CDが売れない時代とは言われますが、音楽配信サービスの利用者は増えつづけていますし、レコードブームも再燃中。リスニングという趣味はメインカルチャーのなかでもど真ん中にあり続けています。
では、その音楽の担い手たるアーティストやDJといった立場の方は、プライベートでどのように音楽と接しているのでしょうか。シンガーソングライター兼音楽プロデューサーの寺岡呼人さんがゲストを向かえて「クルマと音楽」について語り合う同シリーズ、第2回は36年も最前線で音楽とかかわり続けてきたDJ OSSHYさんにお話をうかがいました。
【DJ OSSHY】
ディスコ・クラブDJおよびラジオDJ。1982年、渋谷のCandy Candyでデビューして以来、代官山PARADISE PARTY、横浜サーカス、六本木ヴェルファーレなど、各時代のディスコ・クラブブームを牽引するスペースで音を紡いできたレジェンド。現在はINTER FM「RADIO DISCO」、TOKYO FM「FAMILY DISCO」に出演するほか、東京スカイツリー展望フロアや、グランドハイアット東京、羽田空港などで開催されたディスコイベントにも参加。安全・安心な大人のディスコブームの仕掛け人としても活動。
【寺岡呼人】
シンガーソングライター兼音楽プロデューサー。1988年、JUN SKY WALKER(S)に加入。1993年にソロデビューし、1997年にはゆずのプロデュースを手がけるようになる。ライブイベント Golden Circleを主催し、FM COCOLOの番組「CIRCLE OF MUSIC」で、さまざまな音楽とアーティストをナビゲートしている。筋金入りのオーディオマニアであり、カーマニアでもある。http://www.yohito.com/
テクニックだけではない、DJには選曲の幅や知識が要求される
寺岡 ディスコ全盛のころって、僕はまだ中高生だったんですよ。だからディスコって憧れでしたね。DJ OSSHYさんは高校時代にDJとしてデビューしたそうですが、当時のお話からお聞きしたいなと。
DJ OSSHY 1981年の高校1年のとき、初めてディスコにいって衝撃を受けたんですよ。ノンストップで音楽が流れている環境にびっくりしまして。それから通うようになって、1982年から見習いをはじめました。当時はお店の専属DJというか、従業員がやってましたね。みんなの共有財産としてレコードがあって、それをみんながつかっていました。各店舗2~3人くらいしかいなくて、狭き門ですよね。
寺岡 DJを目指している人はたくさんいたんですか。
DJ OSSHY DJは花形的な見方はされていたかもしれませんが、本気でやろうという人はいなかったですね。人気があるのは黒服側でしたね。あとバーテンさん。
学校帰り、週4日はディスコに通うようになったDJ OSSHYさん。友達は女の子に夢中だったそうですが、DJ OSSHYさんはDJブースにかじりつきの日々を送っていたそうです。そして1か月ほど経ったとき、お店のDJに声をかけられました。そして、DJとしての人生がはじまりました。
寺岡 見習いのときって、どんなことをやっていたのでしょう。
DJ OSSHY 先輩のかけている曲の、プレイリストをノートに書いていましたね。あとは照明のコントロールとブース内の掃除。それを1年やっていました。もちろんギャラはないです。
寺岡 練習みたいなことはやっていたのですか。
DJ OSSHY ないです。
寺岡 DJ機材には触らせてもらえなかったと!
