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2023/11/22 20:00

「陰陽師」って何者? 意外と知らない本当の仕事と安倍晴明の実像

映画や小説、漫画などに数多く登場し、現代でもその名が知られる「陰陽師(おんみょうじ)」。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)が登場すると発表され、再び陰陽師へ注目が集まっています。

 

そんななか、国立歴史民俗博物館では、企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」が開催。陰陽師の実態に迫るこの企画展示の開催を機に、陰陽師の考え方や生き方、陰陽師が時代を超えて親しまれている理由、そしてこの展示会の見どころなどを、国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一教授に伺いました。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館。

 

最新の研究成果をもとに陰陽師の実態に迫る企画展示

2023年12月10日まで国立歴史民俗博物館で開催されている「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」は、陰陽師の歴史をたどりながら、そこから育まれた文化に迫る企画展示。これから学会で発表されるような最新の研究資料も展示されており、陰陽道や陰陽師、そして陰陽師がつくり続けてきた「暦」に関する文化を知る、貴重な内容となっています。

展示室内部。

 

本展示は、共同研究の成果の一部を一般向けに広く発信するというもの。「展示に向けての調査研究には、5年以上もの月日を費やした」と話すのは、本展示プロジェクトの代表を務める国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一さんです。

 

「本企画展示は、確かな史資料のもと、さまざまな側面から陰陽師のリアルな姿を探る内容です。映画や小説、漫画などを通して、陰陽師の存在を知っている人は多いと思いますが、本物の陰陽師がどういう存在だったのかはあまり知られていません。ですので、展示を通して実際の陰陽師の姿を感じ取ってもらえたらと思います」(国立歴史民俗博物館 研究部・小池淳一教授、以下同)

お話を伺った国立歴史民俗博物館・研究部の小池淳一教授。

 

平安京で活躍する陰陽師の姿

本展示は3部構成。第1部の「陰陽師のあしあと」では、古代から近世にいたるまでの陰陽道と陰陽師の歴史を紐解いていきます。

 

そもそも陰陽道とは、古代中国から伝わった陰陽五行説や道教などの知識をもとに生まれたもの。8世紀には、日本の律令国家成立とともに「陰陽寮」という役所が設置され、そこに所属する占い師として「陰陽師」が誕生しました。陰陽師は、天文や暦に関する書物や道具を研究。その知識は、方位や時間の吉凶に関する占いやまじないだけでなく、祈祷や暦づくりなど、さまざまな場面で活用されるようになっていきます。

 

安倍晴明が活躍した平安時代には、陰陽師は貴族社会にとってなくてはならない存在に。本企画展示では、その様子がわかる資料が多く展示されています。

「御堂関白記」(複製) 寛弘四年〔原品の年代〕 国立歴史民俗博物館所蔵(原品:公益財団法人陽明文庫所蔵)。

 

「この資料は、『御堂関白記』という藤原道長が記した日記帳です。上部に日付が書かれていて、2行ほど空いたスペースがあるのがわかると思いますが、道長はこの空いている部分に日記を書いています。平安貴族が使うこうした暦をつくることは、陰陽師の仕事のひとつでした。

 

赤字も陰陽師が書いたもので、暦注と呼ばれるものです。時間と方角を占った結果を記載して、『この日はこの方角に気を付けてくださいね』といったような内容を伝えています。平安貴族がどのように暦と付き合っていたのかよくわかる資料ですが、よく考えてみると、私たちもカレンダーや日記帳に予定やその日あったことを書き込んでいますよね。今と変わらない文化がこの時代からあったということも、この資料からわかると思います」

 

お坊さんの姿をした陰陽師も。
日本各所で活躍する、中世以降の陰陽師

メディアのイメージから、陰陽師は平安時代に活躍した存在であると認識している人も多いかもしれません。しかし実際は、陰陽師の活躍の場が広がったのは中世以降なのだといいます。

 

「武士の世の中になると、貴族だけでなく幕府をつくった武士たちも政治を行うなかで陰陽道を取り入れるようになっていきます。それは、平安京にしか仕事がなかった陰陽師にとってはありがたいことでした。戦国時代になると、日本各地で活躍する陰陽師の姿が見られるようになります」

 

