっていたという曰くがあります。残念ながら、それは東京大空襲で燃えてしまったということです。あと、この近くには「四谷怪談」のお岩さんのお稲荷さんもあります。
玉袋 お参りしたことがありますよ。
上間 そういう意味では、なかなかのパワースポットといいますか、ディープな場所ですよね。
玉袋 俺の師匠が四谷に住んでたときに、「マンションにおばけが出る」って言って、『オレたちひょうきん族』を休んだという有名なマンションもあるからね。昔のサンミュージックの裏だよ。俺は17歳のとき、師匠のおっかけをやっていたんだけど、師匠が「羅生門」(※当時、ビートたけしが行きつけだった四谷三丁目の焼肉店)でメシを食い終わって、マンションに帰るところを、友達と一緒に後ろから付いて行くわけ。そのときに師匠が「ここ出るぞ」って言ってたお店があったんだよ。ちょうどカメラを持ってたからシャッターを切ったら、心霊写真みたいなのが撮れちゃったってことがあったね。「気持ち悪ぃ、燃やしちゃえ」って処分した気がするよ。
大学時代に読んだ民俗学の本が怪談に興味を持ったきっかけ
玉袋 これから夏でかきいれ時だと思うんですけど、冬はどうなんですか?
上間 それが冬も需要はあるんです。好きな方は一年中、怪談を聞きますからね。私どもが怪談社を始めた当初、怪談イベントはどこでもたくさんやっているというような状況ではなかったんです。今は全国各地で開かれていますし、YouTubeなどで簡単に配信することができるようになって、怪談をする人が爆発的に増えました。
玉袋 原田龍二さんまで怪談のYouTubeをやってるからね。
上間 これまでだったらやらなかったよねという方も、ちょっとやってみようかということでハードルがぐっと下がりました。
玉袋 その分、競争相手も増えちゃったってことですよね。
上間 そういう側面もありますが、怪談というシマが広くなっているので、今まで知らなかったお客さんも入ってくるんです。だからパイ自体もデカくなっていて、それはそれでありがたいですね。
玉袋 なるほど。そもそも上間さんと怪談との出会いっていうのは?
上間 怖い話は小さいころから好きでした。幼少期は「ゲゲゲの鬼太郎」の第3期のアニメを観て夢中になっていましたし、オカルトブームでもあったので、ワイドショーで毎日のように心霊写真が紹介されていました。
玉袋 夏休みになると「あなたの知らない世界」が放映されて、新倉イワオなんかが出てたよね。
上間 その時代を過ごしてきたので、そういうのが好きという素地があったんですが、大学時代に心理学を学んでいたんすけど、あまり興味がなくてですね。興味がないということを大体2年ぐらいかけて学んだんですね(笑)。あとの2年をどうしようかと考えたときに、心理学と文化人類学のある大学だったので、図書館に民俗学系の本が数多あったんですよ。そのあたりの本を残りの2年間で片っ端から読んでいく中で怪談と出会い、不思議なものって面白いなと。それで怪談話というのもありだなと思って、大学内で片っ端から声をかけて、怖い話がないか聞いて行ったんです。
――そんなに、みんな怖い経験ってあるものなんですか?
上間 これが集まるんですよ。これは面白いぞということで集めていくうちに、怪談イベントをやってみたら、これがまたウケたんですよ。というところから徐々に始まっていき、最初は一人でやっていたんですけど、同じく関西で、一人で活動していた糸柳とたまたま知り合いまして、「一緒にやりましょう」と。どうせなら分かりやすい名前がいいということで怪談社という名前で団体を立ち上げました。それが今から15年前、2007年のことですね。
玉袋 民俗学って話が出たけど、柳田國男なんて面白いもんね。俺も最近読み出したんだけど、怪談的な話も多くて面白いんだよな。
上間 そうですね。書かれた時代が明治なので、今のものにそのまま当てはまるかどうかはさておきですが、たとえば『遠野物語』なんて、言ってしまえば怪談本なんですよね。あんなのを読んでしまうと、たまらなく興奮します。
玉袋 土着的な話だとか、そういったものは土地ごとにあるから面白いんだよな。
上間 大学時代、『遠野物語』を片手に青春18きっぷで遠野まで行って、現地でその話を読むということをやっていました。
玉袋 素晴らしい! いい趣味だね。俺は今それをやりたくてしょうがないんだ。そういうものがローディングされているから、上っ面の怪談とは違うんじゃないですかね。言ってしまえば怪談って誰でもやろうと思えばできるじゃん。
上間 そうなんです。怪談師というのは落語家と違って、落語協会みたいな団体があって誰かが取り仕切っているわけでもありませんし、誰かのお弟子さんになって段階を踏んで真打に上がるみたいなこともありません。今から「僕は怪談師なんだ」と言えば、怪談師になれてしまうんです。発表の場も今はYouTubeがあったりするので、参入ハードルがものすごく低い。それは裾野が広がりますし良いこともあるんですけど、玉石混交の状態にもなりますね。
駆け出しのころは田舎で知らない家を訪問して怪談を探した
玉袋 実話怪談の主流って、やっぱり今の生活を中心とした話が多いんですか?