DJ OSSHY 先輩の仕草を見ていただけでしたね。そして週休1日で半年くらいたったころ。「そろそろ回してみろ」と言われて、お客さんのいない17時から18時までやらせてもらえるようになったのですが、ぜんぜんやり方わからないんですよ。ボロボロです。そこから少しずつ教えてもらえる感じでしたね。
怒られながらもDJのイロハを教えてもらいながら次第にスキルアップ。そして高校3年のとき、急遽お客さんの前で回すことになったそうです。
DJ OSSHY 1時間でしたがメインの時間帯に、代打としてやったんですね。とにかく盛り上がるメジャー曲をかけまくっていたら、あとからきた先輩にめちゃくちゃ怒られたんですよ。「お前、もうかける曲ないじゃないかよ!」と。DJはテクニックだけではなく、選曲の幅や知識が要求されるんだと思い知りましたね。
合理主義なDJ OSSHYさんは仕事道具として軽ワンボックスに乗り続けていた
寺岡 DJ OSSHYさんにとって、クルマはどんな存在ですか。
DJ OSSHY ツール、ですね。軽自動車に16年乗っていました。
意外にも! スポーツカーをドライブしているイメージがありました。詳しくお聞きすると、本当にレコードを運ぶための働くクルマとしてワンボックス型の軽自動車を何台も乗り継いで使ってきたとか。
DJ OSSHY 路地裏の店も多かったので、コンパクトなモデルがいいだろうと。3年前に普通乗用車に乗り換えたんですが、燃費重視でハイブリット車を。合理主義なところがあるんですよね。
寺岡 ではクルマのなかで音楽を聴くというのは、あまりないのですか。
DJ OSSHY 一人で乗るときは音楽聴く派なのですが、誰か乗せているときはまったく音楽をかけないんですよ。会話重視ですね。かけたとしても、ボリュームはすごく小さくしていますね。
寺岡 お一人のときはどんな聴き方をしていますか。
DJ OSSHY CD製作中はラフミックスを車のなかでチェックしていますね。私はラジオDJもやっていますが、ラジオも私が作るCDも、主なターゲットはドライバーなんですよ。
寺岡 DJ OSSHYさんが昨年リリースされた「SHONAN AOR」、聴きました。あー、これを流しながら湘南をドライブしたいなー、と思いましたね。
AORは都会的なイメージ印象があるというDJ OSSHYさん。AORで湘南をあらわすために、サーファーや船乗り、地元のレストランの方とかに、「AORで好きな曲はなんですか」とリサーチ。その結果、ボズ・スキャッグス「Lowdown」とか、70’s寄りの曲が多かったとのこと。なお前作の「TOKYO AOR」はボズ・スキャッグス「Jojo」など、キラキラした音が入る80’sトラックが中心となったそうです。
ドライブデートのためにMIXテープを作るのは万国共通
DJとは違うのかもしれませんが、昔はドライブ用にMIXテープを作るムーブメントがありました。カセットテープは時間が決まっているので、どの曲をどんな順番で入れていくとピッタリおさまるかを考えつづけていた青春時代。DJ OSSHYさんも僕たちと同じようにMIXテープを作っていたそうです。
DJ OSSHY 当時好きだった子と海に行くときはこのテープ、みたいにシチュエーション別の選曲をやって仕込んでいましたね。
寺岡 ジャック・ニコルソンが出演している「恋愛小説家」という映画の1シーンで、「ドライブ用」と書かれたカセットテープが出てくるんですよ。ああ、こういうのって万国共通なんだなと。
DJ OSSHY 自分の愛情表現をカセットテープに託すみたいな。
寺岡 年代もあるのかもしれないですけど、カセットテープに曲を入れていたときはワクワク感がありましたよね。
音楽ストリーミングサービスも積極的に
寺岡 ところで最近の音楽シーンの動向をどう見ていますか。海外だとダフト・パンクが盛り上がっていたりしますが。
DJ OSSHY 典型的なのはブルーノ・マーズの作風だと思っていまして。「Finesse (Remix)」という曲が出たばかりですが、あれ、ニュージャックスウィングですからね。びっくりしますよ。ニュージャックスウィングは1988年に誕生したと言われていて今年で30周年になるのですが、ブルーノ・マーズの世代があの時代の音楽に、相当影響されて、作ってきているなと思うんですよね。そういう部分に注目していますね。
寺岡 音楽ってリサイクルの文化だと思うのですが、数年前だったらダサいなと思われることが、いまだと「イケてんじゃん!」とかありますよね。
DJ OSSHY ありますね。ちょっと前にEDMが流行っていましたが、ヴァン・ヘイレン「Jump」とか80’sなニューウェイブ系の音作りを取り入れられてきていたんですよね。
寺岡 音源としてはいかがでしょうか。
DJ OSSHY 購入する音源はCDが多いですね。それをパソコンに取り込んでいます。以前はレコードをデジタル化していたのですが、3万5000枚もあるのでさすがに無理だなと。
寺岡 僕はApple Musicで聴くことが増えました。Today’s Hitsとか、毎日更新されるプレイリストを聴いてたりしますね。
DJ OSSHY 私は「AWA」のオフィシャルプレイリスターなんですよ。ドライブ向きとか、シチュエーション別にプレイリストを作って提供していますね!
昔はカセットテープ、CD-RやMD。いまはスマホの音楽再生アプリのプレイリストや音楽配信サービス。時代は変わり、音源も変わっても、それぞれのシーンで積極的に音楽を楽しむスタイルはみんなが求めているってことですよね!