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2022/8/20 11:15

「きれいで、品格のある」手作りの理想の靴を目指す「一足入魂」の想いとは【師弟百景 第2回】

師弟百景
第2回 靴職人/師=川口昭司 弟子=髙橋祐亮

 

コロナ禍によりリモートワークが推奨されている昨今。そんな世の流れと対極にあるのが、職人仕事であり、その師弟関係です。「好きなことを極める」「就職せずに生きるには」といった要素に魅力を感じて職人を志向する若いひとが増えてきている現在、「師弟関係」というものもまた、「親方の背中を見て覚えろ」から「理論も教える。科学的に仕事を学べ」の形へと、時代に即して多様に変化してきています。

 

本企画では、血縁以外にも門戸を広げている職人仕事の師匠と弟子のそんな“リアル”な関係を、ノンフィクションライターの井上理津子氏が取材し描き出していきます。2回目は、年齢がほとんど変わらないながらも、強い師弟の絆を持つ靴職人を取り上げます。

(執筆:井上理津子/撮影:川本聖哉)

 

 

 

「ビスポーク」作り手の特色ありき

ビスポークの靴作り工房「Marquess(マーキス)」は、銀座1丁目のビルの8階にある。白壁に囲まれた28平米。マホガニーのアンティークな棚に美しいフォルムの紳士靴が並ぶ。床には仮縫いの靴が整列し、革が丸まってもいる。中央にラグが敷かれ、クラシカルな椅子が数脚。

 

「この空間で、まず依頼者と一時間から一時間半ほどお話しさせていただくんです」

 

店主で作り手の川口昭司さん(42)の口調はあたたかい。ビスポークの語源は、英語の「bespoke」。依頼者と、文字どおり話をし、使用目的やファッションの全体的な指向などをヒアリングし、最適な素材やデザインを提案し、商品を作ることを指す。いわゆる「フルオーダー」と異なるのは、作り手の特色ありきなこと。作り手のテイストを気に入った人のみを対象とするのである。では、川口さんの作る靴のテイストは?

 

「1930年代の英国靴です」

 

屋号「マーキス」は、英国の爵位名。一足38万円。オーダーから完成まで1年半。オーダーから仮縫いまで8か月、その8か月後に完成。調べた限り、国内では他に例を見ない。

 

「たとえば一足100万円とすることもできるでしょうが、僕はしません。職人だから」

 

川口さんは、実用の靴作りを重ねることにより「勉強させてもらっている」と言う。9階の作業場に入らせていただいた。窓から明るい日差しが差し込む中、机と椅子が4組ほど。壁面に、おびただしいの靴の木型がぶら下がっていて、壮観だ。

 

−−実際に使った木型ですか?

 

「そうですそうです。依頼してくださった方の木型は累計400足を超えていますが、足の形はお一人ずつ全く違いますからね」

 

ここでの靴作りの流れは、先にも聞いたように客とたっぷり話し、足の長さや幅、甲の高さ、土踏まずの形をはじめ、足のありとあらゆる部分を様々な角度から採寸。鉛筆でスケッチブックに足型を採ることから始まる。採寸情報を元に作った木型に紙を貼って、その紙をもとにアッパー(上=甲革)部分の型紙を作る。その型紙どおりに革を裁断。穴飾りやステッチを施す。木型に革を添わせ、底部分は手縫いし、アッパー部分は専門のミシンも使って縫製するという。一口に底部分、アッパー部分と言っても、目に見えない箇所も多々あり、とんでもない手間がかかっていると想像にかたくない。すべて手作りなのである。

 

イギリスの公立職業訓練校を出て、名職人に弟子入り

 

川口さんは福岡出身。地元の大学の英文科を2002年に卒業後、イギリスへの語学留学を希望していたが、恩師に「ただ英語を話せるだけじゃなくて、何か専門的なことを身につける方がいい」とアドバイスされた。靴作りの公立職業訓練校を選んだのは、元よりファッション全般に興味があったからだそう。ロンドンの北方、老舗紳士靴メーカーが集積するノーザンプトンのその職業訓練校では、機械を使った大量生産の靴作りを教えられ、「1年通って基礎を学べました」。同期10数人のうち約半数が日本人で、後に妻となる由利子さんと出会ったのもこの訓練校だ。

 

――手作り、のきっかけは?

