【不通区間のレポート①】豪雨により被害を受けた橋梁の現状
2011年7月末に起きた「新潟・福島豪雨」により、今も只見駅〜会津川口駅間が不通となっている。ここからは不通区間の現状を見ていきたい。
2011年の7月26日に降り始めた豪雨。只見線の沿線では新潟県の魚沼市入広瀬では72時間の最大雨量が471.5mm、福島県の只見町では最大の72時間に700mmという降雨を記録している。要するに大人の腰ぐらいまで浸かる雨が降ったことになる。想像できないほどの量である。
これだけ降ると、被害は免れない。幸い人的被害は少なかったものの、只見線は小出駅〜会津坂下駅間が不通となった。その後、徐々に復旧されていったが、被害が大きかった会津川口駅〜只見駅間は今も不通のままとなっている。
JR東日本という黒字企業には国の災害復旧援助が行われない。そのため、JR東日本は復旧に関して難色を示してきた。その後の経緯は長くなるので割愛するが、2017年6月にJR東日本と、地元・福島県との間で基本合意がなされた。
結論は復旧した後は福島県が線路を保有、JR東日本が車両を走らせる。いわゆる上下分離方式という形ととった。復旧費用は100億円前後、福島県が3分の2を負担し、JR東日本が3分の1を負担する。
すでに復旧工事も始まっている。そんな沿線の状況を見て回った。
只見駅〜会津川口駅間には只見川を渡る橋が4つある。そのすべてが差こそあれ、被害を受けていた。水害の怖さを物語るシーンを目の当たりにしたのだった。
只見駅側から走ると、会津蒲生駅〜会津塩沢駅間に第八只見川橋梁がある。国道252号の寄岩橋から、この区間の全景を見ることができる。湖上に浮かぶ橋、そして作業船は、川霧に包まれる神秘的な情景を創り出していた。この橋は平行する道がないため、工事が最も困難だとされている。素人目に見ても、大変さが実感できる場所だった。
さらに会津大塩駅〜会津横田駅間にも第七只見川橋梁が架かっていた。この橋も流失していまい橋梁がまったくない状態になっている。
こうした水害のつめ跡を見てまわるのも、あまり気持ちの良いものではないが、現状の把握を試みるべくクルマで巡ってみた。只見線に沿って走る国道252号沿いからほぼその状況がつかめた。
不思議に感じたのは第六只見川橋梁の被害。本名ダムという東北電力のダムがあるのだが、ダムを怒濤のごとく、水があふれ出し、下流にあった橋脚部分を破壊し、鉄橋を押し流すことにつながったようだ。被害のすさまじさはもはや想像の域を越えていた。
【不通区間のレポート②】列車が通ってこその駅ということを実感
不通区間にある駅もいくつか回ってみた。跡形もなく消えてしまった第七只見川橋梁に近い会津大塩駅。すでに線路にはえていた雑草類はきれいにかたされていた。ホーム上もきれいだ。
とはいえ、駅名標は長年、使われてこなかったこともあり錆が目立つ。休憩スペースは板が貼られ、入れないようになっていた。
さらに第五・第六只見川橋梁のちょうど中間にあたる本名駅。会津大塩駅と同じように線路上の雑草類はきれいにされていたが、駅ホームは、使われていない駅ならではの寂しさが感じられた。
やはり駅は、列車が走り、人が使ってこその駅なのだと思う。列車が走らない駅は、血が通わなくなった身体と同じく、少しずつ朽ちていくように感じた。
2021年度中の復旧を目指して進められているこの工事。橋梁のかけ替えなど、被害の大きさとともに状況の深刻さにびっくりさせられた。復旧計画が進むとともに、県内には巨費を投じての復旧工事に反対・慎重意見があったと聞く。
とはいえ、只見という山中の町の状況を見ると、只見線がいかに大事なライフラインであるかがわかる。冬は鉄道で出ることができるのは新潟方面だけ。クルマでは新潟へ抜けることが出来ない。会津地方の中心、会津若松までは国道252号頼みである。平行する道もない。もし国道252号が何らかの災害で不通になったら、外へ出る手段は国道289号を迂回して南会津町を経由する道しかなくなる。この迂回路も、遠回り過ぎて現実的ではない。
こうした現状を考えると、何としてでも復旧をという県の強い思いも理解できようもの。さらに不通となった駅で感じた寂寥感。列車が走って、人々が使ってこそ、鉄道と地域が“生きてくる“ことを実感させられる旅となった。
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