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2018/11/25 17:30

日本最古級のお宝電車が走る「琴平線」に乗車ーー 讃岐らしい風景に癒される

おもしろローカル線の旅22 〜〜高松琴平電気鉄道琴平線(香川県)〜〜

高松築港駅と琴電琴平駅を結ぶ「高松琴平電気鉄道琴平線」。この路線には他にないお宝が目立つ。まず、大正末期から昭和初頭に製造された国内最古級の電車が4両残る。しかも毎月「レトロ電車」として琴平線を1往復している。

 

とりまく風景もお宝だ。起点駅は高松城趾のお隣、沿線のため池風景も讃岐ならでは。今回は琴平線の “お宝”に光を当てつつ、のどかな鉄道旅を楽しもう。

↑高松城趾(玉藻公園)の東南にある艮櫓(うしとやぐら)を望み、終点の高松築港駅を目指す琴平線の1100系電車。ちなみに玉藻(たまも)公園は日の出から日没まで入園可能。入園料は大人200円

 

【琴平線のお宝1】開業当時から直流1500V、標準軌を採用した

まず高松琴平電気鉄道琴平線の概要を見ておこう。

開業1926年(大正15)年12月21日 栗林公園(りつりんこうえん)駅〜滝宮駅間が開業。翌4月22日、高松(現在の瓦町駅)〜琴平駅間が全通
路線名高松琴平電気鉄道琴平線
路線と距離高松築港駅〜琴電琴平駅32.9km(全線乗車62分)
駅数22駅(起点・終点駅を含む)

 

琴平線の開業は今から92年前、当初の会社名は琴平電鉄だった。

 

1943(昭和18)年に、琴平電鉄と、讃岐電鉄(志度線を運行)と、高松電気軌道(長尾線を運行)が合併、現在の高松琴平電鉄(以降「ことでん」と略)と会社名を改める。

 

琴平線の路線は開業当初から直流1500V(ボルト)で電化され、しかも1435mmと標準軌の線路幅が取り入れられた。現代でこそ高圧直流1500V(ボルト)による電化が当たり前になっている。が、大正末期の頃はまだ直流600Vによる電化が主流だった。90年以上前に1500Vの電化が行われ、さらに標準軌を採用するとは、当時としてはかなり思い切った新線造りが行われたわけだ。

↑琴平線の開業時に導入された1000形120号と3000形300号(後ろの茶塗装車)。開業当時に同線用に造られた車両が、今もレトロ電車として走り続けている

 

大正、昭和初頭といえば、国鉄路線への貨物列車の乗り入れを考慮して、国鉄と同じ1067mmの線路幅を採用する私鉄の路線が多かった。当初から旅客輸送を重視した路線造りを目指していたと言えるだろう。

 

時代を先取りするような新線だったために、当時としてはハイカラさで人気だった阪急電鉄になぞらえ「讃岐の阪急」と称されたほどだった。

 

現在の琴平線は起点の高松築港駅から琴電琴平駅まで所要62分で、急行などの優等列車の運転はない。列車の間隔は高松築港駅〜琴電琴平駅間が30分間隔、朝夕は高松築港駅〜滝宮駅間の電車も含めれば15分間隔で運転される。日中は滝宮駅止まりが一宮駅止まりと運転区間が短くなる。

 

 

【琴平線のお宝2】近代化認定遺産に認定された古い車両が残る

琴平線のすごいところは、前述したように開業当時に導入された大正末期から昭和初期に製造された車両が4両も残され、その電車が今も立派に走るところだ。まさに、ことでんのお宝、いや同社だけでなく、今となっては日本の鉄道のお宝と言ってもよいのかも知れない。

 

どのような4両なのか、1両ずつ見ていこう。

↑3000形300号は1926(大正15)年に製造された。琴平線開業時に導入された車両だ。訪れた日は仏生山駅に隣接する車両基地の入口に停められていた。公道のすぐ脇にある線路に、こうしたお宝級の車両が何気なく停められていることに驚かされる

 

まず琴平線が開業したころに導入された車両のうち、現在も3両が残っている。1000形120号と3000形300号が1926(大正15)年の製造。5000形500号が1928(昭和3)年に製造された車両だ。この3両は、産業の歴史という観点から見て非常に貴重ということで2009(平成21)年、経済産業省が認定する「近代化産業遺産」に選ばれている。

↑5000形500号は他車よりも導入が少し遅く昭和3年に製造された。他の車両と比べて屋根の形や尾灯の位置などが微妙に異なっているところがおもしろい。当時の電車には乗降ドアの下に大きなステップが付いていた

 

残る1両はさらに製造年が古い。

 

1925(大正14)年に製造された20形23号で、現在は旧ことでんカラーにリバイバル塗装されている。同車両のみことでんが導入した車両ではなく、大阪鉄道(現・近畿日本鉄道南大阪線を開業させた企業)の車両だった。この大阪鉄道こそ、日本で初めて1500Vの高圧直流電化を行った会社だった。ことでんに残る20型23号(大阪鉄道当時はデロ20形と呼ばれた)は、この電化して間もなく導入された車両だったのである。

 

ことでんでは20形を1961(昭和36)年に近鉄から譲り受け、翌年から使用を始めている。御年、93歳という古老電車だ。

↑20形23号は近鉄の南大阪線を走っていた。1925(大正14)年に製造された国内に残る最古級の電車だ。現在は、旧ことでんカラーに塗られ、レトロ電車として高松築港駅〜琴電琴平駅間を定期的に走っている。写真は試運転時のもの

 

この貴重な車両は毎月1回、レトロ電車として高松築港駅〜琴電琴平駅間(走行区間の変更あり)で運行されている。2両編成で運行、走る電車は毎回、変更されている。ことでんホームページで詳しく発表されているので参考にしていただきたい。

 

次回の12月の運転は23日(日曜日)、2019年1月は1月13日の運行予定だ。

 

なお平日に試運転が不定期で行われている。仏生山車両基地に訪れてみてレトロ電車の4両が留置されていない時には要注意。路線内で試運転が行われていることがある。都会の路線のように試運転情報が鉄道ファンの間で流されるわけでもなく、路線にはファンもおらず、いたってのんびりした試運転の光景。このあたりも、“お宝”だと感じた。

↑20形23号電車の車内。なかなか凝った造りで、大阪の鉄道会社が発注した車両らしくモダンな内装だ(2012年、学研誌取材時に許可を得て撮影)

 

ちなみに、日本国内で今も動く最古の電車(路面電車)は長崎電気軌道の160形電車で、こちらの製造が1911(明治44)年とされている。同車両は長崎電気軌道にやってくる前には西日本鉄道で使われていた。

 

高速鉄道用で最も古い車両とされているのが、1922(大正11)年に製造された蒸気機関車8620形58654号機で、現在もJR九州のSL人吉の牽引機として活躍している。

 

ほかに残る古い車両としては1928(昭和3)年に製造された上毛電気鉄道(群馬県)のデハ100型。同じ年に阪堺電気軌道(大阪府)のモ161形が導入されている。

 

最古の定義づけは難しい。とはいっても、高速鉄道用の電車として大正期から昭和初頭に造られた“日本最古級”の電車が1両のみならず、4両も残ることは、奇跡に近いと思われる。

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