全国に広がりを見せる陰陽師のなかには、官人でも民間でもない新しい陰陽師の姿も見受けられます。それが、九州で活躍した宇佐の陰陽師です。

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期、大楠神社蔵。

 

「大分県に宇佐神宮(八幡宇佐宮)という神社がありますが、その地域でも古くから陰陽師がいたということが研究のなかでわかってきました。宇佐の陰陽師の興味深い点は、お坊さんの姿をしているところです。陰陽師がなぜ僧の姿をしているのか、それは大きな問いかけであり今後もさらに研究を進めるべき分野でもあります」

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期 大楠神社蔵。一部抜粋。大楠の下に座る僧形の人物が陰陽師だ。

 

宇佐の陰陽師は、宇佐宮とその周辺地域における神事や仏事に参加し、占いやお祓いなどを行っていました。このような、地域社会に根ざして活動を行う陰陽師が他の地域にも存在していたという事実も確認されています。平安京で活躍していた陰陽師とは異なる陰陽師の姿を知ることで、”陰陽師のリアル”に近づくことができるはずです。

 

装束にまじない書……
陰陽師が使用した仕事道具とは

時代によってその役割が変容していく陰陽師ですが、その中には「占い」「祭祀」「まじない」「暦日と方位(時間と空間の吉凶を予測すること)」といった、共通する仕事内容がありました。展示では、こうした陰陽師の仕事で使用された道具や書物なども数多く展示されています。

「烏帽子」「装束(袴・帯等)」 江戸時代ヵ 国立歴史民俗博物館所蔵。年代は不確定だが近世から、奈良の暦師・陰陽師であった吉川家に伝えられてきた装束や烏帽子も展示されている。

 

実際に、陰陽師がまじない書を参考にして、まじないを行っていたことを示す資料も残されています。

 

「こちらは、栃木県で出土した呪符が描かれた土器(かわらけ)です。陰陽師がまじないのために土器に呪符を描いて土に埋めたものなのですが、その文様や円の形が愛知県の陰陽師に伝えられてきたまじないの書物の内容と同じではないか、ということがわかってきました。同様事例が各地の遺跡からも発掘されていることから、こうしたまじないが日本各地で広がりを見せ、実際に行われていたという痕跡をたどることができるのです」

「呪符かわらけ」16世紀頃 栃木県立博物館所蔵。

 

「盤法まじない書」(行法救呪) 大永5年写 豊根村教育委員会所蔵。栃木県で出土した「呪符かわらけ」と同様の文様が書かれていることがわかる。

 

シニア世代のヒーロー⁉
日本一有名な陰陽師・安倍晴明

平安時代を生きた実在の陰陽師・安倍晴明。その知名度は高く、日本で一番有名な陰陽師といっても過言ではありません。安倍晴明は、日本で陰陽道を継承し続けてきた安倍氏の事実上の始祖とされている人物です。式神を連れて悪霊を退治するといったミステリアスなイメージを持つ安倍晴明ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか?

「安倍晴明公御神像」室町時代中期 晴明神社所蔵(京都国立博物館寄託)※11月7日(火)~12月10日(日)はパネル展示。

 

「実は、安倍晴明が活躍したのは歳をとってからなのです。小説や漫画では若くてかっこいい安倍晴明像が描かれていますが、あれはフィクション。実際の晴明は、歳をとってもしっかり仕事をしていた、シニア世代のヒーローだったのです」

 

歳をとってからもなお、藤原道長などの権力者に重用されていた晴明。実際に当時の日記の中には「安倍晴明が遅れてやってきた」といったような内容も残っています。そうした活躍が後年子孫によって語り継がれ、日本一有名な陰陽師として名を馳せるようになっていきます。

「泣不動縁起絵巻(不動利益縁起)」 室町時代 重要文化財 清浄華院所蔵(京都国立博物館寄託)黒い装束を身にまとい、祈祷を行っている人物が安倍晴明。背後に控える式神や、病をもたらしたであろう外道たちなど、実際には目に見えないはずの存在も描かれている。※11月7日(火)~11月12日(日)はパネル展示、11月14日(火)~12月10日(日)は同名の別所属資料を展示。

 

本企画展示では、そうした史実に基づいた実際の晴明像はもちろん、フィクションの中の晴明についても深く掘り下げています。

 

