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2015/11/15 9:00

【ゴウヒデキ連載】社交的でないことに苦しむことは、もうやめました。 「社交的たれ!」を疑ってます。

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近ごろ、私が常々わだかまってきた「モテる」「モテない」とは、実は「社交的」と「引っ込み思案」の問題だと置き換えられるではないかと気付いたんです。

 

世間で良しとされているのは、もちろん「社交的」です。
「自己啓発本」と呼ばれるジャンルの本は、ほとんどが「社交的」で「活発」な性格をゴールとしていますよね?
さも、「社交的にあらずんば成功を得ず」と言わんばかりです。

 

さて、私は半生を「引っ込み思案」として費やしてきました。
幼いころから「引っ込み思案は良くない」と指摘され続けてきましたよ。
そうするとですね、「社交的とは一体何なんだ?」と、こんなこと考え出すようになるわけです。

 

「社交的」と「引っ込み思案」。
あるいは、「外向的」と「内向的」。
似た用途で「ポジティブ」と「ネガティブ」もよく使われていますが、これはちょっと違うんじゃないかと思います。

 

前回のスポーツの話でも少し触れましたが、人って好ましいものに良いイメージを結びつける傾向がありますよね。一方、好ましくないものには悪いイメージをくっつける。

 

そんな傾向があるものですから…

 

◯「社交的」=「ポジティブ」=「性格が明るい」
◯「引っ込み思案」=「ネガティブ」=「性格が暗い」

 

となりがちです。でも、本当はそう言い切れるものでもないですからね!
「引っ込み思案」でも「ポジティブ」な人はいます!

 

また、「引っ込み思案」と同じ局面で「人見知り」も使われますが、近年の「人見知り」の使われ方を見ていますと、これもイコールではないと思います。
「引っ込み思案」だって、出るとこに出れば明るいんです! まぁ、なかなか出るところもないんですが。

 

最近、自ら「人見知り」宣言をする人が増えましたよね?
私が子どものころは、「すみません、この子、人見知りで…」とか「人見知りしちゃいけません!」などと親が言うもので、「人見知り」とはあくまで他の人に指摘されるものという印象だったですが、現在は自己申告制になってます。

 

私見ですが、80年代後半から90年代にかけて、ダウンタウンさんの登場などによって、「おもしろい(=他人を笑わせるスキルがある)」ことが、好ましい人の条件に格上げされてから以降、人見知りの自己申告が始まった気がします。

 

つまり、他人を笑わせることが社交上の重大なマナーとなるにつれ、「積極的に笑いを取りにいく人物ではありませんよ」と先に言い訳をしておく……ぐらいの気分で「私、人見知りなんで……」と口にしている印象です。

 

「引っ込み思案」と、今時の「人見知り」は違うんです。

 

で、「モテる」「モテない」と「社交的」「引っ込み思案」の問題ですが、一般的には次のような関係だと思います。

 

◯「社交的」=「モテる」
◯「引っ込み思案」=「モテない」

 

続いて、モテる「社交的」って何だろな…ってことを考えます。
私は、この「社交的」のかなりの部分を、いわゆる「ベタ」で「手垢のついた状態」であることが占めているんじゃないかと踏んでいます。そう踏ませて頂きたい。

 

小学校の教室で考えると、テレビで流行っているギャグをやる、これは社交的。
クラスの大半が観たことのあるギャグですから、ウケる確率も高い。低リスクハイリターンです。
一方、オリジナルのギャグを披露してもウケるかどうかは定かではありません。

 

大人の世界でも、会議などで似たような場面はありますよ。
例えば、流行ってる耳障りの良いカタカナ語を使うとか。
「ワークライフバランス」とか「コンセンサス」とか、ついつい言っちゃいたくなりますよね?

