第3回 実家の冷蔵庫は魔境だ
実家の冷蔵庫は魔境だった。
母はとにかくものを捨てない。袋麺に入っていた粉末スープの残り、スーパーで買った寿司に付いていたガリの小袋、惣菜に付いていたソースの小袋。いろいろなドレッシングも半分くらいなくなると、新しいなにかしら別の味のドレッシングを買い足すので、そのまま冷蔵庫の中で墓標と化す。
ラップに包まれた野菜の切れ端が完全に水分を失って、なんの野菜だったか当てるのが難しい形状になっていたり、プラスチック容器に入った時を越えた煮物らしきものがあったり。と思うと、いきなりのリアルゴールドが二本、冷蔵庫の奥の奥に収納されていたこともあった。
僕が小学生だった頃、魔境の中で別のなにかに変化した食べ物たちを、母が買い物などで家にいない時間を見計らって、妹と一緒に大量にゴミ箱に捨てていた。
ときどき母が、どんなに片付けても満員御礼の冷蔵庫の中をくまなく観ながら、「あれ……、スープの素ってなかった?」と、僕や妹に聞いてくることがあった。
妹は「あの奥の奥にあった、スープの素のことを一瞬でも思い出すなんて、すごいわ」と、なにを感心しているのか、もうわからなかったが、次はこの間捨てた「蒸したさつまいもだったもの」を思い出すかもしれないなどと、母の行動から目が離せなくなっていた。
五年前、母はがんを患った。術後、家族が呼ばれ、医者から、「これがいま、手術で切除したものになります」と、母の内臓だったものの現物を、見せてくれた。切除した量の多さに、母のお腹の中には、もう何も残っていないんじゃないか? と真剣に思ったほどだ。
その後、長い入院を経て、いまも継続的に治療中だ。放射線治療のあとなどは、数週間に渡って、後遺症に悩まされる。父から、夜中に倒れたというメールをもらったのは、一度や二度ではない。だんだん食事の量も減ってきている。
この間、実家に戻ったとき、母がトイレで席を外している間に、ふと冷蔵庫を開けてみた。冷蔵庫の中身は、まるで引っ越した初日かのように、ほとんど食べ物はなく、少々の調味料と果物の切れ端、たまごのパック。それに牛乳とヨーグルトのカップが二つあるだけだった。父が、「お母さん、ここ数日、お粥を少し食べられるようになってきたんだよ……」と笑っていた。
年老いた両親のふたり暮らし。それも母はかなり痩せて、お茶碗一杯ほどのお粥も食べられないような状態だということが、冷蔵庫のあり様でいやでも伝わってきた。父も、母に付き合って、一緒にお粥の生活をしているとのことだった。
そのときトイレから母が帰ってくる。「なにか食べるでしょ? あれ、おそうめんとかなかったっけ? ああ、スープの素とかあったら、なにかすぐに作れるんだけど……」と言いながら、よいしょと母が冷蔵庫を開けた。「ああ、ごめんね。なにもないわ」と寂しげに言う。「食べてきたから大丈夫だよ」とだけ僕は返した。
あの頃、実家の冷蔵庫は魔境だった。母はとにかくものを捨てない。どこかでもらったお饅頭の食べかけに、クリスマスから一週間経ってもあったショートケーキの残骸。賞味期限を見たら、いまが何年か一瞬わからなくなる生麺の焼きそば。
パートで忙しかった母が、僕と妹のお弁当のおかずのために、作り置きをしてくれていた煮物や卵焼き。母はアイスクリームが大好きで、こっそり冷凍庫の奥に箱入りのピノをよく隠していた。
僕と妹は、たまにそれを見つけると、こっそり一つか二つだけ盗み食いをするのが楽しかった。一度それが見つかって、すごい剣幕で僕と妹は怒られたことがある。懐かしい。
パートが早く終わると、一度家に戻ってきた母が買い物に出かける。僕と妹はそのタイミングで、冷蔵庫の中の、二度と食べそうにないものを選別して、ゴミ箱に捨てていた。
捨てても捨てても、母の食べたいものと、母が僕たちに食べさせたいもので、冷蔵庫の中は常に食べ物でいっぱいだった。ほとんどなにも入っていない冷蔵庫の中を眺めている母を見ながら、あの頃の僕たち家族の出来事を、しばらく思い出していた。
イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生