 

「ある日、ノーザンプトンのミュージアムに展示されていた1930年代の紳士靴を見て、衝撃を受けたんです。レザーの表情、デザインのバランス……。こんなにきれいで、品格のある靴が世の中に存在するんだと。それで、僕もこれを目指して作りたいと思うようになって」

 

「弟子入りさせてください」と手紙を書いて頼み込み、さらに北方のニューカッスルという町で名門ブランド「ジョン・ロブ」の靴を作る、ビスポークの名職人ポール・ウィルソン氏に、由利子さん共々弟子入りした。

 

――修業は厳しかったですか?

 

「最初のうちは何も教えてもらえず、『後ろから見ておけ』と言われるばかりでした。あと、ナイフを研いだり。徐々に質問させてもらうようになっていった。そんな下積みからでしたが、少しずつ少しずつ」

 

革のどの部分を使うか。木型にヤスリをかけ、ミリ単位でどう調整するか……。ウィルソン氏の判断、技に目から鱗を落とし、研究する日々。靴底を作る役目の人を「シューメーカー」、ミシンでアッパーを縫う人は「クローザー」と言い、分業になっている中、主に川口さんは前者を、由利子さんは後者を専門に、全工程の緻密な作業をものにしていった。依頼者との会話、採寸の現場にも立ち合わせてもらう。

 

3年半経ち、ウィルソン氏の元を巣立ち、ロンドンでフリーランスに。複数の靴メーカーから請け負って、腕をふるうこと1年半。2008年に帰国した。その後も、イギリスのメーカーなどから仕事の依頼が続き、福岡の実家に木型が送られてきた。日本までの往復郵送料を払ってでも、川口さんに依頼したいと一流メーカーが判断するほどの存在になっていたのである。

 

「一足入魂」の熱い思い

 

満を持して東京へ移り、工房を構えたのは2011年。最初の依頼者は友人だったが、口コミが口コミを呼び、依頼者が途切れなくなるまで時間はかからなかった。ちょうどそのころだ。靴の専門雑誌「LAST」に載っていた川口さん製作の紳士靴の写真を見て、高橋祐亮さん(41)が身震いしたのは。(※高は、はしごだか)

 

「レザーの表情、デザインのバランス……。きれいで、品格のある、手作りの理想の靴だと心打たれたんです」

 

なんと、川口さんがノーザンプトンのミュージアムで1930年代の紳士靴を見たときの驚きと瓜二つの言葉を、図らずも高橋さんが口にした。

 

当時の高橋さんは、西小山(品川区)で「ABILITA(イタリア語で「能力」の意)という屋号を掲げ、靴と鞄の修理と、国内メーカーの靴作りを下請けていた。23歳で靴と鞄の修理店に就職し、やがて独立。「鞄は平面だけど、靴は立体。いったいどのような技術で?」と興味が湧き、靴にのめり込む。材料会社が都内に開設した「靴の学校」に学んだ後、北浅草地域(台東区)の靴製造所の作業場で靴づくりに従事しつつ、他の多数の製造所にその技術を見せてもらいに回るなど、がむしゃらに独学。腕を上げ、機械を使う方法でメーカーから、紳士靴の「メーキング(靴底製作)」を受注していたのだ。

 

雑誌の写真で見た感動が忘れられず、「この人に指導を仰ぎたいーー」。高橋さんはさっそく川口さんに連絡を試みるが、門前払いを食らう。「別に人を欲しいタイミングじゃなかったので」と川口さんが述懐する。

 

ところが髙橋さんは強運だった。

 

約1年後、川口さんが婦人靴部門の立ち上げ企画にともない、イギリスの職業訓練校時代の仲間に「誰か手伝ってくれる優秀な人いない?」と紹介を仰いだ。広いようで狭い世界だ。その人が高橋さんを推薦し、川口さんが高橋さんの仕事場に会いに来た。「うわっ。あの人だ」。高橋さんは舞い上がったが、「婦人靴」と聞いて即座に「無理です」と断った。

 

「でも、川口さんがビスポーク靴について熱く語られたんです。そのとき、僕の頭の中には『一足入魂』の4文字が浮かんできて、この人の門下に入り、手縫いのメーキングを一から勉強し直したいと、僕も熱くなりました」

 

川口さん、髙橋さんの申し出を受け入れる。髙橋さんは本業の合間を縫って、週1日のペースで、当時文京区内にあった「マーキス」に通いだした。12年前のことだ。

 

