第18回 好きな人と美術館に行きたくない
好きな人と美術館に行きたくない。一緒に行ったら、嫌われる自信がある。じっくり絵を眺める、ということが、とにかくできない。
前に六本木ヒルズでラジオの収録が終わって、移動しようとしたとき「次の打ち合わせまで、あと二時間くらいあるんで、森美術館寄って行きませんか?」と編集者に誘われたことがあった。
「美術館……」思わず、そう口にする。美術館にいい思い出がなかったからだ。ひとりならいい。ふたりで行く美術館に特にいい思い出がない。断るほど仲が良いわけでもない間柄だったので、思わず「いいですね」なんて安請け合いをしてしまった。
美術館に入ると、まず今回展示されている作品を描いた作者の年表が、長々と紹介されていた。腕組みをして、それを一生懸命読んでいる中年男性がいる。人と人との隙間から、必死にメモを取りながら確認している若い女性がいた。一緒にいた編集者も年表に近づき、なにやら興味深そうにしている。
僕も少し読んでいるフリはしていたが、どうにも時間が潰せない。早々に切り上げ、最初に展示してあった作品を鑑賞する。「うん」納得して次に行く。
次の作品の前に立つ。おもむろに一歩下がってみる。「うん」次だ。その次は一歩前に出てみたりして。「うん」。そんな調子で次から次に「うん」「うん」やっていたら、サクッと観終わってしまい、出口まで来てしまう。そこでやっと編集者の姿が見えないことに気づく。
仕方がないので会場を逆走して戻ってみると、まだ最初の展示コーナー辺りに編集者はいた。「ふむふむ」みたいな表情で、展示してある作品の前で固まったように見入っている。気付かれないように、僕はちょっと先の作品を眺めているフリをしながら、「ふむふむ」顔で、二度目の鑑賞に入る。
「うん、わかった」移動したい。その気持ちをどうにか滅して、我慢の「ふむふむ」顔を作った。
しばらくすると、ようやく編集者が僕のところまで追いついてきて「いいですね」とヒソヒソ声で言った。「ですね」僕はヒソヒソ声でそう返す。「もう全部観ちゃいました!」なんて口が裂けても言えない雰囲気だ。
とにかく、じっくり作品を眺める、ということが苦手だ。なにかが欠落しているのかもしれない。ジッとしていると、むず痒くなってきてしまう。

昔、好きだった人の一番好きだったところは、同じタイミングでむず痒くなってくれるところだった。もちろん他の部分も気は合った。顔も好きだった。でも一番嬉しかったのは、むず痒くなるタイミングがドンピシャだったところだ。
横尾忠則展かなにかを観に行ったときのこと。彼女は僕よりも倍くらいの速度で、美術館の中を駆け抜けて行った。それはそれは気持ちが良いほど速く。展示室に座っている学芸員の方が「走らないでください!」と注意してくるんじゃないかと思うくらいに足速だった。
そして、今度はすごい速さで戻ってくる。てっきり「いいよね、その作品」みたいなことを言うのかと思ったら、僕の耳元まできて「ちょっと先に出て、グッズ見てくるね!」とヒソヒソ声で言った。その言葉に僕は痺れた。
「なんかジッと作品を眺めていると、むず痒くなっちゃうんだよね」と彼女は言った。
「でも、美術館は好きなんだよなあ」と彼女はつづけた。一緒だと思った。彼女とは、そこまで気が合ったのに、本当にくだらない些細なことでギクシャクして別れてしまった。
ときどき、美術館の中を足速に鑑賞している人を見かけると、ふと彼女のことを思い出してしまう。

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生