【再発見の旅⑥】御殿場ではやはり富士山の眺望を楽しみたい
トンネルと橋梁が続いた路線も駿河小山駅で一段落。鮎沢川にそって緩やかなカーブが続く。足柄駅を過ぎれば御殿場線で最も標高が高い御殿場駅も近い。鮎沢川に沿って登ったルートも御殿場が近づくにつれ、視界が開けてくる。そして土地もなだらかになると、目の前に富士山が圧倒的な迫力でせまってくる。
小田急から乗り入れる特急「ふじさん」は御殿場駅どまり。また普通列車も御殿場駅どまりが多い。路線を通して走る列車は少なめながら、御殿場から先へ行く列車も多く運転されているので心配は無用だ。御殿場線を走るJR東海の車両は313系電車のみだが、乗降口の横に開け閉めボタンが付いていて、寒い日や暑い日、駅に停車する時に扉を閉めることが可能なので便利だ。
さて御殿場駅からは、急な坂を下るのみの路線となる。この先も鉄道好きにとっては興味をそそる施設が多く残っている。
【再発見の旅⑦】スイッチバックして登った当時の遺構が残る
古い時刻表を見ると、御殿場駅の次の駅は裾野駅となっている。当時は御殿場駅〜裾野駅間には駅がなかった。現在は、御殿場駅→南御殿場駅→富士岡駅→岩波駅→裾野駅となっている。途中に3つの駅が新設されたわけだ。
この3つの駅の中で富士岡駅と岩波駅が特に興味深い。東海道線として開業した当時は、両駅とも駅はなく信号所だった。この両信号所ともに、スイッチバックするための施設があった。
当時の蒸気機関車が牽く列車は、急坂を一気に登っていけない。そのために、ジグザグに造られた線路を走り、一度、信号所の側線にバックしてひと休み。少しずつ坂をあがり、さらに次の坂道に挑むという運転方法だった。
現在の富士岡駅と岩波駅の2つの駅にスイッチバック施設があった。前述した時刻表の項目で、上り列車が下り列車よりも10分ほど所要時間がかかった理由は、2箇所あったスイッチバックでジグザグ運転を繰り返すためだった。
坂に強い電車での運行となり、スイッチバック施設は不要となった。そのために、線路は取り外されているが、スイッチバック施設は堤となって、残っている。とくに富士岡駅はスイッチバック施設が展望台としても整備されているので、ぜひ訪れていただきたい。非力な蒸気機関車が主力だった時代の列車運行の苦闘ぶりが思い浮かぶような遺構だ。
ちなみに富士岡駅はホームから望む富士山も美しい。たぶん、日本で最も富士山が良く見えるホームでないかと思われる。
岩波駅の近くにもスイッチバック施設の遺構が残るが、こちらは堤の上は立入できないのが残念だ。
御殿場線は東名高速道路とほぼ平行に走っている。そのためもあり近年、工場や倉庫が増えつつあり、合わせて駅の近くは住宅地として開発も進んでいる。古い鉄道写真を見返すと原野の中を走る写真が散見できたが、そうしたイメージは御殿場線に限っては消えつつある。
【再発見の旅⑧】旧三島駅は?さらに沼津も変ろうとしている
岩波駅から先は沼津、三島の郊外住宅地の印象が強くなっている。そのため終着駅の沼津が近づくにつれ乗客が増えてくる。郊外電車の趣が強い。
この先の区間、触れておかなければいけないのは、旧三島駅と機関区があった沼津駅の今だろう。前述した大正期の時刻表では裾野駅の次の駅は「三島駅」となっている。現在、三島駅は東海道本線にあるがさて。
熱海経由の東海道本線が開通するまでは、三島に近い現在の下土狩駅(しもとがりえき)が三島駅とされていた。熱海経由の路線が開通した後は、現在の場所に新たにできた駅が三島駅となった。開業当初、三島と名乗っていた下土狩駅だが、実は今も三島市のお隣り長泉町(ながいずみちょう)に駅がある。
さて御殿場線の旅も最終盤。終点の沼津駅が近づいてきた。駅に入る前に左手にJR東海の車両が多く停められた沼津運転区が見えてくる。かつて沼津機関区だったところだ。
御殿場線は5・6番線に到着。この沼津駅で東海道本線と再び合流する。この沼津駅、現在、静岡県と地元、沼津市により高架化が計画されている(沼津駅周辺総合整備事業)。沼津運転区も別の場所へ移動を計画されている。まだ計画段階だが、10年先には駅や運転区が大きく変貌しているかも知れない。御殿場線が開業してから130年のうちに大きく変っていったように。
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