上間 現代の話がメインになってきますね。現代といっても広い。昭和でも何十年も前になりますから。聞いた人が共感できる、そんなことがあったんだと納得できることが重要だと思います。日常の中で起きる不思議なこと。それは別に怖い話じゃなくてもいいんです。
玉袋 たとえばサイコキラーがいたとか、そういう話でもいいんですか?
上間 そこは人によって分かれるんですけど、怪談社は人の起こした異常な行動も怪談として取り入れています。一応、人怖もアリだというふうにさせていただいております。
玉袋 いや、人怖は怖いよ。
上間 圧倒的に幽霊より人のほうが怖いです。たとえばストーカーの話とかは、怪談じゃないだろうとされる方も、もちろんいます。人それぞれのカテゴライズなので、そこはあまり重要ではないと思うんですね。私どもは聞いて怖くなる、聞いて心が動くというところを重視しております。
玉袋 やっぱり人はそういったものに興味が湧くし、ぐっと吸い込まれるよね。
上間 実話怪談の良いところは日常と地続きなんです。たとえば『スターウォーズ』を観て、面白かったけど、だからといって宇宙には行けない。素晴らしいけど作り物なんです。だけど実話怪談は、お風呂に入ってとか、夜中にふと目が覚めたらとか、誰でも起きることから始まるところが魅力の一つなんだと思います。
玉袋 嫌だ嫌だ。そうなると日常だもんね。生活習慣の中に転がっているというかさ。絶対に夜は来るわけだしね。まあ都心は明るいけど。
上間 もしかしたら今日の夜、自分が体験するかもしれないと思えるところが大きいんです。ただ実話と言っても、これがまた難しいところで、体験者さんから取材した話をそっくりそのまま喋るわけではない。ここはいらないなとか、ここはちょっと難しいから設定を分かりやすく変えたほうがいいだろうとか。基本的に怪異や起きたこと、不思議なことに手は加えずに語りに落とし込んでいく。取材したことは間違いないし、その体験者を連れてくることもできますよというところで、覚悟を持ってお話させていただいております。
――メールをしてくる方は怪談社さんを知っている方が大半だと思いますが、知らない方もいらっしゃるんですか?
上間 中には名前が書いていなくて、不思議な体験をした、こんなことがありましたと書いてあるのに、最後に「誰にも言わないでください」と。
玉袋 だったら送ってくるなよという話だね(笑)。
上間 そういう方は、どこにこの体験を投げていいのか分からない、不思議なことが起きたけど、人に話しても信じてもらえないんでしょうね。でも誰かに聞いてもらいたい。そんなときに怪談社というのがあるぞと。怪談を募集しているから、たぶん信じてくれるだろうということで、おそらく救いを求めて送ってこられるんでしょうね。
玉袋 駆け込み寺だね。ネタの数はどれぐらいあるんですかね?
上間 何百とありますが、それの何倍もの取材をしています。
玉袋 それは大変だ!
上間 話を聞けても、それが舞台にかけられるかどうかはまた別の話なので、空振りすることもあります。今でこそ、ある程度は名前を知っていただいて、毎日のようにメールを送っていただけるようになりましたが、そうじゃない駆け出しのころは、足で稼ぐしかないわけですね。田舎に行って、知らない家のインターホンを鳴らして、「何かしらの営業かしら?」と思って出てきた人に、「すいません、今怖い話を集めてるんですけど」と言うんだから、完全に怪しいんですよ。
玉袋 向こうからしたら、それが怪談だよね(笑)。
上間 これじゃ駄目なんだと徐々にやり方を覚えていって、たとえば「今このあたりの歴史を調べていました」と、いろんな文句を言って、徐々に怪談に寄せていくんです。でも、足で稼ぐ場合は、まあ空振りますね。それに地方よりも東京のほうが分母が多いから、怪談も集まりやすいんです。ところが、語り手の糸柳は今でも全国各地を回って数多の怪談を取材してくるので、身内ながらすごいと思いますよ。私は一時期は上野公園に行って、そこのベンチで休んでいる暇な人たちに話しかけていました。
玉袋 地道な作業だ。
上間 バスガイドさんが休憩していたらしめたものですね。
玉袋 バスガイドさんは良いネタを持ってそうだな。
上間 すごく勘が働くときがあって、この人持ってるなと思って声をかけると、実際に面白い話が聞けたりするんです。おそらく上野公園のベンチに玉袋さんがいたら、僕は話しかけますね(笑)。
怪談はエンターテインメントと倫理感とのせめぎ合い
――これから実話怪談をやってみたいという方に注意点はありますか?