「師匠のようになりたい一心」

 

「朝9時に『マーキス』に来ると、当初、師匠は『おはよう』と言ったきり、一日中、一言も発さずに黙々と仕事……だったんですよ(高橋さん)

 

「僕は僕で大変だったとき。今思えば尖っていたかもしれないですね」(川口さん)

 

川口さんの作業に目を凝らすのみの日々がしばらく続いた。ナイフの持ち方から加工の仕方まで、高橋さんがそれまでに習い、実践してきたやり方とことごとく違った。縫い糸一つとっても、市販のものをそのまま使わず、手作りする。タールと蜜蝋を火にかけ煮詰めてロウを作り、8本の麻糸をねじり合わせて、そこに練り込むのだ。そうした下準備を学ぶ期間を経て、仮縫いの靴に「触らせてもらう」まで3年弱。本縫いの靴に手を初めるのは、通い始めて4年が経っていたという。

 

「一番の驚きは、感覚で作業をするのではなく、元から数値を組み立てたような積み重ねの作業だったこと。師匠のようになりたい一心でした」と高橋さん。

 

「吊り込み」という、アッパー(甲革)を底に取り込む作業を見せてもらった。

 

高橋さんは椅子に座り、揃えた膝の上に、木型を逆さまに。「中敷」の付いた底を上にした作業だ。木型にアッパーをかぶせ、沿わせる。アッパーの端の部分をピンサーペンチで引っ張り、90度に曲げて木型の底部分に沿わせ、次から次に釘を打つ。

 

「こうやって皺を潰していきながら、ですね」

 

工具で、曲げ皺ができている部分をトントントントンと叩く。滑らかになっていく。

 

引っ張るのも叩くのも、強すぎても弱すぎてもダメ。その力加減もまた、経験からの会得だ。目力、集中力、瞬発力……。そんな言葉が、傍らで見ていると刺さった。片足に約一時間かけ、吊り込みが完成すると、木型に吊り込んだ革が馴染む頃合いまで据え置かれた後、釘を外し、中敷に針と糸ですくい縫いをする。その際も、ひと針進むたびに糸を引っ張る。状態を整えていくためだという。

 

「マーキス」が文京区から銀座に移転した2017年に、文京区の作業所を高橋さんが引き継ぎ、以来、高橋さんはマーキスの「メーキング」の一部を担っている。もはや川口さんにとって信頼のおける助勢者。

 

「靴の完成後、高橋くんと二人で検証会をすることが増えました。靴を遠目に見て、感想を言い合います」と川口さん。「もっとも、私もお客さまが100%満足いくものを作れているわけではないので、これからもずっと勉強です」とも。謙虚なその言葉を、高橋さんが神妙な顔つきで聞く姿も印象に残った。

 

<師弟プロフィール>

●川口昭司/かわぐち・しょうじ(右)/1980年、福岡県生まれ。22歳で渡英し、靴の職業訓練校に学ぶ。卒業後は、ビスポークシューメーカーのポール・ウィルソン氏に師事。独立してビスポーグ靴製作に携わったのち、2008年に帰国。11年に自らのブランド「Marquess」を立ち上げる。現在、銀座にサロン兼アトリエがある。

●高橋祐亮/たかはし・ゆうすけ(左)/1981年、神奈川県生まれ。23歳で、靴と鞄の修理店に就職。靴の学校、国内製造メーカーの靴作りを経て、自らの店舗「ABILITA」を運営。29歳で川口さんと出会い、弟子入りする。現在、「ABILITA」は文京区水道にある。

 

<一問一答>

――趣味は?

川口「家具屋さん巡り」

高橋「バイク。ハーレーダビッドソンに乗っています」

 

――好きな言葉は?

川口「情熱」

高橋「あきらめない」

 

――至近の休日、何をした?

川口「小1の子どもと東京ドームシティへ。コーヒーカップに乗った」

高橋「仕事をしていた」

 

―好きな食べ物と酒量は?

川口「唐揚げ。ビール1缶程度」

高橋「天ぷら。ビール1缶程度」

 

【執筆者プロフィール】

井上理津子(いのうえ・りつこ)

ノンフィクションライター。奈良市生まれ。タウン誌勤務を経て、フリーに。町と人、また両者が織りなす文化を主たるテーマとし、『絶滅危惧個人商店』『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』『いまどきの納骨堂』など著書多数。

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