「中世以降、『安倍晴明は狐の母親から生まれた』という伝説が語り継がれていきます。室町時代の禅宗の僧が残した『臥雲日件録抜尤』という日記には『安倍晴明は父母がおらず怪しい者であるが、陰陽師としては優れていた』といった旨がつづられており、晴明の伝説上のイメージが広がっていく過程を示す貴重な資料です。そこから時代を経て、晴明の物語はどんどん変転していきます。つまり、現代で描かれるような晴明のイメージが生まれたルーツは、実は室町時代頃からあったということなのです」

 

現代にいたるまでさまざまな描かれ方をしてきた安倍晴明。2024年の紫式部を主人公とする大河ドラマ『光る君へ』にも登場することが発表されています。劇中で晴明がどのような人物として描かれていくのか、そこに注目しながら視聴すると新たな発見があるかもしれません。

会場には、「泣不動縁起絵巻」に登場する式神や外道たちと一緒に写真を撮れるスポットも。

 

2023年は明治の改暦から150年
陰陽師がつくり続けてきた「暦」

2023年は、日本が太陽暦を採用してから150年というアニバーサリーイヤー。最後は、陰陽師がつくり続けてきた「暦」に焦点を当てます。

 

陰陽師は、古来より暦づくりの担い手として活躍していましたが、近世になると、各地でつくられていた暦づくりに幕府が関与するようになっていきます。江戸時代前期には、天才的な天文学者であった渋川春海を中心に、日本独自の新しい暦『貞享暦』がつくられました。渋川春海は、貞享暦を完成させた功績により『天文方』という役職を命じられます。以後、陰陽師と幕府の天文方が協力して暦をつくっていくという体制に代わっていきました。

「天文図・世界図屏風」 元禄15年以前 個人蔵(大阪歴史博物館寄託)渋川春海の見た世界と星図の様子が見て取れる屏風。

 

そこから時は流れ、明治3年。陰陽師たちが所属していた陰陽寮が廃止となります。陰陽師のなかにはその後も暦師として活動する人たちもいましたが、明治6年の太陽暦への改暦を機にその役目も終わりを迎えます。その後、暦づくりは国が管理するようになり、事実上陰陽師は歴史の舞台から姿を消すこととなりました。

 

暦という時間、月や星、季節の移り変わりをとらえて未来を見据えてきた陰陽師たち。式神を用いて悪霊を成敗する、そんな現代の陰陽師のイメージとはまた違う姿を知ることができたのではないでしょうか。

 

「陰陽師の魅力は、未来を予測しようとする尽きることのない営みをしていた、というところにあると思います。暦づくりのために天体観測をするだけでなく、仏教や神道の知識や、キリスト教と一緒に入ってきたヨーロッパの天文の知識を得るためにキリシタンになる陰陽師もいたほどです。渋川春海のような天才が出てきた時も、仕事を奪う存在として敵視せず、一緒にやりましょうと研究をしていた人たちです。未来のため、暦のため、天体観測のためにと努力を重ねてきた存在であり、そこに惹かれるものがあるのだと思います」

 

 

陰陽師という存在は役目を終えたかもしれませんが、彼らが残したものは今もなお私たちの意識の中に根付いているはずです。例えば、良い方角や悪い日など、そうした伝統的な空間や時間の感覚は、陰陽道の考え方があったからこそ。日常的に意識することはあまりないかもしれませんが、カレンダーや日記帳を見る際などには、ぜひ古代から陰陽師たちが続けてきた営みに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

Profile

国立歴史民俗博物館 研究部 教授 / 小池淳一

1963年長野県生まれ。筑波大学大学院博士課程単位取得。博士(文学)。1992年、弘前大学講師。同助教授、愛知県立大学助教授を経て2003年に国立歴史民俗博物館助教授に就任、現在は同教授。専門は民俗学、伝承史。主な研究テーマは、民俗における文字文化の研究、陰陽道の展開過程の研究、地域史における民俗の研究など。著書に『陰陽道の歴史民俗学的研究』(角川学芸出版、2011年)、『季節のなかの神々―歳時民俗考―』(春秋社、2015年)などがある。

 

企画展示「陰陽師とは何者かーうらない、まじない、こよみをつくるー」

会場=国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B
所在地=千葉県佐倉市城内町117
会期:2023年12月10日(日)まで
料金:一般1000円、大学生500円、高校生以下無料
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