〜玉袋筋太郎の万事往来
第21回 イワサキ・ビーアイ
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第21回目のゲストは、食品サンプルのパイオニアであり、業界ナンバー1のシェアを誇る「イワサキ・ビーアイ」からビーアイファクトリー横浜の工場長・宮澤宏明さんと、広報の黒川友太さん。長年培ってきた技術力と、どんな注文にも応じる柔軟性で、個人店からチェーン店まで幅広いニーズに対応する同社。対談前に工場見学をして、至近距離で製作過程を目にした玉ちゃんが、興奮状態で食品サンプルの魅力に迫る!
公式サイト:https://www.iwasaki-bei.co.jp/
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)
海外では食品サンプルがアートとして捉えられてしまう
玉袋 事前の工場見学で、本物を上回る食品サンプルを作る職人気質を目の当たりにして、あまりの完成度の高さに驚いちゃいましたよ。いわばサンプルのサンプルを見せてもらった訳だから貴重な体験ができました。工場長は入社して何年目なんですか?
宮澤 私は26年目です。
玉袋 技術職ですけど、どういう経緯でイワサキ・ビーアイさんに入社したんですか?
宮澤 私は高卒でここに入ったので、美術系の学校に通ったとか、他の場所で修業したとかではありません。ただ昔から絵を描くのが好きで、小さいころの夢は画家だったんですけど、それで食べていくのは難しいだろうなと我に返って(笑)。それでイワサキ・ビーアイに入社したんです。
黒川 入社前から、自分の色を作っちゃった人は向いてないんですよ。芸術的な才能ではなく、お客様のニーズに応えて忠実に再現するのが重要ですからね。
玉袋 それが結果的に、とんでもない再現度で、芸術の域に達しているんだからすごいことだよ。イワサキ・ビーアイさんは、いつごろの創業なんですか?
黒川 昭和7年(1932年)なので、今年で90年目です。
玉袋 それ以前から食品サンプルってあったんですか?
黒川 以前、文献を調べたところによると、大正6年に人体模型などを応用した食品サンプルを作って、かつて日本橋にあった白木屋デパートさんのお好み食堂で飾ったそうなんです。ちょうど洋食が流行りだした時期ですが、まだ一般には普及していない時代。そこで本物に近い食品サンプルを見たうえで、食券を買っていただくことで、大量の人がさばけたという記録が残っています。それを機に、他の飲食店でも食品サンプルが使われ始めて、飲食店にはなくてはならないものになったそうです。
玉袋 創業者の岩崎瀧三さんは、どうして食品サンプルに目を付けたんですか?
黒川 昭和初期に食品サンプルを見て、「これなら俺もできる!」と思ったらしいんです。それまで食品サンプルは「食品模型」や「料理模型」と呼ばれていて、本格的な事業化はされていなかったんです。そこで㈱岩崎の創業者・岩崎瀧三は独自に試行錯誤を重ねて、製造方法を編み出したんです。それで大阪に岩崎製作所という会社を立ち上げて、昭和7(1932)年にそごう(十合)百貨店に初めて食品模型が採用されたそうなんですけど、もともと蝋の知識はあったみたいです。というのも、小さいころから蝋を水に浮かべて、花のように咲かせて遊んでいたと言われております。
玉袋 岩崎瀧三さんを映画化する時は、蝋で遊んでいるシーンから始まるね。それが、こんな大きな会社になるんだからドラマティックだよ。
黒川 昭和27(1952)年に東京に出てきて、イワサキ・ビーアイの前身である岩崎制作所東京支店を開業したんです。平成元(1989)年にCIを導入し今のイワサキ・ビーアイに商標変更をして今に至ります。
玉袋 日本に食品サンプルの会社って何社ぐらいあるんですか?
黒川 それが分からないんですよね。いわゆる食品サンプル業界ってもの自体がないんです。オーブン1個と、腕さえあれば、父ちゃん母ちゃん兄ちゃんで家族経営できるので、正確な数は分からないですし、大手企業さんが参入してこない、ニッチな産業です。
――あまり横の繋がりってないんですか?
黒川 やっぱり、その会社独自のノウハウがありますので、企業秘密の漏洩を防ぐためにも、ほとんど他社さんとの接点はないです。
玉袋 工場見学をさせていただいている時に、工場長に話したんですけど、以前番組のロケで、レタスの食品サンプルを作ったことがあって、あれは蝋でした。いつごろから、合成樹脂に変わっていったんですか?
