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2019/3/31 18:00

相鉄の長年の悲願だった都心乗り入れ―― この秋、東京でハマの「ネイビーブルー電車」に乗車できる!

 新型車両レポート&レール締結式 〜〜相模鉄道(神奈川県)〜〜

3月28日、JRの路線乗り入れ用の新型車両12000系の公開と、新駅「羽沢横浜国大駅(はざわよこはまこくだいえき)」構内での、レール締結式が行われた。同時に「相鉄・JR直通線」の開業が2019年11月30日と発表された。

 

この新線開業により、相模鉄道にとって長年の悲願だった自社の車両が初めて都心へ乗り入れを果たすことになる。11月からは東京都内でも12000系ハマの「ネイビーブルー電車」に乗ることができそうだ!

↑相模鉄道のかしわ台車両センターで公開された新型12000系(右側)と昨年春から走り始めた20000系。12000系はJR東日本への乗り入れ用。20000系は東急東横線乗り入れ用に開発された

 

↑誕生する新線は相鉄本線の西谷駅(にしやえき)から分岐、「相鉄・JR直通線」がJR東海道貨物線と連絡、また2022年度下期開業予定の「相鉄・東急直通線」により東急東横線と結ばれる(詳細後述)

 

 

【相模鉄道の歴史】幾多の苦難を乗り越えて走り続けてきた相鉄

新型車両とレール締結式の話をする前に、簡単に相模鉄道の歴史に触れておこう。

会社創立1917(大正6)年12月18日に相模鉄道株式会社が創立(相鉄本線を開業させた神中鉄道も同じ年に創立)
最初の路線開業1921(大正10)年、相模鉄道線(現・JR相模線)茅ヶ崎駅〜川寒川駅間が開業。相鉄本線は1926(大正15)年、二俣川駅〜厚木駅(現・貨物駅)間が開業

 

相模鉄道が開業に関わった路線は現在のJR相模線だ。一方、相鉄本線となっている路線は、神中鉄道(じんちゅうてつどう)という会社が敷いた路線だった。ちょっとややこしいが、そこには太平洋戦争に突入した当時の諸事情が絡む。

 

1943(昭和18)年に相模鉄道が神中鉄道を吸収合併した。そのすぐ翌年、相模線が国有化されてしまった。お国のためという美名のために、ほぼ強制的にだった。そして相模線は戦後になっても返されることはなかった。

 

こうした歴史は本サイトの「おもしろローカル線の旅」で紹介している。

相模川に沿ってのんびり走るJR相模線−−秘められた10の謎に迫る

 

↑かしわ台車両センターで保存される神中鉄道3号機関車とハ20形客車。いずれも現在の相鉄本線の路線が開業されたころに導入された車両だ

 

相模線を失った相模鉄道は戦中・戦後と経営環境が厳しく、一時は東京急行電鉄(東急)に助けを願う時期もあった。

 

その後、東急の傘下を離れ、徐々に経営の立て直しを図っていった。長年、相鉄本線のみの営業を余儀なくされていたが、1976(昭和42)年4月に二俣川駅〜いずみ野駅間のいずみ野線(現在は二俣川駅〜湘南台駅間)を開業させた。1990(平成2)年4月には大手民鉄と認められている。

 

大手民鉄と認められたとはいうものの、営業距離数は大手民鉄16社中、一番短い35.9km。さらに首都圏を走る大手民鉄の中では唯一、他社路線との相互乗り入れを行ってこなかった。

 

会社創立102年をへて、「相鉄・JR直通線」の開業で、晴れて他社路線への乗り入れを果たす。加えて自社電車が都心を走ることになる。相模鉄道にとって悲願の都心乗り入れが実現することになる。

 

新線の開業により、沿線の二俣川駅から新宿駅までの到達時間は約44分(現状約1時間)に。さらに2022年度に開業予定の「相鉄・東急直通線」を利用すれば、二俣川駅から目黒駅まで38分(現状約54分)と時間が大幅に短縮される予定だ。時間の短縮とともに乗換えが必要なくなる。

 

相鉄沿線に住む人たちの期待が膨らむのも無理はない。

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