上間 取材して、それを怪談に落とし込んで語るというのが実話怪談師の作業なんですが、やっぱり怖い話を聞けるとうれしいんですよ。「めちゃくちゃいい話を聞いた。これを聞かせたら、みんなチビりよるぞ。早く喋りたい」ってなるわけですね。でも、それを喋るともううれしさが出ているんですね。お笑い芸人さんで言うと、オチの前に笑っている状態なんです。
玉袋 それはダメだな。
上間 たとえば、そのオチが「その人が死んだんですよ」だったとして、話が面白いから、すっかり人が死んでいることを忘れている人がいるんです。そうやって不謹慎な話を楽しそうに喋ってしまう怪談師を見ると、実話なんだから、そこは忘れちゃいけないぞと思いますね。死んだ人の家族はご存命なのに、その家族の前でも語れるのかと。そういう倫理感を心のどこかに持っていないと、人として踏み外していきますよね。とはいえ、あくまで怪談はエンターテインメントなので、倫理感とのせめぎ合いですね。
玉袋 倫理感は絶対必要だよね。踏みにじることは簡単だけどさ、知らないで踏みにじる奴は馬鹿だからさ。
上間 一方で倫理感が行き過ぎた人もいるんですよ。倫理感が行き過ぎた人がどうなるかっていうと、「私は亡くなった人の代弁をしています」みたいな。もう宗教みたいになっているんです。
玉袋 それはダメだ。霊感商法みたいな話になっちゃうな。
上間 そもそも怪談はゲスいものです。人が亡くなったことをエンターテインメントとして楽しむんだから、「自分はゲスいことをさせていただいているんです」と申し訳ない気持ちでいないと良くないだろうなと。そういう倫理感を持ちながら、文化としての怪談を支えていかないといけないんですよね。そのためには、今で言うとYouTuberになりたいみたいな感じで、怪談師になりたいと思ってもらえる存在にならないといけないなと思うんです。それは面白さであったり、ビジュアル的なかっこよさであったり、ちゃんと意義みたいなところも持ちつつ、倫理感でブレーキをかけつつ、かつエンターテインメントとして怖い。そのバランスを保つのが、私どもが目指している怪談ですね。
――芸人さんや落語家さんは師匠や、影響を受けた先輩がいて、それをお手本にして独自の笑いを作っていくと思うんですが、怪談師はどうなんですか?
上間 そこが、まさに怪談社が稲川さんの話を聞かない一つの理由になると思うんですが、私たちは稲川さんに憧れた世代です。ところが、稲川さんの話を聞きまくって育った人たちは、稲川節が出るんです。語りの中に稲川節が出て、それが聞いていて分かるんですよ。
玉袋 稲川節は稲川さんだけのものだからね。
上間 「驚いてウーッ! となってね」みたいな話し方をすると、「あ、今稲川節出たな」と。かくいう私も最初はそうでした。それで糸柳に、「稲川さんっぽくなっているから、それは良くないぞ。もう稲川さんの怪談は聞かないで、自分のカラーを探せ」と言われて、それから聞かなくなりました。そういうパイオニアの人がいて、引っ張られていくということはありますけども、まだ徒弟制度みたいな段階ではないですし、誰かの築いたものを受け継いでみたいなのはないですね。
玉袋 お稽古はするんですか?
上間 毎日しますね。ただ怪談って一般の素人さんが、たまたま一話だけ喋った話が、めちゃくちゃ怖いときがあるんです。時系列も無茶苦茶なんだけど、その訥々とした話し方が「本当だ」という説得力があって怖くなるんです。だけど、その朴訥とした喋りを2時間も聞けるかと言うと、聞けないと思うんです。だから私たちは常に芸を磨いていかなければいけないんです。
玉袋 まさしくプロフェッショナルだね。怪談って絶対になくならないものだろうし、時代の変化にも対応して、もっともっと人々を怖がらせてほしいね。
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階 )
<出演・連載>
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