宮澤 少なくとも僕が入社したころには、合成樹脂に切り替わっていました。なぜテレビなどの取材で、レタスを製作体験するかというと、蝋で作るのは簡単ですし、分かりやすく見せられるからで、実際には使っていないんです。
黒川 社史によると、昭和33(1958)年には、本格的な合成樹脂による成型の研究を始めていたそうです。
玉袋 「街中華で飲ろうぜ」のロケに行くと、必ずと言っていいほど店の前に食品サンプルがあるんだけど、どこも焼けちゃってる訳よ。それが「味」なんだけどさ、「いい焼け方してるね」って言ってね。ラーメンの丼からラーメンが浮いちゃってる食品サンプルもあるけど、ああいうのは蝋だよね。
宮澤 もちろん合成樹脂も経年劣化はしますし、直射日光に当たると色もとびますけど、蝋のように溶けるってことはないですね。
玉袋 幾つか食品サンプルを持ってきてもらったけど、生春巻きなんて皮の部分の透明度が凄まじいよ。この卵なんて、箸やスプーンが宙に浮いている食品サンプルみたいに、生卵を割った状態までリアルに再現しているんだから驚いちゃうよ。白身部分なんて、とんでもない再現度だよ。白身なんて型を取れないだろうしね。こういう注文もあるんですか?
宮澤 それに近いもので、卵かけご飯を上手く再現してほしいという注文はありました。
玉袋 たとえば串に刺さった魚の塩焼きなんてどうやって作るの?
宮澤 まず魚の型を取って、型に入れた合成樹脂を固めて。それをオープンに入れて熱を加え柔らかくして、串を刺して曲げるんです。
玉袋 面白いね~。活き造りなんてどうなんですか?
宮澤 頭と骨の部分、お刺身の部分を別々に型に入れて、それを組み合わせるんです。どんな食品でも、型に入れられれば作れます。あとは色の乗せ方で、いかに本物に似せるかが職人の技術です。
玉袋 本物より本物だよ。この生ビールの泡立ちなんて、生ビールマイスターが注いだものと変わらないよ。ジョッキの外に水滴までついてるから、おしぼりを敷きたくなっちゃうよ。海外からの注文もあるんですか?
黒川 ハワイやグアムなど、日本人の多い地域からの注文はありますけど、基本的にはまだ普及してないですね。というのも、海外の方には「目で食べて楽しむ・愛でる」という文化があまりないんです。食品サンプルを見ても、「これが食べられるんだ」じゃないんですよ。以前、ニューヨークで食品サンプルを飾ったことがあるんですけど、アートとして捉えられるんですよね。だから食品サンプルの下に、そのメニューの価格が800円と書かれていたとすると、「この食品サンプルが800円で買えちゃうんだ」と勘違いするんです。まだ、この食品サンプルと同じものを、ここの飲食店で食べられるんだという感覚が浸透してないんですよね。
玉袋 アジアはどうですか?
黒川 アジアはお取引をしているお客様もいらっしゃいますので、徐々に浸透しています。
年に一度の社内コンクールで職人が腕を競い合う
玉袋 職人さんは、お店から発注を受けて作った食品サンプルを、実際に見に行って食べることもあるんですか?
宮澤 お店には入らず、食品サンプルだけを見に行くことはあります。やっぱり工場で見るのと、実際に飾られているのを見るのとでは違うんですよね。照明や置き方によって見え方も変わるので、どう飾られているのかを確認するんです。あと、その食品サンプルを見たお客さんの反応を見て、ほくそ笑んだりもします(笑)。そういう楽しさ、やりがいはありますね。
玉袋 今は若い人でどれぐらいの年齢ですか?
宮澤 一番若い社員で21歳です。高卒で入社して3年目ですが、もう下積みは終わっていて、製作に携わっています。
玉袋 若手だと、「明らかに色が違うじゃねーか」ってこともあるんですか。
宮澤 ありますね。それを先輩が指摘して、直してもらう。そうやって経験と場数を踏んで、成長していくんです。
――下積みの年数ってどれぐらいなんですか?
宮澤 僕の時代は、下積みに3年以上かかりましたけど、今はすぐにでも製作に携わってもらわないと仕事が回らないので、1年ぐらいです。やる気があれば、早く製作に携われますし、その人の技量も大きいです。
――パートさんもたくさん雇っていますよね。
宮澤 パートさんは型を取る作業がメインです。仕上げまでになると、お客様とのやり取りもあるので、パートさんには雑務や補佐をしてもらいながら、社員が責任を持って仕事をするという形です。
玉袋 完成品をクライアントに提出する時は緊張するんじゃないですか?