 

テレビ番組の会議に参加させて頂くと、よく「テレビ的じゃないよね〜」といった言葉を耳にします。「テレビ的」って何でしょうか?
説明しようとすると、すごく手間がかかりそうなんですが、「テレビ的」ということで、なんだかその場にいる人達も分かったような気分になります。

 

厳密には何も言ってないけど、なんとなくその気になる。この「なんとなくその気」が「社交的」の正体なんじゃないかと。

 

「斬新であること」や「思いも寄らぬ切り口」、「独自性」は一見モテにつながりそうですが、実は「社交的」であるためには邪魔な存在なんじゃないかと感じるんです。

 

例えば、恋愛にまつわる金言的なもので言いますと……
多くの女性はこういったことを口にしています。

 

◯「好きの反対は、嫌いじゃなくて無関心だよ」
◯「モテるには、清潔感が大事だよ」(少し前までは、清潔感の代わりにギャップでした)
◯「男の恋愛は別名保存で、女は上書き保存」

 

こういう物言いって、ちっとも面白くないですよね?
でも、そこら中のファミリーレストランで「分かる〜!」ってなってるんですよ。
こうした手垢にまみれた物言い、男性もやってます。
例えば、もともとはビートたけしさんかタモリさんあたりが言い出したと思うんですが……

 

◯「仕事とセックスは家庭に持ち込まない主義」

 

いまだに言っている人を見かけたことがあります。
あと、恋愛がらみではないですが、お腹の調子が悪いという仲間に対して……

 

◯「落ちてる物でも拾って食べたんじゃないの?」

 

「平成も、もう27年ですぜ」って思いますが、最近もこれを言っている人を見ました。

 

そういう時、私どもは一旦引っ込んで「他に新しい言い方ないかな…」なんて思案するんですが、その間は黙ってしまいますからね。
咄嗟に、ポンとベタなこと言ったほうが、その場は盛り上がるんです。

 

ここで頑張って独特な表現を思いついても、なかなか受け入れられないですよ。
「分かる〜」ってなる「共有」した気分が生まれにくいですからね。
独自性って社交的であることにはプラスに働かないんです。
やっぱり、パッと理解できないものとか、得体の知れないものってなかなか受け入れたくないというか、手放しに好きになるということは少ないですから。

 

それよりも、ベタなこと言って「私、うまいこと言いました!」と自信満々にしてたほうが「社交的」ってことで「モテる」印象です。

 

「GetNavi web」や「GetNavi」をお読みになられている皆さんでしたら、こんな風に感じたことはないですか?
「スペック的にも優れている“最新技術の結晶”と言える商品よりも、スペック的には劣るけど広く認知されている商品のほうがウケがいい」。

 

例えば、iPhoneも初期のころのは持っていても珍しい人ぐらいだった扱いが、iPhone3〜4ぐらいになってようやく世間的にもウケが良くなった感じがしませんか?

 

先進的であるよりも、やや世間に広がりかけた辺りからようやく「共有」した気分が生まれて、それが「社交的」、ひいては「モテる」になるんだと思います。

 

だから、「社交的」が「モテる」って状態も、よーく考えたら「そんなに良いことですか?」って思うです。
「社交的」って、そんなに良いことですか?

 

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連載「モテない美学」 バックナンバー

第1回「モテなかったらなにが悪い!」

第2回「モテないアナタは気遣いの達人なのかもしれない!」

第3回「モテない道とは、我を殺すことと見つけたり。」

第4回「ゴールデンウィークは、”モテない勢”のためにある!」

第5回「モテない毎日がグッと刺激的になる! モテない流・緊張との付き合い方」

第6回「トイレで気づいた『ちょっと面倒な人がなぜかモテる理由』」

第7回「イベントで気づいた「モテる人とモテない人の決定的な違い」」

第8回「「モテない美学」がラジオ番組に!? レジで分かれる「モテるモテないの差」」

第9回「スポーツの秋に思う「なぜ、運動ができないことで苦しんだのか!?」 昭和運動暗黒史」