宮澤 直接のやり取りは営業の者がやるんですが、もちろん直しも入りますからプレッシャーはあります。いろんな食材や料理があるので、ニーズも多様化しています。昔だったら「カレーライス」「かつ丼」「ラーメン」で良かったのが、今は多種多様なんですよね。そうすると「ここが違う」「こうじゃないんだ」と指摘も多くなりますし、お客様の目も肥えてきているなと感じます。
玉袋 食が広がっているからね。昔なんてラーメンも1、2種類だったのが、今はスープの種類だけじゃなく、汁なし、油そば、つけ麺と、いろいろあるからね。それを職人さんは、上手く作り分けなきゃいけないから大変だよ。日頃から研究はしているんですか?
宮澤 そうですね。日頃からネットを検索して、食べたことのない、見たことのない食品を勉強しています。流行ってからじゃ遅いんですよね。流行るより前に制作することもあるので、まだ注文がなくても、先取りで調べています。
――数年前だと空前のタピオカブームもありました。
宮澤 タピオカも流行る前に調べて、「なんだ、この黒い球は?」と(笑)。実際に注文もありましたしね。
玉袋 いつなんどき、誰の挑戦でも受けるという精神だね。
――会議室のショーケースに入っている食品サンプルは、実際のメニューにないようなものが多いですよね。
宮澤 これは年に一度、社内で「食品サンプル製作コンクール」をやっているんですけど、その時の食品サンプルが大半です。
黒川 職人の技術の向上、開発を目的に昭和43(1968)年から始まって以来、現在まで続く社内製作コンクールです。
宮澤 普段はお客様からの注文を忠実に再現していますけど、それだと自分の色は出せません。なので年に一度、自分が作りたいものを、持てる技術を全て出して作品にするんです。
玉袋 工場長は最初に何を作ったんですか?
宮澤 初めて参加した時は、まだ入社して1、2年目だったので、確か「ネギトロ丼」を作った記憶があります(笑)。
――工場長は審査員も兼ねているんですか?
宮澤 ここにいる黒川もそうですが、製作に携わっていない者が審査するんです。まだ私もコンクールに参加していますしね。
玉袋 工場長は何回ぐらいチャンピオンになっているんですか?
宮澤 いやー……賞はいただいていますけどね(笑)。
黒川 工場長はいつも上位に入っていますよ。
玉袋 職人の方々は、みなさん最高峰の技術を持っているから接戦でしょう。コンクールの作品は遊び心もあるよね。
宮澤 それぞれのセンスや思いが出るんですよね。
玉袋 世界に誇れる作品ばかりだよ。ずっと見ていても飽きないね。
黒川 年に一回、東京スカイツリータウン内の東京ソラマチさんでコンクールの作品を一般公開する「おいしさのアート展」を開催していますので、興味がある方は、ぜひ足を運んでほしいですね。
宮澤 先日、仙台でも展示会をさせていただきました。
黒川 SNSのおかげで「おいしさのアート展」の認知度も上がっています。
玉袋 常設でも見たいよ。どんどん新作が出来ている訳だからね。
――後輩の作品を見て、新たな発見もあるんですか?
宮澤 やっぱりありますよ。自分にないものってありますから。どうやってやるのか聞いて、技術の継承もします。
――ちなみに食品サンプルを作る上でのマニュアルってあるんですか?
宮澤 一応、昔のマニュアルはありますけど、僕が入社するよりも前に作られたマニュアルなので、もう使うことはないです。
玉袋 常に進化ですもんね。
宮澤 先ほどもお話ししましたが、料理も多様化していますので、そのマニュアルを活かせるものは少なくなっていますね。
玉袋 ところで実際に工場長は料理を作るんですか?
宮澤 料理しますね。ちゃちゃっとやっちゃうタイプなので、決して得意じゃないですけど。
玉袋 会社では細かい作業をしているのに、実際の料理はシンプルなのが面白いね。まあ料理人でも、家では作らないってタイプもいるしね。工場長は食品サンプルで得意なジャンルってあるんですか?
宮澤 これっていうのはないんですけど、なんとなく平均値(笑)。良く言えばオールマイティ、とりあえず何でも屋みたいな感じです。
海外の方にとって食品サンプルは不思議なもの
玉袋 さっき工場見学に行ったら有名チェーン店の注文で、同じ食品サンプルがずらーっと並んでいたけど、どれも同じ仕上げにするのは大変でしょう。
黒川 大口のお客様ですと、1つの食品サンプルを500個作るなんてこともありますので、その辺の苦労はあります。個人のお客様は多くても5、6個ですからね。
玉袋 同じ色合いにしなきゃいけないもんな。
――工程の複雑さで値段も変わってくるんですか?
宮澤 そうですね。たとえば生春巻きを例にとると、巻いたり、持ち上げたりと、いろいろな手間がかかるので、食品サンプルによっては倍近くの値段になることもあります。
玉袋 製作時間ってどれぐらいなんですか?
宮澤 ものにもよりますが、手間がかかるものだと3、4時間かかります。でも1日に10~15品目を作るのがノルマなので、1時間かからないものもあります。
玉袋 そんなに早く作れるんだ! 日本発信で、世界に誇れる技術だよ。できるもんならやってみろ! って話だよね。この細かさは絶対に出せないって。
――海外メディアの取材も多いそうですね。
黒川 おかげさまで、いろんな国からオファーをいただきます。海外の方々が日本に来て、まず空港の飲食店で目に入るのが食品サンプルだと思うんです。なぜ、ここにあるのかと。そういう好奇心から始まっていると思うんですけど、日本人にとって食品サンプルはあって当たり前ですけど、海外の方にとっては不思議なものなんですよね。
玉袋 俺たちはあって当たり前って思っちゃっているんだけど、改めて至近距離で食品サンプルを見たり、製造過程を見させてもらったら、ありがたくてしょうがないよ。その陰では職人さんの研鑽があり、俺たちの目を喜ばせてくれるプラス、お店に入ると同じ料理が出てきて、その味にまた喜ぶと。全てが繋がってるところも素敵だね。
黒川 食品サンプルと同じものが出てくる訳ですからね。
玉袋 感動したな。大衆の胃袋を目でも満たすんだよな。最近の景気はいかがですか?
黒川 コロナ禍が落ち着いて、飲食店も元気になってきたので、注文も増えているんです。あとインバウンド需要もあって、東京スカイツリーと合羽橋で営業している「元祖食品サンプル屋」(※オリジナル小物や限定商品、プレミアム商品などを一般向けに販売。食品サンプルの製作体験も実施)に訪れるお客様も戻ってきています。
玉袋 もろに景気の影響を受ける業界だからね。コロナ禍はどうだったんですか?
黒川 普段の注文は減ったんですが、テイクアウトの食品サンプルの注文が増えたので、なんとか大丈夫でした。インバウンドと言えば、かなり前なんですけど、合羽橋の店舗を訪れた中国人のお客様が、並んでいる食品サンプルを見て、「ここからここが欲しい」とお買い上げいただいたんです。その時に仰っていたのが、「今日買った食品サンプルと同じ料理を中国で作って提供する」と。サンプルからメニューを作るという逆の発想に驚きました。
玉袋 さっき外に宅配便が来てたけど、サンプルの元になる料理も、ああやって届くんですか?
宮澤 届く時もありますけど、基本的には営業の者が直接クライアントさんのところに行って、写真を撮って、話を聞いて、食器も含めて本物の料理をもらってくるんです。
――ラーメンなんかは、どうするんですか?
宮澤 麺が伸びないように、汁と別にして運んでもらいます。あと麺に関しては何種類もストックがあるので、それを使うことも多いんです。
黒川 営業はクライアントさんにヒアリングする時、ボールペンでスケッチもするんですよ。「このピザのマッシュルームは何個」とか、「この生ビールは何センチまで泡が出ている」とか細かく測って、それが設計図になるんです。もちろん最終的には写真を撮るんですけど、まだまだアナログな部分も残っているんですよね。
玉袋 販売だけじゃなくリースもやっているそうですね。
黒川 実はリースの売上が8割を占めているんです。創業当時からお貸出しをしているんですが、どうしても色が褪せてきてしまいますので、どんどん交換して、新しい食品サンプルに取り替えてもらっています。
玉袋 そうやって回転させたほうが、サンプルの鮮度もいいもんな。サンプルを見る目が変わるな。
黒川 汚れているサンプルを見た時は、「これは買ったんだな」と判断していただいて(笑)。
玉袋 そんな視点で見る素人はいないよ(笑)。通だね。この記事を読んだ人は、そういう目で見るようになるかもね。今日は貴重な話、そして素晴らしいものを見せていただいてごちそうさまでした! これからも食品サンプルを見た人の腹をぐーっと鳴らして、よだれをいっぱい出させてください。
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)
<出演・連載>
TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」